2024.03.05
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『コットンテール 』 喪失からの再生を描いた心に染みるヒューマンドラマ

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、『コットンテール 』をご紹介します。

主人公は60代となった、やや外弁慶の小説家

©️2023 Magnolia Mae/ Office Shirous

人はいつかは死ぬ。
これだけは誰も逃れられない現実だ。
でも本当に怖いのは、自分が死ぬことではなく、自分が本当に大切に想ってきていた人が亡くなること。愛する相手が、愛する子どもが、愛する両親が、もし亡くなったなら。その喪失感はハンパない。わかっていてもそのブルーなダークな気分からは逃れられない。

©️2023 Magnolia Mae/ Office Shirous

この映画『コットンテール』で描かれるのも、そんな喪失感にさいなまれた男の物語だ。
主人公は60代の小説家・大島兼三郎。彼には愛する妻・明子(木村多江)がいて、息子の慧(錦戸亮)がいる。20代の時に出会い、純粋に愛を育んできた兼三郎と明子。でも口下手でどちらかといえば外弁慶、家族に対して思いを表すのが下手な兼三郎は、決して息子とうまくはいってない。そんな中で明子が望んできたのは、いつか家族でイギリス湖水地方にあるウィンダミア湖を訪れることだった。実は明子は子どもの頃にイギリスにいて、両親とともに幸せなひとときを過ごしていたのだ。
しかしやがて明子は認知症を患ってしまう。
そして長い闘病の末、亡くなることに。そんな明子はなんと元気なうちに遺言を寺の住職に託していた。それは「私の遺灰をイギリスのウィンダミア湖にまいてもらえませんか…どうか私の最後の願いを叶えてください」というものだった…。かくして兼三郎は慧と慧の家族とともにイギリスに向かうことになる。

理解しあおうという姿勢が、コミュニケーションをうむ

©️2023 Magnolia Mae/ Office Shirous

そこからどんな展開になるかは観てのお楽しみだが、とにかく兼三郎は驚くほど息子に頼らない。まるで嫌いなのか…と思うほどに。単純に口下手で、息子と今まで交わってこなかったから、どう接したらよいかわからないというのが現実なのだろう。

親子でさえ、こうなのだ。人が人を理解するのは本当に難しいのを痛感させられる。だがこの映画を通して学べることは、たとえすぐにお互いを理解することができなくても、互いを理解しあおうとする心がけが大切であるということだ。どちらかがどちらかに心を閉ざしてしまえば、その時点でコミュニケーションは絶たれてしまうけれど、心さえ閉ざさなければいつか互いを理解しあえる可能性はある。そんなことをこの映画を通して確認することができるのだ。それは親子の間だけではない。実際に、兼三郎はとあるイギリス人家族と心を通わせる。それこそが互いを認めて心を開いた証明だ。こうしてみると、いがみあっていることはなんと馬鹿馬鹿しいことか。殺伐としている現代、各地で戦争や戦闘が起きている現代だからこそ考え直す意味があることだ。そんなこともこの映画から感じ取ることができる。

落ち込んでいる人にこそ観てほしい、生きることの大切さを学べる作品

©️2023 Magnolia Mae/ Office Shirous

映画を通して観ていると、兼三郎にとって、認知症に陥って時には兼三郎の存在もわからなくなっている明子の存在が、決して煩わしいものではなかったことがわかる。愛しているからこそ、なんとか彼女を救いたい、助けたい、そして愛するからこそ、誰にも彼女の無様な姿は見せたくないという思いが強かったのではないか…というのが伝わってくる。

それがよくわかるのは、明子が認知症を患ってからのやりとり。慧は自分も母親の介護に回ろうとしているのだが、兼三郎はそこは息子に頼らない。むしろ慧を遠ざけるような行動を取る。シモの始末で大変な時に、たまたまやってきた慧を彼は部屋に入れようとしないのだ。息子にすら、愛する人のこんな一面は見せたくないと庇っているように見えるのである。結婚して何年経とうと子どもを持とうと、兼三郎にとっては初めて出会った頃と同じように明子は愛する相手であり、その気持ちに何の揺らぎもなかったのだろう。

そこまで人を愛することができるって、なんて素晴らしいことか。若い頃にどんなに好きだの惚れただのと言っていても、年を経ると「亭主、元気で留守がいい」が当たり前になっている人が多い中、そういう関係を築けるのは素晴らしいことだ。もちろんその分、愛した人を亡くすことは、自分の身を切るよりも辛いはず。でも大切に思える人がいた方がいいに決まっている。そこから再生していくのは、半端なことではない。それでも生きていくことの素晴らしさが、大切さがこの映画を観ていると伝わってくる。いろいろと落ち込んでいる人は、兼三郎の人生から学びとってもらいたい。

Movie Data

監督・脚本:パトリック・ディキンソン
出演:リリー・フランキー、錦戸亮、木村多江、高梨臨ほか
配給:ロングライド
新宿ピカデリーほか全国公開中
(c)2023 Magnolia Mae/Office Shirous

Story

長年、認知症を患って闘病していた妻の明子が亡くなった。小説家である夫の兼三郎は、妻が残した「自分の遺灰をウィンダミア湖に撒いて欲しい」という遺言を守るため、息子の慧と慧の家族と共にイギリスへと旅立っていく。その間に様々な明子との思い出がフラッシュバックしていく兼三郎。妻の思いを一刻も早く叶えてあげたいと感じた兼三郎は、イギリスで休息などを取りながら、ちゃんと湖まで行こうと計画する慧と対立してしまう。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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