2022.03.04
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『世の中にたえて桜のなかりせば』 「桜の季節」と「終活」がテーマのヒューマンドラマ

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『世の中にたえて桜のなかりせば』と『とんび』の二本をご紹介します。

あなたはあと何回桜が咲くのを見られますか?

本作はこんなつぶやきから始まる。
はたして人生であと何回桜が咲くのを見られるのかということ。仮にものごころがつくのが10歳くらいだとして、70回見られたら御の字というところだろうか。そう考えると人生なんて、ホントにあっという間ではかないものだなあなんてことを考えてしまう。

本作のタイトルは在原業平が詠んだもの。正確には「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」。古今和歌集の詞書には「渚の院で桜を見て詠んだ歌」と記されている。意味は「もしも世の中にまったく桜がなかったなら、春を過ごす人の心はどれだけのどかでしょうね」。本来春はのどかな季節なのに、人は桜が咲くのを待ち、散るのが気になり落ち着かない。桜があるために人々の心が穏やかでないことを述べて、人の心を騒ぎ立てる力のある桜の素晴らしさを伝えようとしている歌だという。

肝心の映画はそんな桜を絡ませつつ、「終活」の話をも取り込みつつ、これから芽吹いて大きく花開こうという若者と、人生の終わりに向かっていく老人を主軸に、彼らに関わる人たちの様々な人生を見せていく物語だ。

不登校の女子高生と終活アドバイザーの老人が主人公

主人公は女子高生・咲(岩本蓮加〈乃木坂46〉)。彼女は不登校の生徒だ。学校なんか行きたくないという彼女は、終活アドバイザーのバイトをしている。一緒に働いているのは、老紳士の敬三(宝田明)。もと司法書士だったという敬三とともに咲は、危険と隣り合わせの職業で、万が一のために家族に遺書を残そうとする者や余命わずかで思い出を残そうとする者たちに寄り添って「終活」のお手伝いをしていた。

そういう場面からもジワジワと伝わってくるのが「命の限り」。誰もが永久に生きられるわけではなく、必ず『終わり』がある。オープニングの桜のセリフにも関わってくる話だが、限りがあるからこそ、後悔のある人生を送るのはもったいないし、いろいろ選択をせねばならぬ時は選択をしなければならない。

咲の人生はこれからだけれど、それが敬三の人生と照らし合わされる。戦争の終結後に満州から引き上げてきた彼が、どんな思いで敗戦した日本の中を生きてきたのか。大陸から戻った彼をどんな風に当時の人間たちは迎えたのか。

宝田明の体験が活かされた脚本

学校に行きたくても行けなかった時代と、行けるけれども行きたくない現代。2人の人生が対照的に綴られていく。

敬三を演じた宝田氏も、実は満州から引き上げてきたそうで、学校に通い出した頃は、なんと「大陸」というアダ名をつけられたそうだ。今回は宝田氏が体験してきたことや、その思いもしっかりと本作の中に紡がれている。そういうリアリティがまたひとつの映画の実を作りあげている。

もちろん戦争時代は辛く苦しいものだが、現代は現代で辛いものがある。時を超えて、決して人生は楽なものではなく、それぞれの考え方、とらえ方、辛さをいかに乗り越えるかで人生というのは大きく変わってくることを、この映画は静かなトーンで伝えていく。

生徒にイジメられて辞職する女教師の姿に涙

中でも学びの場.com読者の胸に染み入りそうなのが、咲の担任で国語の教師である南雲の存在だ。南雲も夢を持って教師になったひとりだ。しかし彼女は残念ながら、生徒たちのイジメの対象になってしまう。彼女がどんなに懸命に声を張り上げ、授業をしても、生徒たちは私語ばかりして、一向に話を聞こうとしない。そのせいで南雲の声もどんどん小さくなっていく。あげくの果てには生徒たちから「授業やらないのなら、自習にしてください」という声まで飛び始める…。

なぜ強気になれないのだ、もっとビシッと怒ればいいじゃないか…という人もいるだろう。だがそうできない先生もいるのだ。かくして南雲は精神的に乱れ、廊下で号泣してしまう。そんな南雲の泣き声に驚いて教室の外に出た生徒たちは、泣き崩れている南雲をスマホの動画などで撮影し始める。冷淡に冷静に。自分と南雲の間になにかしらの共通点を感じたのもあって、こういった生徒たちの心のない態度に怒りを爆発させた咲は、中でも首謀者的な存在の女子生徒に飛びかかる。

