『スーパーマン』 スーパーマンを“人間”としてとらえた新しい世界観

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、ヒーローとしての使命と人間としての葛藤に揺れる姿を描く、新たな『スーパーマン』をご紹介します。
観ているうちに心に突き刺さる人間の浅はかさ

(C) & TM DC (C) 2025 WBEI
スーパーマンは大変だ。
毎日、誰かを救い続ける。誰に頼まれたわけでもないのに。誰も救ってほしいと言ったわけでもないのに。
しかもヒーローなんだから、人を救うのが当たり前だと思われている。やって当然、やらなければ大問題。でも果たして「人間」なんてものを、そこまでして守る必要があるのだろうか。
最新の『スーパーマン』を観ていると、その疑問は魚の小骨が喉に刺さるような感じで、ちょいちょいと引っかかってくる。
そもそもスーパーマンが普通に存在しているという世界観。彼がいれば絶対安全だとみんなが信じこんでいる。だから驚くほど民衆は平和ボケしていて、怪獣が出現しても慌てて逃げたりしない。スーパーマン、あるいは彼と共に戦うヒーローたち(グリーン・ランタンなど他にも3名のスーパーヒーローがいる設定)がどうにかしてくれると思っている。避難せずにビルの高層階に平気で残っていたり、スーパーマンたちが戦うさまを「わー、すごい」とばかりに近くで見学していたりする。
それは、スーパーマンが絶対に誰も死なせないことを知っているからだ。
例えば、スーパーマンが攻撃した際に、その怪獣が後ろにひっくり返ってビルを壊しそうになったとする。するとスーパーマンは怪獣の背後に回り、怪獣が倒れるのを押しとどめる。それでも建物が壊れ、人間が瓦礫などの下敷きになりそうなときは、安全なところに運んで救い出す。いや、人間だけではない。犬だろうがリスだろうが危険から避難させる描写がある。
だからスーパーマンが出動すれば、死傷者ゼロとなることが示されている。
他国のことは放っておけと言われるスーパーマン

(C) & TM DC (C) 2025 WBEI
とにかく困っている人を見捨てられないのがスーパーマンだ。だからこそ、他国ボラビアが隣国ジャルハンプールに侵攻した件に関しても、彼は介入する。戦争は悪いこと。大量の人間が死ぬのを見逃すなんて彼にはできっこない。
それで動いただけの話なのに、アメリカ国民はそんなスーパーマンに対して苦虫を噛み潰したような顔をする。「アメリカに関係ないんだから、他国のことは放っておけよ」。実際にそういう言葉をスーパーマンに向かって言ったりもする。
だが彼は反論することもなく、ただただ必死に命を救うことだけに集中し続けるのだ。
ただ命を救いたかっただけなのに、政治に介入するな!? そんな論点の違う発想でモノを言う人間たち。そういうことがいちいち観ている側にも刺さってくる。
そう、本当にスーパーマンは大変なのだ。
なのに、そんなスーパーマンが生まれて初めて負けたところから、この『スーパーマン』という映画は始まるのだ。彼を倒したのは、“ボラビアのハンマー”という謎の超人。ちなみに“ボラビアのハンマー”はスーパーマンがボラビアに対して行った政治的介入への報復として現れたということになっている。ボラビアのグラルコス大統領は、「ハンマーは国家の代表ではなく、独立した自警主義者だ」と主張している。
だが、実はその背後にはとある人物がいる。

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それがレックス・ルーサー。『スーパーマン』を知る人ならばおなじみの、スーパーヴィランであり、彼の宿敵だ。最高の頭脳を持つ天才の大富豪。
でも本作では、なぜスーパーマンに対して異常ともいえるほどの憎悪感を抱き、執拗に彼を追い回すのかはちゃんと描かれていない。そう、そこも面白い点のひとつ。
スーパーマンが遠い星から来たとか、アイオワ州育ちであるとか、どうして同僚のロイス・レインと恋人関係になったのかとか、普段はクラーク・ケントの名でダサい新聞記者として密かに活躍しているというような、誰もが知っているであろうことは、今回は深くは説明しないのだ。観ていればなんとなくその辺の関係性はもちろんわかってはくるのだが。
ちなみにルーサーの人物像を簡単に説明しておく。自己顕示欲の塊であり、金と名誉と権力を手に入れるためなら平気であくどい事もやる傲慢な性格の持ち主だ。コミックスでは「スーパーマン以上に人々から尊敬される」ためだけに大統領選に出馬したこともある。昔の設定では同郷の友人だったこともあるし、とある科学実験の失敗でスーパーマンに命を救われたにもかかわらず、その失敗そのものをスーパーマンのせいだと思い込んだなんて設定もあった。
とにかく“宿敵”という存在なのである。
人間としてのスーパーマンが描かれる

