2022.05.27
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『犬王』 人は誰かを信じることで自分も魅力的になれる

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『犬王』と『バズ・ライトイヤー』の二本をご紹介します。

能とはどういう芸術なのだろう!?

あなたは能を観たことがあるだろうか!?
私は正直、狂言は学校の授業で観たことがあるのだが、ちゃんとした能はテレビでほんの少し見ただけ。勝手なイメージではあるけれど、能というと敷居の高い芸術作品だという感覚が強かったし、歴史の授業で観阿弥や世阿弥は習うが、本当に過去の芸術というようなイメージが強く、あまり見たいとも感じなかった。
今回紹介する「犬王」(いぬおう)はそんな能の世界を軸にした話だが、おそらくコレを見たらば、能に対するイメージが180度変わるのではないだろうか。実際私自身古いとか格式が高いとか、勝手な色眼鏡で見てしまって申し訳ないという気持ちが湧いてきたほどだ。

まずはその能について解説しておこう。
能は室町時代(14世紀)に成立した表現だ。特徴を言えば、面と美しい装束を用い、専用の能舞台で上演される歌舞劇。
それと同時に上演される狂言はどちらかといえば日本版のコメディというべきもの。
歌舞劇の能は人間の哀しみや怒り、恋や情などの熱い想いなどを描き出す。『笑い』の面を受け持つ狂言は、科白(せりふ)劇として磨きあげられたものとなっている。
だが忘れてならないのは、この能にしても狂言にしても、当時は最先端のパフォーマンスであったということ。つまり我々は欲深くて次から次へと新しい刺激を受けたがるから能が古い芸術のように感じてしまうだけなのだ。
それこそ今の私達がライブに行ってキャーキャーと声を張り上げているように、昔の人たちは能を見てハイテンションになっていたのだろう。そういった様子が、本作ではリアルに、さながらロックコンサートにでも来たかのようなド派手なイメージとともに紡がれていく。そのイメージの自由さはタダ事ではない。湯浅政明監督の表現力に愕然としてしまうばかりだ。

バディとなった犬王と友魚がスパークする

そして室町時代は実は初めて文化を含め日本が統一される時期にあった。
このアニメーションはそういった時代を背景に2人の男たちの友情と野心、何かを表現したいという強い思いが描かれる。
ではこの2人の男とは!?
ひとりは犬王(犬王という能楽師は実在したが、名前だけでどういう人物像であったかは全くわかっていない)。彼は生まれる時に呪いがかかったせいで、片手が異常に長かったり、足が極端に短かったり、目の位置や口の位置などが違っていたりと、いわゆる異形の者として生まれついた。
そのせいで能楽師の家に生まれていながら、彼は放置状態で育てられており、時には犬と一緒に食事をさせられたりしている。顔にはいつも瓢箪の面。つまり人間扱いをされていないという、とんでもない状況なのだ。
だが彼はそんな境遇を悲しむのではなく、見よう見まねで能を舞い、音楽を聞けば踊り、前向きに生きている。

もうひとりは友魚(ともな)という男。彼は壇ノ浦の闘いで没した平家が海中に落としたものを素潜りで潜って取ってきたり、魚をとったりして暮らしていた。だが平家とともに沈んだ三種の神器のひとつに触れたがために、呪いを受けて視力を失ってしまう。友魚は都に向かう途中、盲目の琵琶法師と出会い、その素晴らしい響きと語りの面白さに感銘し、自分も琵琶法師になる決意をして弟子入り。覚一座に迎えられることになる。
そんな2人が出会い、バディとなったことから加速的に2人の運命は激変していく。
当時は、伝えられる平家の物語を琵琶法師が独自のスタイルで語り継いでよかった。そこで友魚はどんどん新しいスタイルを開拓していく。それは時にはギターの弾き語りのようなスタイルで、時には打楽器なども備えてバンドスタイルで。ロックのようにオペラのように、どんどん自由に彼は新しい表現を研磨していく。

