『関心領域 The Zone of interest』 オスカーを獲得した本作はアウシュヴィッツの隣に住む家族を描いた物語
映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、第96回アカデミー賞を受賞した『関心領域 The Zone of interest』をご紹介します。
アウシュヴィッツとはどういうところだったのか
カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得し、アカデミー賞で国際長編映画賞を勝ち取った『関心領域 The Zone of interest』。この映画はなんともいえない恐ろしさがずーっと漂っている作品である。というのも舞台となるのが、あのアウシュヴィッツの隣にある家で、時期はまさにナチス・ドイツが勢力をふるっていた時代のものであるからだ。
アウシュヴィッツ…といっても、それこそ関心のない人にはさっぱりわからないであろうから、一応説明しておく。
アウシュヴィッツ、正確にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部にナチス・ドイツによって作られたものだ。主にここに入れられたのはユダヤ人だが、他にも政治犯やジプシー、同性愛者や捕虜、障害者、またはそれらの人々を匿った者たちもここに入れられている。
想像もつかぬほど、ここは地獄であったらしい。労働力確保という側面もあった収容所だが、扱いは使い捨てなのでとんでもなく過酷な労働を強いられた。しかも住環境も食糧事情も劣悪中の劣悪(『シンドラーのリスト』を観ればよくわかる)。伝染病や感染症は蔓延、しかも運ばれてきたものの労働に介さないと判断された者たち(主に子ども、女性、老人と言われる)はすぐさまガス室送りになった。おびただしい遺体は巨大な焼却炉によって燃やされた。
なおここで死亡した人は110万人と言われている(最初は400万人が死亡したと言われていたが、その後に下方修正された)。だが正確な数は正直なところわかっていない。とにかく言えることは、ひっきりなしに収容所に人は集められており、ひっきりなしに人が殺されていた現実があったということだ。『アンネの日記』のアンネ・フランクもここで処刑されている。
アウシュヴィッツを描かずにホロコーストの恐怖を感じさせる秀作
本作でこんな地獄の隣に最高に理想的な家を建ててすんでいるのは、ルドルフ・ヘスの一家だ。実はルドルフは架空の人物ではない。実際にアウシュヴィッツ強制収容所の所長を務めた人物である。その一家の生活がメインとして描かれるのだ。
だから、映画ではアウシュヴィッツの中が描かれるわけではない。というよりほぼ映らない。ルドルフの妻も絶賛するほど理想的なリッチな家と、その家族、そしてそこで働くポーランド人のお手伝い、訪ねてきた妻の母の模様などがただただ淡々と描写されていく。
しかもほぼフィックス(固定)画面で。今どきの映画のようにカメラがぶんぶん振り回されるとか、心情に寄り添うようにアップになるとか、そういう演出は一切ないのだ。それこそまるで記録映画のように、カメラは誰にも寄ることなく、ただ現実を映しだしていく。
そこに入り込んでくるのが、何気ない音だ。夜中に微かに聞こえてくる怒鳴り声(ドイツ語なので何を言っているかは不明)、昼にひっきりなしに聞こえるパンパンパンという乾いた銃声音。そしてたまに響く悲鳴のような叫び声。
時に聞こえてくる赤ん坊の鳴き声は果たしてヘス家の赤ん坊の声なのか、それとも収容所に入れられた赤ん坊が泣いているのか。もはや判別もつかない。
一切説明らしいものがない、観て感じる作品
音だけではない。ヘス家の庭を通してアウシュヴィッツの壁などは見えるのだ。そして時々映る焼却炉から出ていると思われる煙。あれだけの煙が出ていれば、人が焼ける匂いが蔓延していたのではないかと思うのだが、慣れてしまっているのか、ハンカチで鼻を押さえるような描写はない。
もちろん煙をたてて走る収容所に運ぶ人々を載せた列車が到着しているのも、微かに聞こえる列車音、そして移動している蒸気機関車の煙でわかる。
そう、もしアナタが音にも、見える煙にも興味を持つことがなければ、これはただのある家族の記録映画にしか過ぎないのだ。実際、何も一切説明することはない。見てこちらが感じる以外ないのである。それが実に“映画”っぽい。そしてこの一家の隣の収容所への関心の薄れ方が恐ろしい。
だが心ある人にはこの理想の家で暮らすことは困難なようだ。それは訪ねてきた妻の母が、黙って荷物をまとめて出ていってしまうシーンを観ると感じ入ることができる。アウシュヴィッツの惨劇を知っておきながら、果たしてルドルフの妻と子どもたちはこの収容所の惨劇をどこまで理解していたのだろうか。
関心を持たない=無知がもたらす怖さ
ただもちろんルドルフが所長なだけに、収容所の話は登場する。
例えば焼却炉について、会話しているシーンがある。そこでわかるのは彼らは運ばれてくる人間たちを「荷」と呼び、その大量の「荷」をさばくのが大変だったということ。ルドルフらが焼却炉の2つ目を作る会話をしており、2つあれば24時間、遺体を焼いて処分できるという話をしているのだ。逆にいえば24時間稼動しないと追いつけないほど遺体があったということにもなるわけで、想像するとゾッとさせられる。
見せないことでむしろこちらの想像力をかきたて、ホロコーストの恐ろしさを感じさせる…という手法で、この映画はできあがっているのだ。
日本人は欧米に比べれば、ホロコーストへの興味は少ないと言われる。確かにそうかもしれない。でも逆にいえば欧米人はそこまで原爆などに対して日本人ほどの関心はないように思える。
つまり「関心」「興味」がなければ、人間というものは覚えようともしないし、様々なものを見過ごしてしまうものなのだ。
たまたまバスで女子高校生の集団と乗り合わせた時、彼女たちは「GWっていつなの?」と話し合っていた。5月2日。GWの真っ只中の話である。「近々じゃね」とそっけなくいい放つ仲間たち。学校が休みなんだからわかるだろ! とツッコミたくなるが、この関心のなさ。興味がなければ常識も成り立たないのが現実なのだ。
例えばこの間まで1ドルが日本円でいくらになるか、そのことに関心があった人がどのくらいいたか。正直、筆者もそんなに関心はなかった。だが初めて自分たちの生活に関わって理解できた人も多いのではないか。大胆な金融緩和は円安をもたらし株価を上昇させ、企業に利益をもたらすと言われてきたけれど、結局は円安に歯止めがかからず何兆円も投入したと言われている。
それで今後日本経済はどうなるのか。知らないから反対もしないし、意見も言えないだけなのだ。そんなことでいいのだろうか。
この映画に興味を持つか持たないか。それはアナタの決断だ。誰に命令されるものでもない。でも世界で何が起きていたのかは是非知っておいた方がいい。知ることで昔の惨劇をくり返すことはなくなるからだ。
そういう「興味」の扉を開けるためにも、この映画は素晴らしく有効。想像力を鍛えるのにも素晴らしく有効。それだけは確実だ。
- Movie Data
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー
原作:マーチン・エイミス
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラーほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
5月24日(金)より、新宿ピカデリー、TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー
(C)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.
- Story
夢のように美しく贅沢な新居で暮らす、ヘス一家。しかし隣にあるのはアウシュヴィッツだ。怒鳴り声や叫び声、銃声などがひっきりなしに聞こえるが、それらにはまるで無関心な家族たち。そんな中、家族の主でアウシュヴィッツの所長であったルドルフ・ヘスは、全強制収容所の副監視官に昇進。移転の通知を受け、家からも退去を命じられる。すると妻は自分たちの家に愛着があるため、自分と子供たちは残れるよう上官に懇願してほしいと夫に頼み込む…。
文:横森文
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横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。