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話をもとに戻せば、そんなルーサーの流した情報のせいで、スーパーマンは一気に民衆の信用を失ったりもする。予告編でも、彼の頭に石か何かがぶつけられるシーンが流れていたが、民衆はそれまで頼りにしていたスーパーマンを一気に見限るのだ。なんという勝手さ。
追い詰められたスーパーマンに手を差し出したのは、ただひとり、かつて彼に助けられたことがある一般人のマリという男性だけである。これもまた、魚の小骨のように刺さる。
つまり何が言いたいかといえば、この映画は「人間」を描きたいのだ。自分勝手で浅はかな人間。時には間違いを起こす人間。でもそれと同時に人間は愛ゆえに危険を冒し、大切な人を救おうと正義感を燃やしたりもする。
だからこの映画は、恋人ロイスとうまくいかず、つい声を荒らげてしまうクラーク・ケントの姿なんかも描き出す。そうスーパーマンはヒーローだけれど、スーパーなマン、つまりは「人」なのだ。「人」としての弱みもあるのだ。両親の願いに苦しんだりもするけれど、最終的に生き方を決めるのは自分なんだ―‐ということに気づくための物語ともなっている。
人間だからこそ、葛藤するし、悩むこともあるけれど、だからいいんじゃないか…という素晴らしい人間賛歌にもなっているのが、今回の『スーパーマン』の魅力なのだ。
ヒーローは誰だってなれる

(C) & TM DC (C) 2025 WBEI
と同時に、この映画は「誰もがヒーローになれる」ことも示唆する。それは人を助けることの大切さ。世界を救うのは目の前で困っている人を助けていけばいいだけの話なのだ。
杖をついている人に席を譲る、迷子に道を教える、お金がなくて困った友人にラーメンの一杯でも奢る。そんなちょっとしたヘルプが“優しい世界”を生み出し、互いを幸せにするのだ。残念ながら今は利益とか効率を求める世界となっているが、それが少しでも変われば、世界は大きく前進する。そのことを、この映画を通して学ぶことができるのだ。
スーパーマンは確かに大変だ。
でも彼の戦いを少しでも楽にするのは、私たちのちょっとした行動。「自分ひとりだけで世界は変えられるわけがない」と悲観したら、それですべては終わってしまう。大変だけど、誰もがより良い世界を追求することで、世界は必ず良くなる。
そんなステキなことに気づかせてくれる、素晴らしい学びを得られる映画なのだ。『スーパーマン』は。
- Movie Data
監督・脚本・製作:ジェームズ・ガン
製作:ピーター・サフラン
キャラクター創造:ジェリー・シーゲル、ジョー・シャスター
出演:デビッド・コレンスウェット、レイチェル・ブロズナハン、ニコラス・ホルト、エディ・ガテギ、ネイサン・フィリオン、イザベラ・メルセド、アンソニー・キャリガン、スカイラー・ギソンドほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
7月11日より、絶賛公開中
(C) & TM DC (C) 2025 WBEI
『スーパーマン』公式サイト
- Story
クリプトン星の生き残りとして、赤ん坊の頃に宇宙船に乗って地球へとやってきたスーパーマン。そんな彼は普段は大手メディアのデイリー・プラネット社で新聞記者クラーク・ケントとして働き、その正体を隠している。何か助けが必要なことが起きれば、颯爽と駆けつけて、そのスーパーパワーで人々を救うスーパーマンは、子供たちの憧れの的であり、民衆にとっては頼れる存在だった。一方、スーパーマンを世界にとって脅威とみなす天才科学者で大富豪のレックス・ルーサーは、世界を巻き込む巨大な計画を密かに進行。ルーサーと彼の手下たちは、そんなスーパーマンの弱点を徹底的に研究してあぶり出し、ついに彼を陥れることに成功する……。
文:横森文
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横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。
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