2024.06.13
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『プリンス ビューティフル・ストレンジ』 突然の悲劇から8年、プリンスに肉迫したドキュメンタリー

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、天才ミュージシャン・プリンスを追ったドキュメンタリー『プリンス ビューティフル・ストレンジ』をご紹介します。

実はとてつもなくシャイだったプリンス

(C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

天才にして異端。性をライブで大胆に表現したりして、「変態」的な扱い方をされることも多かったミュージシャンのプリンス。80年代に自伝的映画『パーブル・レイン』を発表し、映画のヒットと共にサントラもメガヒット。スーパースターへと躍り出たというイメージが、ほとんどの人が抱いている印象だろう。
だが実際の彼は神様をとても信じている人であり、驚くほどシャイ。とてつもなく音楽好きで、日本にツアーで来ていた時も遊びになぞ出歩かず、突然スタジオでレコーディングしたいと言い出すなど、いつも音楽を作り続けているような、音楽に対してとても真摯な人であった。そう、ライブなどで見せる姿とは全く違う人物像であったのだ。

そんなプリンスの実像に迫っていくのが、ドキュメンタリー『プリンス ビューティフル・ストレンジ』だ。実はこの作品の原題は『Mr .Nelson on the North Side』。ミネアポリスの北側に住んでいたことを指してのタイトル。そう、この映画は1958年にミネソタ州ミネアポリスに生まれたプリンスこと、プリンス・ロジャーズ・ネルソンが、どうやってプリンスとして花開いていったのかを追っている。

本作の監督ダニエル・ドールにインタビュー

ダニエル・ドール監督

実は今回、来日した監督&プロデューサーのダニエル・ドールにインタビューすることができた。
「この映画はそもそもは『天才はどのように生まれたか』というタイトルにしようとしていたんです」とドール監督は話を切り出した。

ドール監督「僕は別にプリンスのファンというわけではなかったんです。プリンスの初期の頃のバンドメンバーだったデズ・ディッカーソンやアンドレ・シモーン(プリンスの幼なじみにしてミュージシャン)が、プリンスの映画を作りたいと言い出して、僕が手伝いますよと言って作り始めたもので。だからあくまでもビジネスとしての製作だったんです、最初は。ところがプリンスの周辺の人に話を聞くに連れて、『あれ? 何かおかしいな』と思い始めたんです。というのは、プリンスの周囲の人達に話を聞いてまとめようとすると、プリンスの話じゃなくて、プリンスに関わった自分のすごさをアピールしようとするんですよ。しかも『天才はどのように生まれたか』という焦点にしたいのに、みんなが『プリンスは天才なんかじゃない』と言う。『僕の方がすごい』と言ってくる人ばかりだったんです」

そんな人たちの中で、どんどん売れて有名になっていったプリンス。プリンスはずっと気難しい人と吹聴され、好き勝手ばかりしていると言われていたが、それも自己中心的な人物ばかりが周囲にいて、おそらく妬みや恨みが渦巻く中で身につけた処世術だったのかもしれないと思ってしまう。

ドール監督「それでもっとプリンスの若かりし頃を知っている人達、つまり地元のコミュニティの人間たちに話を聞くことにしたんです。実は今回映画に登場してくれた方のほとんどは、プリンスが亡くなった時にCNNやNBCといった大手局のニュース番組の取材は断ったという人達なんですよ。でもこのドキュメンタリーには力を尽くしてくれたんです」

ミネアポリスという町で見たプリンス

(C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

そうするうちにドール監督の中に、プリンスの出自を描く際に音楽のジャンルで切っていくのではなく、ミネアポリスという土地で切るべきだという思いが浮かんでいく。

ドール監督「実はプリンスは2001年から2006年まで、僕が住むカナダのトロントに住んだこともあるんです。でも彼は結局はミネアポリスに戻り、そこから最後まで離れようとしなかった。そういうことも合わせて、ミネアポリスというコミュニティが彼にとても大きな影響を与えていたのだろうと考えました。ミネアポリスという土地は大規模なライアット(暴動や乱闘)があったり、とても荒れていた時期があって。白人の方が圧倒的に多く、人種差別も根強かった。そんな中で台頭してきたのが、ボクサーだったスパイク・モス。成功者となった彼は金持ちにもなったし、たくさんの偉い人たちとの交流も生まれた。でもスパイク・モスは富裕層の世界に行くことはなく、ミネアポリスのストリートの子どもたちを救いたいという思いに駆られたんです。その結果、『ザ・ウェイ』という黒人の若者の間の人種的安定を育める場所となるコミュニティセンター作りに着手したんです。そこにプリンスも通って音楽活動などをするようになっていったんですよ」

どうしても父親に認めてもらいたかったプリンス

(C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

筆者がもうひとつ思うのは、プリンスが背の低さで恐らく大好きなバスケットボールへの道を諦めざるをえなかったという挫折を経験したのも、音楽に進むキッカケになったのではないかと思う。実際、彼は来日した時も、なんとレンタルビデオ屋に行き、わざわざNBAの試合のビデオを借りようとしていたというのだ。身長が160センチなかったとも言われるプリンスが、もし2メートル近い身長だったら進む道が全く違っていたかもしれない。

