2023.09.07
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苦手と甘え

苦手と甘えをちゃんと分けられる人が「甘え上手」なのかもしれない。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
「苦手と甘え」という、これまた語呂がいいなと思うタイトルを思いつきで付けてしまいました。
文章を書くというときには、

①書きたいことがあってそれを言葉にする場合
②言葉に触発されて書きたいことが引き摺り出されてくる場合

があると思います。
そのどちらも今の私にとっては大切ですが、時々②の文章を書きたくなります。

苦手なことって、誰にとってもありますよね。
苦手なことがない天才、というのもいるのかもしれませんが、少なくとも私はそういう存在ではないし、教育者という立場で人間と向き合う仕事をしている上で、目の前の児童にも苦手なことの一つや二つ必ずあると思って接した方がいいのではないかと思っています。

僕は、多分恵まれていたんだろうと思いますが、周りにいてくれる大人たちから、苦手なことそのものを指して注意されたり、叱られたりしたことはありません。
もちろん、注意されたり、叱られたりしたことはたくさんあります。(ものすごくたくさんあります)
で、改めて振り返ると注意していただいたり、叱っていただいたりしたのって、「甘え」に対してではなかったか、と思うのです。
どういうことか。

苦手なことそれ自体は変えられないこともあるけれど

例えば、私が早起きが苦手だとしますよね。早起きが苦手なのは、仕方ないと仮定しましょう。血圧が低くてすぐ動き出せない人だっていますし、様々な心理状況で朝が苦手な人はいます。早起きが苦手であるという状態自体は、注意されたり、叱られたりしてもどうしようもないのかな、と思います。

ただ、そこで私が「自分は早起きが苦手だから、遅刻をしても仕方がない」と言い張っていたらどうでしょう。「なに言っちゃってんのよ」と感じますよね。この「なに言っちゃってんのよ」をもう少し解像度を上げると「君が早起きが苦手なことと、遅刻をしていいことは、因果関係にない」ということだろうと思います。

繰り返しますが早起きが苦手なことは、一旦仕方のないことだとしましょう。ただ、だから遅刻をしても仕方がないとすぐ主張してもいいのでしょうか。早起きが苦手だと自覚できたのなら、前日になるべく早く寝る生活習慣を作ってもいいし、起きてすぐやりたいことを決めておいて起きるモチベーションを上げてもいいし、誰かにモーニングコールを頼んでおいてもいいわけです。早起きが苦手でも、打つ手はいくつもあって、遅刻を防ぐ努力はできます。それでも、どうしてもその時間に起きられないということがあるなら、リモートワークや、フレックスタイムで働ける環境に身を置くということだってできます。

苦手なことを自覚したなら、苦手なことそれ自体は変えられないとしても、それに自分で向き合った上で、何らかの解決策を考えようとすることはできます。それをしないのは、単なる「甘え」だと思いますし、叱られて然るべきだと思います。

苦手と甘えの境目が曖昧になったとき

ただ、叱られる側が、苦手と甘えをうまく見分けられていない、という状況はけっこう多いのではないかと思います。

やや大袈裟かもしれませんが、「早起きが苦手なので、遅刻しても仕方がない」ということに対して「それは違うだろう」と甘えを指摘してくる上司の言動がパワハラと見做されるようなことって、もはや起こり得ますよね。「早起きが苦手なお前はダメなやつ」だ、というのは酷なことかもしれない。でも「早起きが苦手なら、それを自覚して遅刻しないような工夫をしよう」と言うことは、建設的な注意です。それをパワハラと見做して退けてしまったら、私たちは大切な成長の機会を失うことになります。でも、成長したくない、変わりたくないという願望が苦手と甘えの境目を曖昧にしていったとき、よくわからない「権利」が暴走し始めます。そのよくわからない権利を振りかざし主張を通すという状況が、むしろパワハラ的だな、と思ったりすることもあります。

教室の中で

子供たちと向き合う中でも、苦手と甘えということについて考えることがあります。

苦手なことは置いておいて、得意なことを伸ばそう、という考え方もそれはそれでいいと思いますが、その子自身が自分の苦手を自覚し、なんとかしたいと思っている状況があったときには、私は身も心も傾けて応援したいと思います。その苦手自体を変えることはできないかもしれないけれど、様々な提案をして、選択肢を増やして、その苦手とうまく付き合っていけるようにしたい。そう考えると「苦手」って応援を集めますよね。

苦手なことがあるというのは、その当人にとっては恥ずかしいと感じてしまうことかもしれないけれど、状況としては決して恥ずかしいことではない。子供が、その状況をなんとかしたいと思っているときに、担任の私も、クラスのみんなも「なんとか助けたい!」と集まってきます。

でも、「自分は自分なの!だからみんなに迷惑かけることも仕方ないし私の権利!」と言われたら、ちょっと応援したいという気持ちにはなれませんね。言ってる本人は開き直ってるのかもしれないけれど、状況としてはかなり恥ずかしいことだと私は思います。「甘え」は応援を集めることはできない。これは大人とか子供とか、関係なく。

子供が自分の苦手を自覚し、それを「甘え」に転化させずうまくプロデュースし、応援が集まるようにすること。自分のそういう部分をコントロールするのはいくつになっても決して簡単なことではないけれど、何とかない脳みそを絞ってサポートしてあげるのも、担任として1年間子供と向き合う大人の、大切な仕事と言えるのかもしれません。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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