『ブルーピリオド』 絵画に魅せられた高校2年生が東京藝術大学を目指す物語
映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、美大を目指す高校生の物語『ブルーピリオド』をご紹介します。
才能はある日突然、開花する!!
才能とは何だろう?
以前にも書いたと思うが、大学で講師をしていた時に、「才能がないならハッキリ言ってください」とある学生に言われたことがある。つまり才能がないなら、時間をつぎ込むのは無駄だから、その分を別の時間に当てたいというのである。コスパやタイパを重視しがちな今ドキの若者らしい発言だ。確かに考え方としては効率的なのかもしれない。だが果たしてそういうものなのだろうか? 才能なんていつ開花するかわからぬものなのだ。私は芝居で演出をしているが、役者の中には突然変異のように芝居がググッと上手くなる者がいる。言われたことができず、悩んで悩んでときには涙までした者が、急になんのことなくできるようになる。そういう状況を見るとドキドキしてしまう。人の成長というもの肌身で感じられるのはすごいことだからだ。そしてこれは芝居だけではなく、どんな業種でも起こりえるものだ。
『ブルーピリオド』がとらえているのは、そういった成長の証だ。簡単にいえば絵を描く人の物語。主人公は適当に学校をフケたり、夜遅くまで渋谷を歩き回ったり、どちらかといえば“不良”の部類に入るけれど、生徒たちからの人望は厚く、要領が良くて成績優秀な高校2年生の矢口八虎(眞栄田郷敦)。彼は選択授業で美術を選択していたが、美術部の先輩の絵をたまたま目にしたのをキッカケに絵の世界にのめり込んでいく。
東大に入るより難しいと言われる東京藝術大学を目指す主人公
そして美術の授業で「私の好きな風景」という課題を与えられ、早朝のブルーがかって見える渋谷の光景を思うままに描出。生まれて初めて本当の自分をさらけ出せたような気分に浸っていく。
そんな八虎の胸にむくむくと湧き上がってくるのが美術の大学に進みたい! という強い思い。しかし美術の私大は高額な学費がかかる。両親とも夜勤務めをしていて決して裕福とはいえない家庭事情を考えると、八虎は素直に自分の情熱を親には伝えきれずにいた。
しかしアート関係で唯一の国公立である、東京藝術大学ならば、授業料などの心配はない。そこで八虎は国内最難関と言われる東京藝術大学を目指すことを決めるのだ…。
ちなみに八虎が目指した絵画科は日本一受験倍率が高い学科と言われている。現役生の倍率は約200倍で、劇中でも「東京大学よりも受かるのが難しい大学と言えるかもしれない」と言われるほど。中には十浪して入る人もいるのだとか。
自分の絵が人の心を動かしていく感動
映画を観ていてグッと来たのは、サッカーを見ていて、八虎がふと我に返るシーンだ。私もそうだが、ワールドカップやオリンピックなどで日本が出る試合は観ていると自然と燃える。思わずテレビ前でガッツポーズをしてしまった経験をした人も多いだろう。しかし、その日本絡みの試合で受けた感動とははたして何なのか!? 別に自分の手で点を勝ち取ったわけではない。ハッキリ言えば、他人が得た感動に乗っているだけだ。でも多くの人はその「かりもの」とも言える感動で充足感を感じているのである。そのことに八虎は気づき、何か虚しさを覚えてしまう…。
だからこそ、自分が描いたブルーな渋谷の光景が、仲間たちに何かしらの共感や感動を与えたことがわかったとき、八虎は本当の意味での充実感を得ることができたのだ。「かりもの」ではない、間違いなく自分が起こしたことで人の心が動いた…そういう感動を得たからだ。
そしてもうひとつ八虎が絵をやる気になったのは、絵が上手くなるのは才能だけではないと言われたことにある。画力だって勉強することでおおいに伸びることを知ったのだ。
実際、彼が美術の予備校に行き、初めて石膏像のデッサンをしたとき、他の人たちの切り取り方に比べたら、圧倒的に見劣りするモノであった。明らかにこれはダメだ…という感じ。多くの人はそこで凹んで「もう絵はやめた」となってしまうものだと思う。だが八虎の場合は、才能だけではなく勉強で画力をアップすることができると信じているから、その思いの強さでへこたれることなく、何枚も何枚も絵を描き続ける。一心不乱とはこういうことを言うのか…と思うほどに描き続ける。
また他人の絵も彼は熱心に観るようになっていく。どういう表現があるのか? どういう描き方があるのか? これまで気にも留めてなかったところから出発しているからだろうが、それこそスポンジが水を吸収するように、彼は他人の絵から様々なことを学び取っていく。かくして八虎の描く絵はどんどんと変化を遂げていく。それはまさに才能が開花し、成長していく様だ。そのゾクゾクするような感覚をこの映画は味わわせてくれるのである。
ちなみに八虎を演じた眞栄田はクランクインの半年前から、ロケ地のひとつにもなった新宿美術学院で絵の練習を始めた。その練習に没頭する姿はまるで八虎そのものであったという。実際に眞栄田が描いた絵も劇中に登場するが、【勝利】をテーマにした作品はなかなかの迫力。絵画指導を担っていた海老澤功も彼の実力を認めているほどだ。そう、この映画は眞栄田郷敦の才能も開花させたといえるかもしれない。
やりたいことを見つけたら最大限の『情熱』を注ごう
誰しもが自分にどんな才能があるかなんてわからない。でもその才能の扉を開ける最大の鍵は、間違いなく「情熱」だ。人並みはずれた「情熱」が最も大事なのだ。本当にやりたいことを見つけたら、躊躇なく、まずはそこに飛び込むことこそが大事。そこからいかに学んでいくかで才能なんぞいくらでも伸びるのである。この映画はそのことを教えてくれる。好きなものがすでにある人も、まだ模索中の人も、この映画を観れば「好き」を大切にすることが幸福に繋がるのがわかるはずだ。
暑い中で受験勉強に勤しんでいる人も多いと思う。焦りや苛立ち、希望と絶望…受験の勝負時と言われる夏休みで、思い悩んでいる人も多いだろう。
いろいろなことに人間は常にゆり動かされるもの。でも『ブルーピリオド』の八虎の絵への取り組み方、受験への取り組み方は、ちょっと勇気や自信を失いかけた人に必ずエールを与えてくれるはずだ。受験勉強の息抜きにもなるであろうこの映画。是非、将来の進路に一番悩まされる高校生に観てもらいたい。そして個人的には2020年のマンガ大賞を始め、数々の漫画賞に輝いた山口つばさの同名漫画、つまり原作を是非とも読んでいただきたいと思う。さらなる感動を与えてくれるはずだ。
- Movie Data
監督:萩原健太郎
原作: 山口つばさ
脚本:吉田玲子
出演:眞栄田郷敦、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひよりほか
配給:ワーナー・ブラザース
8月9日(金)より、全国公開
(C)山口つばさ/講談社 (C)2024映画「ブルーピリオド」製作委員会
『ブルーピリオド』公式WEBサイト
- Story
器用だが生きている実感を持てないでいる高校生の矢口八虎は、美術の課題で好きな風景を描けと言われ、朝の渋谷を描出。友達らの強い共感を得て、初めて自分をさらけ出したような感覚を味わい、絵に対して興味を抱いていく。そして普通の大学に行こうとしていた彼は、最も入学するのが難しいと言われる東京藝術大学絵画科に受験の照準を変えていくのだった。
文:横森文
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横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。