そしてもうひとつはジャズ・ミュージシャンだった父(幼少期の時に母と離婚し、一緒には暮らしてなかった)との関係も、彼の人生の選択に大きな影響を与えた。

ドール監督「プリンスは父親にどうしても認められたいと思っていた。なのに父親が自己中心的だったので、なかなか彼は認められなかった、調べていくと父親が亡くなってもなお、父親を喜ばせたいという思いで曲を作っていたように思えるんです。そういったところは、もっとドキュメンタリーに入れたかったけど、描ききれないということもあって残念ながら深くは掘り下げられなかった部分なんです」

映画では若かりし頃のプリンスが、どんな様子だったのかが、様々なインタビューを通して克明に描かれていく。音楽に没頭し、1日12時間以上、楽器を弾いていたという話などを聞くと、何事も一朝一夕にうまくいくものではなく、いかに努力が大切かもわかる。
伸びるべき若い時期にサボってはダメ…というのが本当にこのドキュメンタリーを観ると伝わってくるのだ。

ドール監督「プリンスのファンという人達とたくさん出会って、彼らから話を聞くことで、どういうところがすごかったかが見えてきたんです。偉大なミュージシャンはたくさんいるし、例えばエルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンは、音楽やパフォーマンスに注目が集まっていて、逆に人間として語られるということはあまりなかった。もちろん音楽的にもプリンスは素晴らしいけれど、ファンはどちらかというと人間として彼は素晴らしい人だと語る人が多かった。そこにとても惹かれたんです。またプリンスは音楽を通してラブ&ユニティを強く打ち出していた。ブラックであれ、ホワイトであれ、人種も年齢も性も超えて、すべて人間は一緒だし、一体だということを打ち出していた。ラブという言葉は安直に聞こえるかもしれないけど、プリンスは深みを持って愛の真の意味というのをうまくファンに対して伝えていたのではないかと思ったんです。プリンスがどういう人物なのか深堀りするうちに、このドキュメンタリーは生まれたんですよ」

監督自身も考えた「人の身になっているか」ということ

(C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

実はこの作品を作るうちに、ドール監督にも大きな変化が起きたのだという。

ドール監督「僕はもともとアクションが好きで、激しい銃撃戦や爆発が起こるような作品を撮っていました。けれども自分がガンという大きな病気をして、ふと今まで手掛けてきた作品って、あんまり人の身にはなってないんじゃないかというふうに思うようになっていたんです。そんな折にこの映画に携わるようになって、自分の生み出す作品についてもいろいろ考えさせられましたね。実はプリンスがとても人に癒やしを与えていたことを知ったんです。調べてみて思いましたが、プリンスほど人とのつながりを大切にした人はいないと思いますね。そういうところにも感銘を受けました」

ところでドール監督はドキュメンタリーを撮る際に、どんな部分を大切にしようと思っているのだろうか?

ドール監督「私はドキュメンタリーを作ることは還元する、あるいは何かを与える、または誰かを助けるってことだと最近は思っています。ストーリーを伝えることもとても重要ですが、そこにとどまるのではなく、人々の救いになるような内容にすべきだと思っているんです。意義のある作品にしたい。それで10代の子たちが抱えている問題、鬱だったりイジメに合うなどしている子どもたちを助けるため、そういう部分にフォーカスしたドキュメンタリーを作ったんです。子どもたちをいかに救えるか。教材用のプログラムのためのものとして作ったんです。最初は限定的な場所に教材として与えられた映像だったけど、それが今となっては世界的な教材として配給されるようになったんです」

そんなふうにドキュメンタリーの役目について語ってくれた。

ドール監督「今回もこの映画をキッカケに、プリンスへのメッセージをオンライン上で語れる場所を作られたらいいなと思っています。この映画がプリンスを知るキッカケになってもうれしいと思う。実際、彼は匿名で様々なところに寄付をしたり、善意ある行動をたくさんしているけれど、それはあまり知られてないことだしね。きっとスパイク・モスの影響が大きいのだと思う。人は誰かの影響を受けて生きているものだからね。私もプリンスの生涯を通じていろいろ感じ入ってもらえたら、とてもうれしいな…と思うよ」

Movie Data

『プリンス ビューティフル・ストレンジ』

監督:ダニエル・ドール、エリック・ウィーガンド 

製作:ダニエル・ドール

ナレーション:キース・デビッド

出演:プリンス、チャカ・カーン、チャックDほか

配給:アルバトロス・フィルム

新宿シネマカリテほか全国ロードショー中

 

(C)PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

Story

2016年4月21日に57歳で急逝した天才ミュージシャンのプリンス。住民がほとんど白人という環境下のミネアポリスで、生まれ育ったプリンス。そんな彼のブラックコミュニティ「ザ・ウェイ」での音楽的な原体験や、恩師・家族が語る幼少期のエピソードなどが綴られるドキュメンタリー。チャカ・カーン、チャックD、ビリー・ギボンズらプリンスを敬愛するミュージシャンのインタビューも交えながら浮き上がってくる彼の真の姿とは!?

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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