2025.07.11
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『国宝』 人生とは何か!? “生きる”ことについて考えさせられる

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、血筋や宿命を超えて芸に生きることの美しさと哀しさを描いた『国宝』をご紹介します。

歌舞伎の世界がリアルに映し出される

 

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

吉沢亮は美しかった。
いや、顔が綺麗というだけではない。佇まい、醸し出す空気感、女性らしいシナの作り方、どれもが圧倒的に美しいのである。
そう、これはすべて『国宝』という映画の中での話だ。実際に3年の間、歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った体験を基に吉田修一が描き上げた小説が原作。だからこの映画にはとてもリアルな歌舞伎世界が描かれる。

 

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

ただし、リアルなだけではない。いや、設定としてはむしろファンタジーな一面があると言ってもいい。
というのも吉沢が演じた主人公の喜久雄は、立花組組長・立花権五郎(永瀬正敏)の息子として生まれ、本来は一家を継ぐべき立場の人間だった。だがある宴会の場で起こった抗争で、喜久雄は目の前で父・権五郎を殺され、その場に居合わせた歌舞伎界のスター・花井半二郎に女形としての素質を買われ、歌舞伎役者として生きていくことになるからだ。
その前に喜久雄は自らの体に彫り物をし、父の仇討ちにも向かっている過去もある。そういう彼が歌舞伎界に入るというのは、なかなかの劇的な展開だと思うし、下手をすれば嘘臭くなりやすい導入部だ。でもそのファンタジー的要素を覆い隠すほど、歌舞伎世界の描き方がリアルなのである。

 

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

例えば特に世襲制が当たり前である歌舞伎界では、役者としての「血筋」がかなりモノを言う世界でもある。逆にいえば「血筋」がないものは必死に芸を磨き、それで他を黙らせるくらいにならなければいけない。「血筋」は入ってないけれど、今や大スターといえば真っ先に坂東玉三郎を思い出す。他にも血筋はないけれど、養子になって道を継いできた歌舞伎役者はたくさんいる。喜久雄もそういう流れのひとりだ。だがいざという時に、「血筋」がないということはどれだけ大変なことなのかも、喜久雄は知っている。だからこそ喜久雄はその「血筋」に憧れる。

一方、半二郎の息子で将来を約束されているがゆえに、どこか考えに甘さがあるのか。喜久雄には迫りきれないでいるのが、横浜流星演じる俊介だ。あくまでも喜久雄が主なので俊介の気持ちがどのように葛藤し、どのようにその気持ちを抱えて成長していったのか、そこまでは描かれない。だが俊介が、喜久雄の「才能」に惚れ込みつつも嫉妬していたのは間違いないと思う。子どもの頃から兄弟のように育ち、互いを穴のあくほど知るからこその様々な思いが2人の間には累積している。

演じるために年月をかけた熱量あふれる役者たちの演技

 

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

いわばこの映画はそんな役者たちの、芸に身を捧げてしまった者たちの、素晴らしくも華やかで、だけど舞台というその場限りの芸術の虚しさも伴う人生劇場が展開するのだ。そう、本作はそういった中に身を投じる役者を見るべき映画であり、演じた吉沢亮や横浜流星らの全身全霊を込めた演技を見るべき映画なのである。

そのために取り組んだのが、1年半に渡る役作りだ。今回振付を行った谷口裕和氏が指導をしたという。とにかく子どもの頃から芸を磨く歌舞伎役者たちに成り切るために、吉沢亮ら歌舞伎俳優を演じる者たちはひたすら肉体を鍛錬した。

おそらくだけど。

日本の撮影事情を考えると、その間にも吉沢も横浜も様々な役柄に挑戦し、1年半を丸々、役作りに使えるわけではなかったと思う。それでも彼らはやりとげた。頭の先から爪の先まで空気感をまとい、歌舞伎俳優としての生き様を感じさせた。

