2023.03.08
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『フェイブルマンズ』 スティーブン・スピルバーグ監督の自伝的作品

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『フェイブルマンズ』をご紹介します。

映画の歴史に名を刻んだヒットメーカー、 スピルバーグ

老若男女、現在で誰もが知っている監督の名前と言ったら誰か。それは間違いなくスティーブン・スピルバーグでなかろうかと思う。なにしろ1975年の『ジョーズ』の世界的な大ヒットで一躍その名を轟かせ、1977年の『未知との遭遇』では映画のヒットのみならず異星人のイメージをチェンジ。1981年『レイダース/失われた聖櫃』では冒険活劇の面白さを復活させ、1993年『ジュラシック・パーク』ではCGを映画に根付かせることに成功し、映画製作の根本を大きく変えさせてしまった。

監督業だけではない。プロデューサーとしても大活躍しているスピルバーグは、多くの才能を引き上げてもいる。例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキス監督など多くの監督がスピルバーグ製作あるいは製作総指揮のもとで映画を撮影した。また子役時代に『太陽の帝国』の主役に抜擢したことで役者として花開いたクリスチャン・ベールや、シャイア・ラブーフ、ドリュー・バリモアら後の大人になってからのスターを発掘したのもスピルバーグだ。

まさに70年代以降の映画を変えた立役者であり、少なくとも今の50代や60代は、“スピルバーグの映画で育った世代”といっても間違いないだろうと思う。

スピルバーグはどんな子どもだったのか!?

この映画は、そんなスピルバーグの子ども時代を描いた映画だ。いわゆる自伝的作品。だが想像するような映画とは少し違っている。どうして映画を好きになったか、どうして映画に惹かれていったのか…という点はもちろん想像通りに描かれていた。しかしながらその上で、もっともっと家族のドラマに重きが置かれており、少なくとも私にとっては想像とは違うニュアンスが残る映画となっていた。

映画の中ではスピルバーグ監督にあたる少年は、サミー・フェイブルマンという名前になっている。サミーはコンピューターの技師を営む父のバートと、ピアニストで芸術肌の母・ミッツィと、レジー、ナタリー、ハダサーの妹3人と暮らしている。暗闇を怖がる臆病なサミーは、『地上最大のショウ』という映画を見て以来、映画に心惹かれるようになり、8ミリカメラを使って様々な作品を撮るようになっていく。時には妹たちをトイレットペーパーでグルグル巻にしてミイラに仕立てたり、青年になってからは学友たちを使って戦争映画を撮ったり。そんなサミーと共にミッツィやバートの様子なども織り込まれていく…という展開。

これまでのエンタメ作とは異なる味わいの作品

これまでのスビルバーグといえば、わかりやすいエンタメ映画を作る印象がある。もちろん今回も大変わかりやすい映画だ。名前こそサミー・フェイブルマンになっているが、実際にスピルバーグが体験したことが本作には詰まっている。

でも今回は本当に何も考えずに観ていると、サラッと通りすぎてしまうような作品なのだ。わかりやすさにゴマかされてしまうといってもいい。むしろ行間を読むことで、いろいろ心に刺さってくるような作品に仕上がっているのが面白いのだ。

天才を育てるのには“機会”を逃さないこと

例えばサミーの育てられ方が面白い。子どもの頃に『地上最大のショウ』を観た時、サミーの心の中を占めたのは、映画のクライマックスにある、人が乗った車と汽車との激突だった。以来、彼は父にオモチャの汽車(自走式のかなりリアルな立派なモノ。これを見るとある程度お金持ちの家だったことがよくわかる)を買ってもらい、ひたすらその汽車と車のオモチャを衝突させるという行為を始める。

そのせいでしょっちゅう汽車は壊れ、技師である父がその修理をするハメになるのだが、母ミッツィはそんな遊びをするサミーを頭ごなしには決して怒らない。むしろこだわって衝突をくり返すサミーに夫の8ミリを与える。これでその場面を撮影すれば、汽車を壊さずに何度も楽しめると提案するのだ。そこからサミーの研究が始まる。どうしたら映画のような迫力ある画が取れるのか…ということ。

そしてそういう研究が、やがては他の映画への模倣に繋がり、それが次第に映画をゼロから創造する『芸術』へとつながっていく。いかに子どもに“機会”を与えるかで、子どもはその才能を伸ばすことができるか…そのことをこの映画は的確に描き出している。天才の作り方がわかる…と言ってもいいかもしれない。

そしてそういう経験をしているから、スピルバーグ監督自身もいろんな若手の育成に着手してきたのではないかと思うのだ。彼自身が機会を与えられることで才能が開花することを知っているから、自分もそういう機会を与えられる立場になった時、惜しみなくそういうチャンスを様々な人達に与えてきたのだろう。

実は学生時代はイジメられていたスピルバーグ監督

この映画を観て感心するのは、様々なことを学んで成長していく子どもたちの姿をとらえていることだ。家族の記録係にもなっていくサミーだが、同時に彼は8ミリを人とのコミュニケーションの道具にも使っていく。正直、サミーはユダヤ人が少ない地域に育ってしまったため、ユダヤ人であるというだけでイジメを受ける。露骨に暴力を振るわれたりもする日々。

だが彼の映像を撮る力が、普通なら村八分にされてしまいそうな状況を打破するキッカケになっていく。学校の行事を撮影したり、魅力的な人を映し出すことで、彼の置かれた立場は好転していく。

人よりも抜きん出た力を身につけること…それは自分を助けることにも繋がるのだ。そしてそういう力をつけることは自信にも繋がる。日々精進。これが自分を高みへと押し上げていくことを、この映画を観ていると感じてしまう。

でも別にそういったことを、この作品は声高に叫んでいるわけではない。そういったことが、本当に行間を読むように、フツフツと心の中に湧いてくるのが面白いのだ。そういう意味では、わかりやすいエンタメ映画を作ってきたスピルバーグ監督が、エンタメにとどまらない非常に個性的なアーティスティックな作品を作ったと言えるのかもしれない。

中学生や高校生には夢を追うことの勇気を与えてくれる上、才能を見つけることでイジメや様々な問題を回避することも教えてくれる。そして大人には教育や子育て、家族についてなど、いろんなことを考えさせてくれる本作。
是非映画館で体感してほしい作品だ。

Movie Data

監督・脚本・製作:スティーブン・スピルバーグ 脚本・製作:トニー・クシュナー 
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、セス・ローゲン、ガブリエル・ラベル、ジャド・ハーシュほか
配給:東宝東和
年齢制限:PG12
(C)Storyteller Distribution Co.LLC.All Rights Reserved.

Story

1952年。サミー・フェイブルマン少年は『地上最大のショウ』という映画を両親と観たのをキッカケに、映画というものに強く惹かれていく。月日は流れ、コンピューターの革新的なライブラリー・システム開発の功績を認められた父バートの転職に伴い、一課はアリゾナに引っ越すことに。だが母マッツィは実母を突然亡くし、悲嘆にくれるようになり…。

文:横森文

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横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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