2024.04.02
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『オッペンハイマー』 核開発に尽力した有能な物理学者の真実とジレンマ

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、第96回アカデミー賞授賞式で最多7部門を受賞した『オッペンハイマー』をご紹介します。

アカデミー賞で最多のオスカーを獲得した話題作

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

今年の第96回アカデミー賞は『オッペンハイマー』が席捲した。作品賞・監督賞・主演男優賞など7部門で受賞。今回のアカデミー賞では最多のオスカー受賞だ。そうなったのも観れば納得できるだろう。アメリカの理論物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの人生にまるで入り込んでいくような、すごい臨場感。彼が原爆を開発したことでどんな精神的な咎を感じたのか。どんな人生を送ることになったのか。描かれるひとつひとつのドラマが興味深いし、当時の世界状況なども一目瞭然でわかり、非常に素晴らしい歴史大作でもあり、ひとりの男の伝記ドラマとして見応えある作品に仕上がっている。
しかし、なぜ「今」という時代に、オッペンハイマーの人生を描こうと思ったのだろうか。この映画を手掛けたクリストファー・ノーラン監督は、1980年代のイギリスで育ち、核兵器や核の拡散の恐怖が根付いていたのもあり、オッペンハイマーという人物に長い間関心を持っていたのだという。
そんなある日、ノーラン監督は『テネット』(2020年)という作品を製作した。これは第3次世界大戦を止めるという課題に挑む男の物語。はたして大量破壊兵器の使用を阻止できるのかというスリリングな展開となっている。それを手掛けたことで、ノーラン監督は現実世界における核の脅威のことや、それが実際に日本に投下されたことなどについてもいろいろと思いを巡らせた。それと共にオッペンハイマーの生涯を描いた伝記本を読み、改めて彼の人生を映画化してみたいという思いに至ったのだそう。

かくしてできあがった『オッペンハイマー』だが、なんといっても面白いのは、オッペンハイマーが登場すると、一気に脚本が一人称になるというところ。つまり彼の独白がスタートして自分の人生について語りだし、彼の見た目の世界で映画が語られていく。こうすることで、見ている間に自分の体を離れ、オッペンハイマーの体に入って世界を見ているかのような、彼の人生そのものを体感しているような気分になれるのだ。
また本作は一部でモノクロフィルムにもなる。多分、最初は過去の話になるとモノクロになるのかな…と考えるだろうが、実はそうではない。その仕掛けは見てのお楽しみだが、とにかく様々な演出を駆使して、オッペンハイマーがなぜ原爆を作り、その後どんな思いでいたのかを過度な説明なしで作り上げているのである。そして魅せてくれるのである。

世界の情勢が進ませた核の脅威について

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

少なくとも筆者は、この映画を観るまで、彼について大きな誤解をしていたことを告白する。一瞬で大量の人間を殺傷できるような兵器を作れる人物ってどんな悪魔的な人なのか…小さい頃からずっとそんなふうに考えていた。だが本作を見て、科学がどんどん進む中で、“原子力”というものが利用できるということになったとき、世界中には様々な嵐が吹き荒れていたことを理解した。まずオッペンハイマーが大学で教鞭をとり始めた1929年は大恐慌が始まった年だった。
大恐慌は世界に広がる。第一次大戦の賠償金支払いで行き詰まっていたドイツで、頭角を現したのがヒトラー率いるナチスだ。このナチスの台頭により、結果第二次大戦が起こり、世界は脅威に満たされる。もともとはそんなナチスを潰すためのものとして原爆は開発されていった。それはドイツも原爆を作る可能性があると亡命科学者から聞いた、当時のアメリカ大統領F・ルーズベルトが心を大きく動かされたからだ。かくして大統領は【マンハッタン計画】と呼ばれた原子爆弾開発計画を秘密裏に1942年にスタート。オッペンハイマーはニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、開発チームのリーダーを務めることになった。

ドイツの脅威がいかなるものだったかは、ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)を観るともっと立体的に見えるようになるだろう。とにかくもしこのような世界情勢で、敵国に先を越されないように兵器を作らねばならない状況に陥ったとき、はたして兵器を作らないという選択があなたはできるだろうか…と、映画は問いかけてくるのである。
先見の明がある科学者たちが、原子力を解放することで起こりうる様々な悲劇がわからないで兵器を作っていたわけではないのだ。そのジレンマに観ている観客も巻き込まれる…それが本作のすごさなのである。