こうして南雲は自暴自棄になって引きこもり生活を送るようになり、やはり学校に行くことを辞めた咲は、時々、南雲の様子を見にいくという、なんとも不思議な関係性になっていく。

桜が下に向かって咲くのは、私達が上に向くため

でもどうなろうとも、無情にも時は過ぎる。桜を見られる回数も減っていく。足を止めて下ばかりは向いていられないのだ。この映画は咲の心の変化とともに、そういった南雲の物語なども巻き込んでいく。そしてどんなことになろうとも、いろいろ手助けはしてくれることはできても、最終的には自分の意志でしっかり立つしかないことを伝えてくれる。予告編でも流れる「桜は下に向かって咲くんです。私達が上に向くためにね」という言葉が胸に刺さるのだ。

いろいろな悩みにぶつかっている人は、是非観てほしい。何か一歩を踏み出したい人の背中を押してくれる作品だからだ。学校なんてつまらないと思っている人も、この映画を観たら何か違う視点を持てるのではないかと思う。特に高校生、咲と同世代の人に観てほしい作品だ。

Movie Data

監督:三宅伸行
出演:岩本蓮加〈乃木坂46〉、宝田明、吉行和子、徳井優、土居志央梨、名村辰ほか
配給:東映ビデオ

4月1日より、ロードショー

©2021『世の中にたえて桜のなかりせば』製作委員会

Story

終活アドバイザーのアルバイトをしている不登校の女子高生・吉岡咲。一緒に働く老紳士・柴田敬三とともに、様々な境遇に置かれた人たちに寄り添いながら彼らの終活を手伝う日々を送っていた。そんな中、咲の担任だった南雲は生徒からのイジメが原因で教師を辞職。咲はイジメの張本人である女子生徒に、自分の気持ちをぶつけるのだが…。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画

『とんび』

父・息子の絆を描く涙なしには見られない傑作

あなたの知らない親の話が展開する

知っているようで、実は知らない部分がたくさんある。それが親というものであると思う。なぜなら自分が生きていく上で、たいていの人にとって親はあたりまえのように存在し、子どもたちに親としての顔をさらしているからだ。でもそれが真実の顔なのかというと、それも正直わからない。なぜなら、子どもは親が親になる前の存在を見たことがないからだ。
親の顔をする前の姿を見たことがないのだから、真実の顔もわからないというわけ。

この映画で主軸となる阿部寛演じる運送業者のヤスこと市川安男のことも、息子であるアキラこと市川旭(北村匠海)は知らない部分がある。例えばアキラには母親がいない。アキラの母・美佐子(麻生久美子)は、アキラがモノゴコロがつく前に亡くなっている。アキラはその真実の理由を大人になるまで知らされないまま育つのだが、実は美佐子を死に至らしめたのは、アキラが原因だ。ヤスの働く現場を美佐子と共に見学に来たアキラだが、その時に倉庫に積まれていた荷を崩すキッカケを作ってしまった。美佐子は咄嗟にアキラを庇って自分が荷の下敷になり、アキラは助かったが、美佐子は帰らぬ人となったのだ。

だがその事を覚えていないアキラは、なぜ母親が死んだのか疑問を募らせていく。まさかアキラのせいで亡くなったなどと、口が裂けても言えないヤスと、アキラを我が子のように可愛がってきた飲み屋の女主人・たえ子(薬師丸ひろ子)も、近所の寺の息子・照雲(安田顕)とその妻・幸恵(大島優子)も、全員がアキラを想って真実を口にしなかった。
だが事故死ということは知らされても、どういう事故死だったのか、細かいことは何も知らされていないアキラの疑念はついに限界に到達。そこでヤスが取った行動は、嘘をつくということ。ヤスを助けようとして美佐子は亡くなったのだという“優しい嘘”だ。

様々な親子像を見せることで親子の絆の大切さを活写

だがこの嘘は、その後の父と息子の関係に微妙な影を落としていく。アキラは父を愛しつつも、時に豪快すぎて乱暴者と化してしまう父に我慢ができず、多感な時期には「母さんじゃなく父さんが死ねばよかった」という主旨の発言をしてしまったりする。

そこから生じる些細なスレ違い。ヤス自身が大酒呑みでいろいろトラブルを起こしがちだというのもあるが、アキラは大学受験のために家を出て、照雲夫妻のもとに身を寄せたりする。ヤスのもとでは勉強に集中できないという理由からだった。ヤスはヤスでアキラのことが、目に入れても痛くないほど愛しているのだが、実はその愛をストレートに表現できないというのがある。それはヤス自身が父親の愛を知らずに育ったからだ。

