2024.12.02
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『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』 人間の『成長』を大河ドラマレベルで綴った2部作

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、国民的ヒットドラマからスピンオフした2部作『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』をご紹介します。

実は悪役として登場した室井慎次

 

(C)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

『室井慎次 敗れざる者』と『室井慎次 生き続ける者』は『踊る大捜査線』シリーズのスピンオフとなる作品だ。柳葉敏郎さん演じる警察官・室井のその後の人生が描かれる作品でもある。

『踊る』シリーズを少しでも観たことがあればご存知だろうが、室井という男は唯一と言っていいほど、シリーズの中で驚くほどの成長を遂げたキャラクターだ。1997年に連続ドラマとして作られた『踊る』シリーズの中で、最初に室井は管理官として登場する。そして警察の機構が今ひとつわかっていない刑事になりたてホヤホヤの青島(織田裕二)に、警察の機構を教えることにもなる。それは本店と支店などとも呼ばれる、本庁と所轄の間にある巨大な壁だ。所轄の捜査員=現場の捜査員は基本的に常に蚊帳の外状態にあるのが現実。そして、もともとは室井もキャリア側の人間なので、その現実に即していた。つまり所轄の存在など気にもかけておらず、捜査のためには事件に傷ついた被害者家族からも、その傷口を押し広げるような取り調べを平気で行えるような男だった。

脚本を執筆した君塚良一さんも、そもそもの室井の立ち位置は悪役であったことをインタビューなどで明かしている。本来なら所轄の敵として最後まで進むはずであった…と。しかし予定は未定。室井は青島という男に出会ったがために、彼に感化され、独自の道を歩むことに変わっていく。つまり室井自身が青島から学んだ現場の捜査員の苦悩や現実から、これではいけない、今の警察機構を改革しないといけないと、所轄を応援する側、敵ではなく味方の立場に回っていく。本来は何の問題も起こさなければ出世街道に乗っていたはずなのに、警察の現在のあり方に否を押しつけたことから、室井は上からの圧力と下からの突き上げの間に挟まれてもがきながら、青島とした約束「自分は上に行き、警察の機構を変えるために闘う」のために奮闘することになるのである。

連ドラ第1話から見たら驚きの変貌を遂げた室井

 

(C)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

そして今回の『室井慎次』の2部作では、なんと室井は警察を辞めて、地元の秋田に戻り、細々と農業を営んでいる。なぜ彼が警察を辞めたのか。それは青島との約束が果たせなかったからだ。警察庁長官官房審議官として組織改革推進委員会の委員長を務めていたが、それこそ念願の組織改革を行えるチャンスだったのだが、そのチャンスを活かしきれなかったのだ。そこで室井は定年を待たずして退職。秋田に戻り、DIYで池近くに建っていた廃墟の古民家を改造。野菜などを育てつつ、なんと犯罪被害者・加害者の子どもたちを里親として引き取り静かに暮らしている。

かつて連ドラの第1話で被害者家族(水野美紀演じる柏木雪乃は事件のショックから声が出なくなってしまった)の心情も考えずに取り調べしていた人物とは天と地の差だ。この作品での室井は、子どもたちにもしっかりと寄り添う。決して料理など得意そうではないが、子どもたちが喜ぶと思えばカレーを懸命に作ったり、子どもたちの不安を察すれば、その不安の種を取り除こうと奮闘もする。

筆者は幸運にも撮影現場に取材に伺わせていただいたが、(実は映画ではそこまで描かれていないけれど、)室井の家のロケセットではまだDIYが下手だった頃の室井が作ったという設定の箇所がいくつかあった。例えば郵便受け。木で作られたそれは本当に素人仕事そのものだった。外に建てられた風車も仕事が荒い。室井がウィスキーをたしなんでいたパーゴラも塗装がされておらず(実際は映画スタッフ側の諸事情で塗装ができなかった)、DIY初心者の製作とわかるように作られていた。つまり警察を辞めた後も、室井は様々なことを学びつつ、徐々に静かで自由な生活に入っていったことが見てとれる作りだったのだ。

ままならない人生でも信念を持って生き続ける大切さ

 

(C)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

しかも、DIYを始めたばかりの室井が、大工道具だけは超1級のものを揃えているのも彼らしい。室井は正真正銘真面目なので、何か学び出すと、とことんこだわりを持ってしまうのだ。

