思い通りいかないことから
「思い通りいかないことばかり」が武器の僕ですから、このタイトルとの出会いに偶然以上の何かを感じてしまったわけです。
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行
本が出ます!!
どうも、今村です。
この度、(まさかの)本が出版されることになりました。
Amazonで自分の名前を検索する日が来るとは思ってなかったです…笑
タイトルは『「指導案通りいかない!」からはじめる小学校国語授業』です。このタイトルで、本を書いてみませんか?という打診を、明治図書出版の大江文武さんからいただき、そりゃもうびっくりしてしまったのを昨日のことのように覚えています。
打診のメールでは私が書かせていただいている教育つれづれ日誌のことにも触れてくださっていて、「あぁここでこうして文章を書いていたことを見ていてくれる人がいたんだなぁ」と感謝が湧きました。
改めて、このような場を与えてくださった学びの場.comの皆様、そしてつれづれなる雑文を面白がって読んでくださっている皆様にも深く感謝申し上げます。有難うございます。
大江さんに確認したところ使ってよいとのことだったので、本の前書きをこちらに転載させていただきます(なんかこう、非常につれづれっぽい文章になりました笑)。
指導案通りいかない、想定通りいかない、というところからどう一歩を踏み出すのか。そんなタイトルで書いてみませんか、と打診していただいた出会いに、深く深く感謝している今です。
ぜひ、ご購入いただけたら嬉しいです!!
まえがき
(自著『「指導案通りいかない!」からはじめる小学校国語授業』より転載)
もしも本の帯が付いて「手に取って、まえがきだけでも読んでほしい」と誰かが推薦してくれたとしたら…、そんな仮説のもと、このまえがきを書き始めました。
初めまして、今村行と申します。この本が出た時点で、私は東京学芸大学附属大泉小学校というところに勤める一教員で、本なんて出すのは初めてのことです。ですから、ほとんどの方は私のことなんて知りません。そんな、知らない人間の本を、本当に誰かが手に取って読んでくれるのだろうか、という疑問がまず初めにありました。とりあえず、今こうして、まえがきだけでも読んでくださっていることに、感謝を申し上げるべきですね。本当に有難うございます。
本屋さんに行けば、一生かけても読み切れないような教育に関連する書籍が本棚にびっしりと並んでいます。「今を煌めく」ような、著名な研究者や実践者の方々の名前が印字された本が、たくさんあります。そんな中で、どこの馬の骨かも分からないような、見たこともない名前の人間が書いた本を購入するというのは、随分と狂気の沙汰なのではないか、と思ってしまいます。それなら代わりに魅力的な文庫を1、2冊買ってもらったほうがいいのではないか…そういう声は私の中からも響いてきます。
狂気の沙汰と言えば、明治図書出版の大江文武さんが、私に直接メールを送って来たときには、本当に驚きました。「本を書かないか」と。びっくりしました。よくもまぁ、私なんかを見つけ出して、声をかけて来てくださったものだ、と驚いてしまいました。失礼ながら、随分と物好きな人がいるものだ、と思いました。ただ、「書きます」と即答しました。ずっとその準備をしてきたからです。そして、大江さんから提示されたテーマが、とても魅力的だったからです。
その、大江さんが提示してくださったテーマが本書の「『指導案通りいかない!』からはじめる」というものでした。教員であれば、必ず指導案を書いたことがあります。日々の授業の中で、全ての授業に対して整った指導案を書くわけではないとしても、頭の中にその1時間の授業のプランニングをしています。そこからもう一歩踏み込んで、授業を魅力的にしようとする人の背中を押す一冊を書かないか…そんなことを言われたら、書けるか書けないかわかりません、という状況(だって本なんて書いたことないわけですから)だったとしても「書きます」の一択しかなかったんですね。とりあえずやります、と言い切っちゃった。そんなわけで、今こうしてまえがきを書いているわけです。
「指導案通りいかない」という状況は、教師をやっていれば、それこそ毎日のように起こります。逆に、「指導案通りいったぁー!!」なんてこと、ありますか?そんなことがあったら、結構不気味に感じてしまうのではないか…とすら思います。
「指導案通りいかない」という悩みを解決した先にあるのはどんな状態か、ということを考えました。それって多分「指導案通りいくようにできる」ということではないんだろうな、と思いました。これはあくまで直観でしかないですけれど、「指導案通りいくように、自分はできる」と思っている場合、それは子供との相互関係の中で生まれる現実に悉く目をつむった結果なのではないかと思います。私は、そのような授業を素晴らしいとは口が裂けても言いたくありませんし、そのような教師を一人の人間として尊敬することもないと思います。
きっと、「指導案通りいかない」という悩みを解決した先にあるのは「指導案通りいかないって面白い」という状態だと、私は思います。プランニング、指導案作成を一生懸命にやる。その上で思い通りにはいかない。子供は予想もしなかった反応を返し、それに対して自分がどう立ち回ればいいのか全く分からない。そこから、スマートでなくていい、汗をダラダラ垂らしていていい、しどろもどろでもいいから、一歩踏み出して、子供と現実を切り拓こうとする。そのような授業を私は素晴らしいと言い切りますし、そのような教師を一人の人間として尊敬しますし、仲間だと思います。そういう人へのエールを、これからそれなりのページ数を使って、繰り返し、繰り返し、送っていこうと思っています。
私が何か話をさせていただいたり、ものを書く仕事をさせていただいたりする際に、意識していることがあります。それは、難しいことをやさしく、深く、愉快に、誠実に言葉にするということです。
難しいことを、難しく書く人はたくさんいます。自分にとって大切なことを言葉にしようとする時、それは基本的に他の人にとってわかりやすいものではありません。「どうせ全てはわかってもらえない。だからこんなもんでいいだろう」と相手や自分を侮って安易に言語化することに逃げてしまいそうな瞬間もあります。「でも」と今、思う。
難しいことをやさしくすること、それを深く描くこと、それを愉快に語ること、それをまじめに誠実に伝えようと徹すること。それは決して簡単なことではないけれど、何者でもない自分がそれを怠ったら、それこそこの本を手に取ってくださったあなたに、申し訳が立ちません。
「それっぽいこと」は書けません。自分が子供と過ごした年月の中で、私がほんとうだと思ったことだけを、血を流して体得して来たことだけを、不器用な言葉に載せて、これからお届けいたします。もしよろしければお付き合いください。まえがきを最後まで読んでくださったあなたの目を見て「届け!」と伝える気持ちで、この先を書きます。
2024年6月
今村 行
今村 行(いまむら すすむ)
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭
東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、
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