2022.10.18
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局地的大雨

ゲリラ豪雨、増えましたよね。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
さっきまでカラッと晴れ渡っていたのに、いきなり空が真っ暗になって大雨が降ってきたりすることって時々ありますよね。さっきまで全然そんな雰囲気じゃなかったはずなのに、一体どうした!と空に向かって突っ込んでしまいそうになりますが、空には空のメカニズムがあるわけなので、私が文句を言っても仕方がありません。せいぜい、なぜ局地的大雨が起こるのかについて興味・関心をもって調べたり、理解しようと努めたりすることから始めるしかない。
そして、そういうことって、学校という社会の中では日々起こっているよなぁと感じます。

日々直面する「局地的大雨」的なこと

例えば、吃音の人との関わりがあります。
さっきまではスラスラ話していたのに、突然話しづらそうにしていて、どうしたのかな?と思い声をかけると、余計にその子は顔を赤くさせて、話しづらそうになって…という、とんでもない失敗を、私も恥ずかしながらたくさんしてきました。
吃音のある人は、100人に1人の割合でいます。30〜35人学級3クラスの学年であれば、1人は吃音の子がいるという計算になります。吃音というのは、独り言では出ません。誰かに対して何かを伝えようとする時に、吃音が表面化します。また、一度話し出してしまえばつっかえないのですが、話し始めるタイミングや特定の単語など、つまりやすいポイントというのが存在している。頭の中ではクリアな言語化ができているのに、相手に伝えるという部分でうまくいかず、誤解され、もどかしさ、苦しさを抱えていることが多いそうです。また、吃音と一括りに言っても、困っているポイントは人それぞれです。そういうことも勉強してみないとわからなくて、理解しようとしなければ、ずっと関わり方を知らず、相手を無神経に傷つけ続けてしまっていたかもしれないな、と思います。

また、吃音などの名称のない、「局地的大雨」的な事象にもたくさん出会います。
微笑ましい例で言えば、とても親切で、いつもは誰かを貶したりもせず公平・公正な視点をもって人と接することができ、仲間からの信頼も大変厚い男の子がいたとしましょう。その子が、やや乱暴で、相手を傷つけるようなことを、とある女の子に対して言っていたとします。そういうとき、「そういう言葉は相手を傷つけるからやめなさい」と指導すればいいんでしょうけれど、一回は「…好きなの?」と(小声で)聞くようにしています。「…うん」と言う子もいれば、「ちげーし!!」と頬を赤らめる子もいるのですが、とりあえず一度自分の「局地的大雨」的な状況を認識してもらってから話をすると、話が早いということは多くあります。
そういう状況って自分でもわかっていないことが多いですよね。

また、偏愛というのも「局地的大雨」的な状況の一例かもしれません。
電車を大好きな子、魚、昆虫、恐竜、絵を描くこと、ファッション、その他諸々、局所的に爆発的に意欲を発揮し、狂気とも言える追求をする子どもたちもいっぱいいます。
前回話題にした、私自身の「国語が好き」も、その一つに数えてもいいかもしれません。そういう「局地的大雨」的な状況は、自分でもうまく説明し切ることはできないのですが、突き動かされるようにいつの間にか積乱雲ができあがっています。そういうものは、人に対して時にプラスのものをもたらすこともあります。

一方で微笑ましいとか、人に対してプラスとは言えない「局地的大雨」的な状況にも、たくさん出会います。
例えば、教室にいる子どもたちは、人種や国籍で人を判断してはいけない、ということは当然頭では理解しています。道徳で国際理解を扱う際にも、みんな「誰一人取り残さない」という考えのもと発言をします。しかし、いざ目の前に自分と肌の色の違う子や、国籍が違う子がいた時に、どう行動できるのか。決して、人権意識が低いわけでもない。そんなことで人を判断したり決めつけたりしてはいけないとわかってはいる。でも、悪意なく無神経に局所的に、何かを言ったり、したりしてしまうことがある。

なされるがままに、打たれたくはない

ただ、ここまで話してきて顧みなければならないのは、それは何も子どもに限った話ではなく、大人にもそのような「局地的大雨」的な状況はたくさんあるということです。
人種、国籍、学歴、性別、宗教、などなど、それだけで人を判断してはいけないと頭ではわかっていて、いつもは「すごくいい人」なのに、とあるポイントで「ええ!?」という言動をする大人は、たくさんいます(勿論、自覚していないポイントで、自分もそうなっている瞬間が多々あるのだと思います)。

無難にやり過ごす、という選択肢も勿論あります。
そんなのは予測できなかったとか、たまたまそこに居合わせちゃったからアンラッキーだったとか、ただただ文句を垂れることもできます。
でも、それがいかなる「局地的大雨」的な状況であったとしても、それを知りたいと思うし、少しでも理解して、自分という精神と身体で何ができるのかくらいは考えたいと思います。
ただ、大雨に打たれるだけの結果になったとしても。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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