そう、この映画では、実はヤスとアキラ以外にも様々な親子の姿が描かれる。そのひとつがヤスとヤスの実父の話。様々な事情があってヤスは父親に捨てられるような形で育つことになるのだ。それはヤス自身の人生にも様々な影響を与えた。ハッキリとは描かれていないけれど、ヤスが何かというと拳を振り上げてしまう暴れん坊になったのも、そういった影響が少なからずあると思うからだ。

ヤスたちがしょっ中たむろしている飲み屋の女主人・たえ子にも、実は娘を捨てた経験がある。やむにやまれぬことであったとはいえ、彼女の心にはそれが重荷でのしかかっている。だからこそ、たえ子はアキラのことを我が子のように可愛がったのだ。
そして照雲。彼の父・海雲(麿赤兒)との関係もこの映画ではしっかりと描かれる。

つまりそういった親と子の関係をあらゆる角度で見せることで、親と子の切っても切れない絆の素晴らしさが観る側の心をジワッと揺さぶる上に、改めて親とは真摯に向き合うことで、初めて親を超えることができるのかもな……ということを伝えてくれるのだ。

子どもから見れば、親の真の思いは伝わらぬこともある。だがちゃんとした道を子どもに歩ませるためには時には嘘も必要、時には親が悪党になる必要もあるのだと思う。最近では子どもを甘やかすことはできても、キッチリ怒れないという親も多いと聞く。

子どもと良い関係を保ちたい……それは確かに誰もが求めるものだ。でも良い関係を保つために、子どもを甘やかしてしまうことは違う。叱ることもできない関係なんて親子以下ではないか。生まれた時の子どもは本当に何もわからない。それに分別を教えていくのは、親の役目、家族の役目であるはず。それを放棄してしまったら、子どもは本当の愛情を受け継ぐことなく、生きてしまうのだ。

子どもがちゃんとした大人になるかは大人の責任

それは孫と祖父や祖母の関係だって同様だ。

先日、電車の行き帰りである祖母と孫(推定6歳程度)の姿を見たが、その祖母は車内が空いていてもなぜか孫と一緒に優先席に座り、耳がよく聞こえないのか音を出したままでゲームをやらせ、走り回るよりはということなのか障害のある人が目の前に立っても「席を譲りなさい」と薦めなかった。行きも帰りも偶然同じ車両に乗り合わせるのも何かのご縁だろうが、全く同じように席を譲ることなく、音を出してゲームしている姿を見たのも何かのご縁と思い、この場で執筆することにした。はたしてこの子は中学生になって高校生になってどういう人に育つのか。子どもの頃の教育の真価は、大人になって初めてわかる。自分のこと以外はどうだっていい……という人間に育ってしまうかもしれない。

たえ子とアキラ、照雲夫妻とアキラの関係なんぞを見ていると、別に本当に親子じゃなくても深い関係を築くことはできる。実際、大人になったアキラは勤め先の上司から、年上に評判が良いこと、何か彼のために動きたくなるような魅力を持つ人物と評される。子どもの頃に親だけではなく様々な大人たちに愛され、親以外からも甘やかされることはなく、しっかりと育てられたからだと上司は評価する。教育の大切さを感じられる場面だ。

この映画を観ていると、そういう親子の関係の大切さを感じられるとともに、親世代にはしっかり子どもを責任持って育てることの大切さを、子ども世代には親と真摯に向き合うことの大切さを教えられる。こういう作品を観てアレコレと語り合うことができたら、とてもステキな親子関係だともいえる。親子関係で本音で語れないのは辛いことであり、そして親としっかり繋がれる人は、誰とでも素晴らしい人間関係が築けることを悟らせる本作。改めて家族の関係はすべての人間関係の基本であることを、思い知らされた。

監督:瀬々敬久
原作:重松清
出演:阿部寛、北村匠海、杏、安田顕、大島優子、麿赤兒、麻生久美子、薬師丸ひろ子ほか
配給:KADOKAWA
(C)2022「とんび」製作委員会

STORY
直木賞作家・重松清のベストセラー小説を、「糸」の瀬々敬久監督が映画化。舞台は昭和37年の瀬戸内海に面した備後市。運送業者のヤスは愛妻の妊娠に嬉しさを隠しきれず、姉貴分のたえ子や幼なじみの照雲に茶化される日々を過ごしていた。やがて息子のアキラが誕生。ところがそんな矢先、妻が事故で他界してしまい、父子2人の生活が始まることに。

2022年04月08日(金)より全国公開


https://movies.kadokawa.co.jp/tonbi/

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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