例えば室井の部屋には、黒澤明の全集がある。この裏設定が面白い。青島刑事が映画版の1作目『踊る大捜査線 THE MOVIE』で赤い煙が立ちのぼるのを見て「『天国と地獄』だ」と呟く場面がある。これは黒澤明監督の『天国と地獄』で、誘拐事件が発生した際、遠方に色の付いた煙が上がっているのを目撃し、犯人の居場所がわかる…という展開のオマージュだ。『踊る』でも、それと似たシチュエーションで犯人に拉致された和久刑事(いかりや長介)の監禁場所がわかるので青島刑事が、そうつぶやいたというわけだ。その後、その青島刑事の言葉を覚えていた室井が黒澤明の映画を見始めたということらしい。さらに室井らしいのは、『天国と地獄』だけでなく黒澤全集が家に揃っているという描写だ。まるごと黒澤明の映画を学んでいるところが室井の性格をよく表現している。

そうなのだ。いつでも人間はやりたいことが上手くいくとは限らない。それでも、その中で人間は様々なことを学んで成長しなければならないもの。その事を、室井の人生は体現しているのである。室井ほど出世したり降格したりする人物も珍しいと思うが、人生が人事に振り回されようとも、信念を大切に生きてきた男であり、その信念が警察では貫けなくなったことを感じ、改めて里親という新しい形で正義を信念を貫こうとしたのだ。

そういう室井の思いは次世代へと繋がっていく。血は繋がってはいないけれども、室井の背中を見て子どもたちは育っていくのであろうことが、この映画では描かれていく。どんなに辛くても、ままならない人生でも信念を持つことの大切さを、この2部作は教えてくれるのだ。

 

(C)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

しかし、その室井の成長を促すキッカケとなったのは、実は演じる柳葉敏郎さんにあると脚本を手掛けた君塚さんは言った。悪役の立場として生まれた室井だが、それを変えたのは演じる柳葉さんからあふれ出る人間味であった。つまり、室井は、仕事として論理的かつ沈着冷静であろうとするあまりそれが高じて冷酷非情な男に見えてしまうキャラクターであり、本来は正義に熱く、人情味があり、優しい心を持っている人物。柳葉さんが室井を演じることで、そういう人物であると魅せ、その結果、脚本の方向を変えていくことになったのだ。

こうして柳葉さんにとって、アタリ役となった室井。しかしアタリ役は俳優にとってメリットもデメリットももたらす。デメリットはどうしてもそのイメージがまとわりつくということだ。例えばショーン・コネリーが007のイメージからなかなか脱却できなかったように、室井のイメージは柳葉さんの俳優としてのキャリアを大きく覆した。それを君塚さんは見てとった。どこかで自分が作ったキャラクターが、柳葉さんの俳優としての成長を妨げていると感じてしまった。事実、室井を演じた後、柳葉さんのもとには室井の二番煎じのような役のオファーがいくつかあり、彼はそれを全て断っているのだ。そういったことも要因のひとつとなり、2022年12月、君塚さんは亀山さんに「室井を成仏させたい」というメッセージを送ることになったのだ。つまり室井の人生に決着をつけることで、背負ってしまった様々なものをおろしてもらおうという考えに至ったのだ。

そういうわけで、今回の2部作は作品上でも、裏のメイキングでも、人の「成長」に焦点をあてたモノになっているのである。それもあって、古くからの『踊る』シリーズのファンを含め、観た人に賛否両論を巻き起こしている2部作だが、決して「儲け」のために作られたものではないことはわかっていただけると思う。本当に純粋な思いが重なっての、それこそ1997年にドラマが始まった頃からの「大河ドラマレベルの成長モノ」に本作は仕上がっているのだ。それを観て何を感じ取るかは人それぞれ。でも観ていただけたら、何かしらの思いは感じていただけるのではないだろうか。

Movie Data

監督:本広克行

脚本:君塚良一

出演:柳葉敏郎、福本莉子、斎藤潤、前山くうが・前山こうが、松下洸平、矢本悠馬、丹生明里(日向坂46)、松本岳、西村直人、真矢ミキ、飯島直子、小沢仁志、木場勝己、加藤浩次、稲森いずみ、いしだあゆみ ほか

大ヒット上映中

配給:東宝

(C)2024 フジテレビジョン ビーエスフジ 東宝

Story

青島との約束を果たせぬまま定年を待たずに退職した室井慎次。その後、彼は故郷の秋田に戻り、あえて実家ではない見知らぬ土地で、犯罪被害者・加害者の子供たちを里親として引き取り静かに暮らしている。そんなある日、暮らしている家の近くで2003年のレインボーブリッジ封鎖の事件で逮捕された犯人グループの一人が変死体で発見された。そのため室井は、自分の代わりに秋田県警本部長となった新城から捜査への協力を依頼されることに。またそれと同じ時期に、かつて湾岸署立て篭もり事件で裏で糸を引いた日向真奈美の娘が室井の前に姿を現わす。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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