2025.11.21
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『ワン・バトル・アフター・アナザー』 【選択】にともなう責任について考えさせられる物語

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、平凡な日々から一転、さらわれた娘を救うため元革命家の父が再び闘いへと引き戻されていく『ワン・バトル・アフター・アナザー』をご紹介します。

好きな女性のために革命に身を投じるボブ

 

(C)2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

人生は選択の連続だ。
その選択によって、未来は大きく変わる。たいしたことないだろうと思っていたことが、あとで自分の人生をぐるりと変化させてしまったりする。
この映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』では、そんなシーンが山ほど出てくる。

例えばレオナルド・ディカプリオ扮するボブという男性。彼は若い頃は革命家だった。「フレンチ75」という武力で革命を推し進める過激な団体に入っていた彼の役割は爆弾作り。だが、果たして彼自身が本気で革命を行おうとしていたのかはちょっと疑問が残る。なぜならボブには愛する女性パーフィディア・ビバリーヒルズ(テヤナ・テイラー)がいるのだが、ビバリーヒルズこそが革命を起こして、世の中を変えたいという理想にあふれている張本人であるからだ。ハッキリと言及されているわけではないが、おそらくボブは彼女に気にいられたいのだ。それで本人的には革命は二の次であっても、彼女に合わせて共に革命家として戦う【選択】をしたのだろう。

 

(C)2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

だから2人の間に娘が生まれたとき、ボブは娘の存在より革命を大事にしようとするビバリーヒルズについていけなくなる。だが、それも彼女の【選択】。ビバリーヒルズにとって母という器に収まることは、どうでもよかったのだ。娘はかわいい。でも、それが革命をやめる理由にはならない。またむしろ、愛する夫ボブの心を奪ってしまった娘に、時には嫉妬心を燃やしたりもする。どんなに大義名分を掲げ、さっそうと行動する人物でも、娘に嫉妬するというような、愚かな、けれども人間臭い持て余すような感情を抱くのだ。

結果、彼女は革命の名のもとに政治家事務所、銀行、電力網への攻撃を繰り返していく。それも「フレンチ75」が、ビバリーヒルズが選んだ【選択】だ。暴力という手段を持って、彼らは世直しを図ったというわけ。

過激な暴力は歪んだ結末をもたらす

 

(C)2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

映画で言及されているわけではないが、おそらくビバリーヒルズは、「自分が実際に事を成し遂げ、世にはびこる悪を一掃している気分になれる」のが心地良かったのだ。ヒーロー気分だったと思う。だから、ちょっとしたいたずら心で、彼女はスティーヴン・ロックジョー警部(ショーン・ペン)を拘束した時に、性的な言葉で彼をおちょくる。それは本当にいたずら心だったはずだ。

だがその行為はロックジョーの心に火をつける。実はロックジョーは、おそらくマゾヒスティックな嗜好があり、女王然と振る舞うビバリーヒルズに恋をしてしまったのだ。かくして警察の仕事としてではなく、私的好奇心を持ったロックジョーは「フレンチ75」の捜索に躍起となる。そしてついに彼はビバリーヒルズを捕えることに成功する。しかしそこでのロックジョーの【選択】は、彼女を見逃す代わりに「自分と一晩を過ごせ」というモノだった。ビバリーヒルズはその要求を受け入れる。愛する夫がいながら、どんな思いでビバリーヒルズはロックジョーの思いを受け止めたのか。しかし間違いなくその【選択】は誤りだった。それは映画の展開を見ていてもわかる。

やがてビバリーヒルズの奢った思いは、ある事件を巻き起こす。そして物語はメインとなる16年後の世界となる。ボブは娘と一緒に身を隠した生活をしている。そこにあの執拗なロックジョーがボブと女を探して現れるのだ。すっかり平和ボケし、日々をダラダラと過ごすだけだったボブは、果たして娘を自分を守ることができるのか?

本当に大切なものとは何なのか⁉︎

 

(C)2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

物語を過度に説明することなく、監督が描きたいシーンだけ切り取ってつなげていった本作は、観ているとまさにボブや娘と同様に、「今後どういう展開になるのか全くわからない」感覚に陥っていく。本当に一寸先は闇、という感じ。説明のつかない圧迫感、疲労感、目の離せないスリルを味わいつつ、登場人物たちの、あまりにも人間のダメさ加減を晒しまくりのキャラクターには大笑いさせられる。このバイオレンスとコミカルさの絶妙なバランスはなんだろう。どっちに転んでも嫌な雰囲気の映画になるのに。本当に見事。スピルバーグ監督がハマって3回観たというのも、うなずける。

で、頭に引っかかってくるのが【選択】だ。どんな小さなことであろうとも、【選択】にはその責任が付きまとう。だが人間は愚かで、つい適当に【選択】してしまう。これで本当に良いのか。選択することで不都合は起きないのか? ありとあらゆる角度で検証してみることが大切だ。そのために人間は「想像力」というすばらしい力があるのだろう。想像することで、いくらでも問題は回避ができる。でも最近は、その能力を失っている人が多いように思える。この映画はそんな現実を、暴力と喜劇という観点から、浮き彫りにしていく。実際、「フレンチ75」の面々に少しでも想像力があれば、革命を起こすにしても暴力に頼るのではなく、もっと違う方法を取れたと思うのだ。

本当に大切なものとは何なのか。後悔しないためにどう生きたら良いのか。

この映画はインパクトこそすごいが、大切なテーマは自然と得られるように、そっとささやいてくれる。その加減がとても心地よいのだ。

Movie Data

監督・製作・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、
ベニチオ・デル・トロ、チェイス・インフィニティほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
(C)2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
『ワン・バトル・アフター・アナザー』公式サイト

Story

元革命家のボブは、かつては住む場所を追われ、名前を偽名にして暮らさなければならなくなるほど大変な状況下にあった。しかし現在は最愛の娘・ウィラと共に平凡な日々を送っていた。ウィラもちょうど反抗期に差し掛かり、お年頃なこともあり、ボブの心配の種は尽きない。しかしある日突然ウィラがさらわれたことで彼の生活は一変する。ボブら親子を追い詰めるのは、かつての天敵であるロックジョーや刺客たち。すっかり平和ボケしていたボブは、果たして娘や自分を守ることができるのか? 死闘を繰り広げる中で、ボブの心に革命家時代の闘争心がよみがえる……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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