2024.01.26
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『PERFECT DAYS』 「生きる」とは何か、「豊かさ」とは何かを考えさせてくれる大傑作

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、第96回アカデミー賞「国際長編映画賞」にノミネートされた『PERFECT DAYS』をご紹介します。監督は『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』などで知られ、小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダースです。

描かれるのは公衆トイレの清掃員の日常

(C)2023 MASTER MIND Ltd.

人間にとって「豊かさ」とは何だろう!?  
『PERFECT DAYS』を観て、真っ先に考えたことはそれだった。

この映画で役所広司さんが演じた平山という男は、渋谷区にある公衆トイレを清掃することを生業としている。実は渋谷区ではThe Tokyo Toiletというプロジェクトが行われており、汚くて臭いという公衆トイレのイメージを刷新するため、17ケ所のトイレを誰もが快適に使えるものに建て替えた。
それぞれのトイレのデザインには、世界で活躍する16人の建築家やデザイナーが参画。2023年3月にすべてのトイレを設置し終えたという。平山はこのトイレの掃除に当たっているという設定だ。

毎朝、彼は外を竹箒で掃いているシャッシャッという音で目が覚める。これは後から資料を読んで知ったことだが、起床は5時15分。起きたらまず寝る前に読んでいた本をキチンと閉じ、シーツのついていない(と思われる)布団を畳み、部屋の隅へ。あとは大切に小さな鉢植えで育てている植物に水を与え、歯磨きしてヒゲを整え、顔を洗う。清掃の制服に着替え、玄関口に置いてある車のキーや小銭などをひっつかんで外に出て、その日の空や空気感を感じる。近くの自販機で同じコーヒー缶を買う。これも資料を読んで知ったことだが、家を出るのは朝5時30分らしい。

清掃道具を積んだ車を走らせ、スカイツリーを見ながら渋谷区の仕事場へ。その間、カセットテープでその日の気分にあった曲を聞く。
これが彼の朝の光景だ。

平山の生活は「質素」なのか? それとも?

(C)2023 MASTER MIND Ltd.

彼が住むアパートは少し面白い造りだ。1階と2階があり、おそらく1階は台所とトイレのみ。その台所がある部屋には、普段は必要としていない荷物が山と積まれている。
風呂はないのだろう、近くの銭湯で一番風呂に入る。洗濯機もないので、洗濯は週一でコインランドリーで行う。しかも彼が使うコインランドリーは最近当たり前になってきた洗剤を洗濯機が勝手に入れてくれるタイプではない。自分で洗剤を入れるというもの。一番安く使えるパターンのものだ。

昼は必ず同じものを公園で食べる。余った休憩時間で趣味であるカメラで木漏れ日や植物の写真を撮る。
夜は浅草にある飲み屋兼めし処へ。そこで彼は「おかえり」と言われ、おそらく焼酎系の飲み物とちょっとしたつまみを食べる。そこで家にはないらしいテレビを少しだけ堪能する。
帰ったら古本屋で100円で買った本を読み、眠くなったら就寝する。

こういう生活だから、生活場となる2階には必要なモノしかない。若いころにせっせと集めたのであろうカセットと、古本屋で調達する文庫がズラリと並んだ棚。押入れには彼が撮影してきた写真が入っているだけ。服も同じようなものばかりを着ているから、そんなにはないのだろう。

消費文化を送っている大半の人間から観たら、彼の生活は「質素」という表現になるだろう。特にテレビも観なければ、スマホに時間を奪われることもないという生活は、人にとっては世捨て人のように感じるかもしれない。確かに平山という男は無口で、同僚の若い男性からも「何を考えているかわからない」と言われるような男ではある。けれども彼は、社会と縁を切っているようなタイプの人間とは違う。子供たちにはにこやかに接するし、必要であればちゃんと自ら声をかける。誰かと関わることを決して嫌がっている訳ではないのだ。

消費文化に押し流されている我々の日常

(C)2023 MASTER MIND Ltd.

そんな平山を観ていると、多くの人が送っているような人生、例えばスーパーなどで安いからといってたくさんのものを買い込んだり、スマホで無料のゲームを楽しみつつ時には課金したり、SNSに時間を注いだり、流行り歌ばかりに注目したり、ブランドものに身を固めたり、いかに金を稼ぐかに思考を巡らすなどといった生活は何だろうと思ってしまう。

ただの消費文化に流されているだけではないのか。

そういうことすべてに巻き込まれずに、都会の片隅に静かに生きる平山の生活の方が、よっぽど「豊か」ではないのか…と思ってしまうのである。

なぜ平山がこんな生活をしているのか、彼の背景に関してはちょこちょこ映画を観ていると見えてくるので、そこは映画を観てのお楽しみとして、語りはしない。とにかく映画はずーっとこういった平山の日々が淡々と描写されていく。どこにでもある日常のようだけど、それはその日にしかない特別な日でもあるのだ…ということに映画を観ていると気づかされる。例えば空だって毎日同じ空ではない。町ですれ違う人だって、いつも同じ人ではない。いつも毎日新しく、同じように見えても同じ日なんかないのだ。そういうことに気づくと、すべてが愛おしく思えてくる。すべてが大事であること、逆に生きていることすら奇跡だとも思える。こんなふうにシンプルに物事を見て、生きていけたなら、それが最も「豊か」なことなのではないだろうか。

本作でカンヌ映画祭で最優秀賞を獲得した役所広司の名演

(C)2023 MASTER MIND Ltd.

すごいのは、この映画を見ていると役所広司が役所広司に見えなくなってくるということ。もう本当にボロくなったアパートに住む「平山」にしか見えないのだ。だから彼の人生に寄り添い、共感し、同時に自分の人生も顧りみたくなる。あまりにもナチュラルすぎる演技に本当に自然と乗せられてしまう。観た人が何人も、平山さんが清掃したトイレに入りたくなったと言っていたが、本当にそういう感情を巻き起こしてくれる。なるほど、カンヌ映画祭で最優秀男優賞を獲得するのも当然だ。

中学生や高校生には、平山の生き方を完全に理解するのはちょっと難しいかもしれない。けれどもこういう生き方も決して悪くない…ということには気づかせてくれるはず。他人からどう思われようが、どう見られるかは関係ない。本当の意味での「豊かさ」をつかんで、初めて人は幸せになれる。それは意外と近くに転がっているかもしれない。受験勉強や進路のことなどでキリキリ舞いしている人には、特に楽しんでほしい作品だ。そして大人の方にも、平山という人生のサンプルを見ることで、自分の人生についても見直してほしいと思う。

Movie Data

監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
製作:柳井康治
エグゼクティブ・プロデューサー:役所広司
出演:役所広司、柄本時生、アオイヤマダ、
中野有紗、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和ほか
配給:ビターズ・エンド
絶賛公開中
(C)2023 MASTER MIND Ltd.

Story

東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。そして植物が好きな平山は、いつも小さなカメラを持ち歩き、写真を撮っていた。そんなある日、思いがけないある人物との再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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