行き過ぎた科学は人を脅かす…のかもしれない

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

特に一番、背筋がゾッとしたのは、1945年7月16日の【トリニティ実験】という世界初の原爆実験を行った時。実は原爆を爆破させることで地球上の酸素がなくなる連鎖が起こるかもしれない…という万が一の可能性が開発者たちの間では懸念されていた。しかし科学者たちは、その危険性を知りながらも実験を推し進めたのである。このシーンは相当怖いしゾッとする。危険があっても実験にGOサインが出るなんて。もし酸素が本当に無くなったとしたら、世界は一夜にして終わった可能性があるのである。人類は誰かの勝手な実験のせいで滅亡していたかもしれないのだ。
つまりこの映画を見て学べるのは、行き過ぎた科学は人を破滅させる可能性がおおいにあるということ。そしてそういった危機は、人間の勝手な振る舞いや思いあがりにより、起こるものだということ。どうやったら、こんな未知数の爆弾を、地球上のすべての生物の命を失わせたかもしれない実験ができるのか。正直、どうかしている。

でも一度学んで会得してしまったものを、人間はやめるということがなかなかできない。例えば初めて携帯電話が出てきた時、携帯なんて必要か!?  と言っていた人が世の中にはかなりいた。写真機能がついた時は「電話にそんな機能が必要なの?」と言っている人も多かった。しかしどうだろう。今やスマホにまで進化した携帯電話は、もはや電話というツールどころか、食事を注文する際に必要だったり、電車やバスの運賃代わりになったり、税金まで納められる「とんでもなく必要なグッズ」へと変化した。むしろスマホを持って使いこなすのが当たり前の時代となっている。科学が自分たちの生活に入り込み、そのせいで自分たちの生活を縛っているともいえるのだ。一体、私達はどれほどの時間をスマホを観る時間にあてているのだろう。そういうことをも考えさせてくれるのが『オッペンハイマー』だ。観ていろいろなことを話し合える映画となっているのだ。

映画の魅力をとことん知っているノーラン監督

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

さて科学者の頭脳と心の動きを五感で観客に感じさせるように作り上げたノーラン監督だが、そんなノーランもこの映画においてある発明をしている。それは本作のために65ミリカメラ用モノクロフィルムを開発。世界初となるIMAXモノクロ・アナログ撮影を実現しているのだ。実はノーラン監督は映像の奥行きや色の表現にこだわりを持ち、このデジタルが横行する中で、未だにフィルム撮影を続けている希少な監督。しかもIMAXのカメラで撮影することもずっとこだわっているので、実は観る時もIMAXで観ることをオススメしたい。
そういった撮影をなぜノーラン監督は行っているかといえば、そこには映画に対する底知れぬ愛情があるからだ。そもそも映画は別の現実に生きているかのように感じさせるのが魅力な媒体。自分自身を失くして、楽しむことができる。つまり彼自身は、特定のメッセージを伝えるために映画を作っているわけではなく、あくまでも観客に感情的な体験、感情的な反応を生み出してもらうために映画を作っているのだ。そしてその体験から生まれてくる知的な疑問が、その体験を豊かにしてくれると、ノーラン監督は信じて映画を作っているのだ。だからこそどんどん進化している映画の技術を最大限に取り入れつつ、映画の技術には溺れず(VFXなどに心酔しすぎることなく)、ちゃんと物語を語っていくことを大切にしているのだ。

ちなみにノーラン監督は10代の息子に今作のことについて話してみたところ、衝撃的なことを言われたという。それは若者は核兵器に関心がなく、脅威だとは思っておらず、気候変動の方がもっと大きな懸念だと思っている…ということ。なるほど。だからこそ今、作る必要性があるのだ。決して核の脅威は終わったことではなく、また人間が大きな過ちを起こさないよう、その関心を強めるためにもこの映画は必要なのである。是非、この映画を見て、子どもたちと何かしら話ができたら良いのではないかと思う。

Movie Data

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローベン、クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナーほか
配給:ビターズ・エンド
年齢制限:R15+

3月29日より全国ロードショー
『オッペンハイマー』公式WEBサイト 
(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

Story

2次世界大戦中、物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府の【マンハッタン計画】において、原爆開発プロジェクトのリーダーに。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下されたこと、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受ける。そこでオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力がある水素爆弾の開発に反対するが…。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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