2023.04.12
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『ザ・ホエール』 主人公の人生を通して自分の人生を見つめ直せる感動作

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『ザ・ホエール』をご紹介します。

愛を失い、過食症&ひきこもりに陥った男の物語

後悔をしない人間なんていない。いやむしろ、多かれ少なかれ、様々な後悔が年を取れば取るほど、死を自覚すればするほど、自分に急接近してくるのではないだろうか。そして後悔するからこそ、精神的に闇に落ちるのだと思う。では悔いのない人生を送ればいいではないか。確かにそう言うのは簡単。でもそれができないのもまた「人」。

この映画を見て、ふとそのような考えが頭を巡った。

主人公のチャーリーは大学のオンライン講座を受け持つ40代の教師だ。しかし彼の実際の姿を観た学生たちは誰もいない。なぜならパソコンのカメラが壊れているといい、自分の姿を画面にさらけ出したことがないからだ。もちろんカメラが壊れているというのは真っ赤な大嘘。チャーリーは自分の真実の姿をさらけ出したくなかっただけなのだ。というのも彼は現在、体重272キロ。歩行器がなければ歩くことすらできない。そういった姿を彼はできる限り、他人の目に触れさせたくなかった。かくしてチャーリーは、ずっと家に隠れるようにして住み、ピザ屋が出前に来ても決して姿を見せず、孤独に生きてきた。友人であり看護師でもあるリズという女性以外、彼の家に入る者は誰もいなかった。

余白がある映画ゆえに、いろいろ考えさせられる

ではなぜ歩行困難なまでの体格にチャーリーはなってしまったのか。それは大事な恋人アランの死のせいだ。アランはニューライフという宗教の宣教師であり、2人は大事なパートナー同士であった。けれどもアランはニューライフと父親から理不尽な仕打ちを受け、非業の死を遂げてしまったのだ。その現実から逃げたいがために過食症に陥ったチャーリーの体重はどんどん増え、ついには血圧が238/124という重症高血圧症になり、そしてうっ血性心不全という病気を呼び込んだ。つまりチャーリーはいつ死んでもおかしくないという状況にある。もちろんリズはなんとかしてチャーリーを病院に入院させたいと考えているのだが、チャーリー自身がそれを拒否しているのである。どうしてそこまで病院を拒むのか。その理由はキチンとは語られない。

だが私は、チャーリーがアランとの思い出が詰まったこの家で最期を迎えたいと考えているように感じた。またアランとの恋のために自分が背負った罪悪感に、彼自身が打ちのめされているのではないか。そんな気がしたのだ。この映画はそういった自分の解釈で成り立つ、いい意味での余白がある。それがまた観る者をいい感じにチャーリーに肉迫させる。チャーリーの生きた人生が罪悪感が、自分にものしかかってくるような、そんな気分になれる。まさにそれは「自分では体験できないような体験をしたと考えさせる」映画の魅力だ。他人の人生観を通して自分の人生を見つめ直す。これはそういった稀有な体験ができる素晴らしい「映画」なのだ。

では彼が感じている罪悪感とは!?

それは彼がアランとの愛を選ぶために、すでにいた妻や娘エリーを捨てたという事実だ。ちなみになぜアランとの愛に走ったのか。妻との間に何かあったのか!?  家庭内で起きたことは全くわからない。ここもいい意味での余白の部分だ。しかしハッキリしているのはそのせいで娘エリーと音信不通になってしまったことを、チャーリーがものすごく後悔しているということ。自分の死をハッキリと感じる中、彼が願うのはその娘との関係の修復なのだ。

そういったチャーリーの抱えるものが、予期もせぬ訪問者、よりによってまだ若いニューライフの宣教師トーマスが来ることで、弾けたように転がっていく。チャーリーはなんとしてもエリーと会いたいと行動を起こす。そしてすでに17歳になったエリーは、積年の恨みをチャーリーに抱いていることが発覚。しかしどこかで父への愛も感じており、複雑な胸中の極みを見せる。

「人」は「人」によって救われるという現実

そう、実はこの映画に出てくる登場人物すべてが、何かしらの「悔い」を心の中に秘めていたのだ。そして孤独だったそれぞれが関係性を紡ぐことでコミュニケーションを取ることで、思いがけない化学反応を起こしていく。それがこの映画の面白さであり、それと同時に見えてくるのが人の愚かさと赦すことの大切さ、そして人生にとって本当に大切なものは何か…という問いの答えなのだ。

人は「人」によって傷つくけれど、その傷を癒してくれるのもまた「人」なのだ。誰も孤独では生きていけず、どこかで誰かと繋がりたいと思う。当たり前のことだけれど、そういった切なさがこの映画全体を占めており、そしてチャーリーの人生を通して、自分の人生への後悔をも浮かびあがらせていくのだ。

人によっては、どんなに装っても真実のまま生きていくことの大切さを感じ取る人もいるだろう。赦すことの素晴らしさを痛感する人もいるだろう。そういった人それぞれの捉え方ができるのも、この映画の魅力であるのだ。
是非観ていろんなことを考えてほしい。

チャーリー役は「ハムナプトラ」のブレンダン・フレイザー

余談だが、このチャーリー役を演じたのは、20代の頃は「原始のマン」や「ジャングル・ジョージ」など純粋なおバカ役を得意とし、愛すべき与太郎的魅力を発揮。後に「ハムナプトラ」シリーズでヒーロー的役回りを演じてきたブレンダン・フレイザーだ。実は彼自身も妻との離婚、そして性的虐待をマスコミのトップから受けた現実など、様々な事柄から精神的バランスを崩して一線から退いていた現実がある。だがこの1作で今年のアカデミー賞で主演男優賞を獲得。見事に第一線に返り咲いた。実は筆者は過去に3度ほど彼に会っていて、とても繊細な感じととてつもない優しさ、人の良さを感じていた。だから彼が心身のバランスを崩したと聞いた時、あんなチャーミングな人がそんな憂き目に遭うなんて…と思ったし、同時にそうなってしまうだろうなという当然の結果のようにも感じた。しかし彼自身も、そういった後悔をチャーリーを演じたことで昇華させたのではないだろうか。そしてブレンダンの生き方、彼の人柄などもこのチャーリー役に加味されることで、よりチャーリーという人物像に真実味を与えることができたのだ。そういう点からもおおいに感動させられる作品だ。

Movie Data

「ザ・ホエール」

監督・製作:ダーレン・アロノフスキー 

原案・脚本:サミュエル・D・ハンター

出演:ブレンダン・フレイザー、ケイディー・シンク、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス、サマンサ・モートンほか

配給:キノ・フィルムズ

4月7日(金)より、TOHOシネマズシャンテほかロードショー

公式サイト whale-movie.jp

(C)2022 Palouse Rights LLC. All Rights Reserved.
Story

40代のチャーリーは、恋人のアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで体重が272キロに。さらに健康を損なってしまう。心不全の症状が悪化し、自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会うことを決意。が、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた…。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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