舞いの完成度など、できあがりとしてはいろいろな意見があるだろうと思う。李相日監督も大前提としてこの映画の主眼は、歌舞伎をしっかり見せることだけではないと語っている。歌舞伎役者としての型を学んで習得した上で、その上で喜久雄なら喜久雄の生身の感情を突き破って出さないといけないと。それがしっかり映画では、できていたと思うのだ。その証拠に映画を見ている間、吉沢亮の美しさに圧倒されていたのは確かだ。男でもなく女でもない、まさに彼の女形姿には幽玄の美のようなものが備わっていた。それを見られただけでも十分……。

つまりこれらはすべて演じた吉沢亮ら役者たちが、稽古に継ぐ稽古、日々の行動でも学び、培ってきたものなのだ。吉沢もどれだけ苦労したか想像もつかないが、武道に長けて男らしい鋼のような筋肉がついている横浜が、あの女性らしいシナを柔らかさを体現しているのはすごいこと。そういう役者たちの学びの姿勢にまずは感動してしまう。一朝一夕で、できることではないからだ。

  

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会

そして、喜久雄の生き方が観ている側の胸を刺す。彼は歌舞伎の世界で、いやひとりの役者として生きるために、どれほどのプライドを捨て、どれほどの大切なもの、友情・恋愛・人間関係を捨ててきたのか。そうまでして得たものは、本当に喜久雄にとって良かったのか。すべての芸事に携わる者たちの永遠の課題なのかもしれないが、何かを犠牲にしないと本当の何かは得られないものなのだと思う。
ただそれだけ身を粉にできるほど、打ち込めるものを見つけるということは素晴らしいことだ。その全身全霊をかけてもやりたいこと……が見つからずに終わる人も実際は多いと思うからだ。

誰もが年を経れば痛切に感じるはずである。自分にとって本当に大切なものを自分は得ているのかということを。年を経て後悔したって遅いのだ。仕事でもいい、家庭を作ることでもいい、やりたいことを全うしなければ、人生なんて勿体ない。たかだか生きたって自分の生まれた年を10年ひとくくりにしたって、8段階も進めれば立派。そう、80代まで生きられたなら御の字だ。その時にあなたはどう生きたと思えるのか。感じられるのか。
『国宝』を観ていて、最終的に突きつけられるのは、そういう人生の話だ。

先程、喜久雄はいろんなものを捨て、いろんなものを得たけれど、それが幸せだったのか……と書いた。私は喜久雄は自らの人生に後悔はないと感じている気がする。実はこの映画、冒頭は雪のシーンで始まり、クライマックスは紙でできた雪の中で舞う喜久雄の姿が描かれる。その紙吹雪の中で踊る喜久雄は圧倒的に美しい。それが李監督が出した答えなのだ。
是非この映画を観て、人生とは何かを改めて考えてほしいと思う。芸事を描いているけれど、誰もの心に響くからこそ、いまだにナンバーワンヒットを続けているのだ。劇場で観ないと本当に損な作品だ。

Movie Data

監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:奥寺佐渡子
出演:吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、田中泯、渡辺謙ほか
配給:東宝
全国東宝系にて公開中
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会
『国宝』公式サイト

Story

ヤクザ同士の抗争により、任侠世界で親分として生きる父親を亡くした喜久雄。子供の頃から女装して踊るのを得意としていた喜久雄に才能の片鱗を見た上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は、喜久雄を養子として迎えることにする。
かくして半二郎に引き取られて、歌舞伎の世界へ飛び込むことに。そこで喜久雄は、半二郎の実の息子で、生まれながらに将来を約束された御曹司の俊介と兄弟のように育てられることになる。
生い立ちも才能も異なる2人はライバルであり、最高の良き理解者ともなるのだが、半二郎がある場面で俊介ではなく喜久雄にスポットをあてたことで、2人の関係性は崩れ去り、さらにはそれが多くの出会いと別れを生み出していくことになっていく……。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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