そして友魚と組んだ犬王も、その能楽師としての才能を開花させていく。しかも犬王の場合は、ひとつ表現を極める度に、なんと呪いで異形だった体が少しずつ健常者と同じものに変化していくのだ。つまり手塚治虫漫画の『どろろ』のような感じと説明すれば、わかっていただけるだろうか!?
そして体が変わるにつれて、彼が魅せる舞台もパワーアップしていく。
彼が魅せる舞も時にはMGMのミュージカルのように、時にはマイケル・ジャクソンのように、時にはクラシック・バレエの優美さを醸し出すように次から次へと進化。舞台もどんどんグレードアップし、ラスベガスのシルク・ド・ソレイユのショーのような、大仕掛けの舞台へと変貌していく。

互いを信じあった結果、巻き起こる奇跡の表現

そんな2人の姿を見て感じるのは、互いが互いを信じあっているからこそ、多彩な表現が可能になっているという現実。相手を信じることが、彼ら自身をも自由にし、表現が磨かれていく。友情や絆の素晴らしさをここまでズバッとストレートに描いたものはそうそうない。
コロナ禍の影響で、人と人の絆がどんどん薄まっていっている感があるが、この映画を見れば、人が人を輝かせるのだということが本当に骨身に染みる。友魚の音楽が犬王の舞を極めさせ、犬王のパフォーマンスが友魚の音楽をさらなる高みへと引っ張っていく。

ただ別にこれはこういうクリエイティブな場所にいる人たちだけの話ではないと思う。
例えば勉強などでも、友達同士で教えあうことで、より勉強の能力がアップすることがある。
これは筆者自身の体験だが、私は一時期、先に推薦で大学進学を決めた友人に受験勉強を見てもらったことがある。英語が得意だった友人は、当時流行っていたアメリカやイギリスなどの音楽を使って英語の助詞の使い方などを教えてくれたりした。慣れ親しんだ曲を同じ学生目線で教えてくれることで、おかげさまで飛躍的に英語の実力がアップした。
人はひとりでは生きられない。衣食住において必ず誰かが作ったものを着て、誰かが得てくれた魚や肉や野菜などを食べ、誰かが作った家に住んでいる。それだけではなく、誰かと関わることでその人生はより輝くことができる。『犬王』を観るとその素晴らしさが伝わってくるのだ。

また前出で、室町時代は統一されていく時代と書いたが、それは逆にいえばマイノリティになってしまったものは淘汰されてしまう、悲劇的な時代であるということでもある。
実際、観ている人々を熱くたぎらせた友魚と犬王のパフォーマンスは、時の将軍・足利義満によって禁じられてしまうことになる。いや犬王たちだけではない。琵琶法師によって、それぞれの味付けがされていた歌も、統一され、決められたもの以外は語ってはならないと命じられてしまうことになる。これは実際の話だから、もしかしたら私たちが知らないだけで、映画のようなとんでもない表現があったかもしれない。それを滞らせてしまったとしたら、なんという理不尽だろうか。
でもこういったことを、歴史はいつもくり返す。国が目指す方向性、あるいは一個人が決めたような内容に国民全員が振り回されたことは、現代に至るまでの数百年の間にいろいろとあった。
そういう状況を作らないためにも大切なのは、ちゃんとそれぞれが個人としての意見を持ち、自分の頭を使って考えて行動をすることだ。

そんなことをもしっかり教えてくれる本作。
いろいろ学ばせてくれる本作を見て、感想や意見を交換してみたら、もっと社会をよりよくするための何かいい方法なども考え出せるかもしれない。是非、歴史を駆け抜けた2人の生き方を感じてほしい。

Movie Data

監督:湯浅政明 
原作:古川日出男 
脚本:野木亜紀子 
キャラクター原案:松本大洋 
音楽:大友良英 
声の出演:アヴちゃん(女王蜂)、森山未來、柄本佑、津田健次郎、松重豊ほか

配給:アニプレックス、アスミック・エース
5月28日より、全国ロードショー
(C)2021 “INU-OH” Film Partners

Story

京の都・近江猿楽の比叡座の家に子供が生まれた。その子は後に民衆を熱狂させる能楽師・犬王。だがその姿はあまりに奇怪で、大人たちは犬王の全身を衣服で包み、顔には面を被せた。ある日、犬王は盲目の琵琶法師の少年・友魚と出会う。世を生き抜くためのビジネスパートナーとして固い友情で結ばれた2人は、互いの才能を開花させていくが…。

文:横森文

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子どもに見せたいオススメ映画

『バズ・ライトイヤー』

『トイ・ストーリー』の原点ともいうべきユニークなSF映画

この映画を見てアンディ少年はバズ好きに

世界で初めて作られたフルCGアニメ映画である『トイ・ストーリー』(1995年)。そこから27年経って作られた本作は、なんとその『トイ・ストーリー』でカウボーイ人形のウッディらおもちゃの持ち主だった、アンディ少年がハマった映画という設定。

そう、お気に入りナンバー1だったウッディの座を奪った、スペースレンジャーのバズ・ライトイヤーのフィギュアを生み出すことになった映画を本気で作ってしまったのが本作なのだ。

自分の力を過信したバズは誤った判断を

ストーリーはとても本気のSFに仕上がっている。ある任務の途中で自己判断でとある惑星に立ち寄ったバズ・ライトイヤー。だがその判断のせいで、1,200人の乗組員とともに惑星から脱出できなくなってしまう。バズは責任を感じ、なんとか全員を地球に帰還させようと危険なミッション、ハイパー航行に挑む。

しかし何度も失敗。バズにとっては数分のチャレンジでも、それは通常の数年分に相当する。

かくしてバズは62年分の時間を失い、バズの親友のアリーシャはこの世を去ってしまうことに。失意に陥るバズの支えとなるのはアリーシャがプレゼントしてくれた猫型ロボットのソックスとアリーシャの孫イジーら新米チーム“ジュニア・パトロール”のメンバーたちだった…。

アナタは失敗にとらわれすぎていませんか!?

この映画を見ていて強く考えさせられるのは、人生は予期せぬトラブルに見舞われたり、想定とは違う方向に行ってしまうことがあるが、それを悔やんでいるだけでは勿体ないということ。バズは自分の判断を責めて、誰にも頼らず、黙々と任務に挑む。だがその間にその惑星に人々はなんとかなじもうとし、次世代の子供たちも次々と生まれることで、人の価値観もどんどん変わっていく。地球に戻るより、そこで人生をどう生きるかのほうが大切になっていくのに、バズだけはそれに気づけないのだ。

つまり人生が変わったなら、そうなったらそうなったで、それをプラスにとらえ、そう転がった人生をいかに楽しむかで人生はバラ色にも暗黒にもなるのだ。例えば中学入試で高校入試で大学入試で、大きく人生が変わることになる。だが望み通りにいかなくても、そこで腐っていてはダメなのだ。もしかしたら思いもかけない出会いがあるかもしれない。

夢を諦めたとしても、違う夢が生まれるかもしれない。うかうかしていたら、素晴らしい未来を逃してしまうのだ。

そういったコトを、この映画は決して声高ではなく、笑いやエンターテイメント性にあふれたストーリー、見どころたっぷりのアクションを交えつつ、楽しませながら教えてくれる。

しかも決して子供だましではなく、ちゃんと相対性理論を踏まえた科学的根拠ある話としてSF的によくできているのが素晴らしい。

この映画はもちろん小学生から楽しめる。でも中学生で、高校生で、大人で響くところはそれぞれ違うような作品だ。友情の大切さや相手を信じることの素晴らしさ、自分の非を認めることは自分の成長にもなるという当たり前だけどなかなかできないことも考えさせられる。是非観ていろいろ話し合う材料にしていただきたい。

監督:アンガス・マクレーン 製作:ギャリン・サスマン、アンドリュー・スタントン、ピート・ドクター 声の出演:クリス・エヴァンス、キキ・パーマー、ピーター・ソーンほか(日本語版)鈴木亮平、今田美桜、山内健司(かまいたち)ほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
7月1日(金)より、全国劇場公開
(C)2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
https://www.disney.co.jp/movie/buzzlightyear.html

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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