2021.02.10
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『モンテッソーリ 子どもの家』 モンテッソーリ教育法をつぶさに見せるドキュメンタリー

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『モンテッソーリ 子どもの家』と『ソウルフル・ワールド』をご紹介します。

2歳半〜6歳までの子どもたちの姿を追う

モンテッソーリ教育法をご存知だろうか。

最近ならば将棋の藤井聡太棋士が受けた教育として一部で話題になったもの。他にもAmazon.comの共同創設者であるジェフ・ベゾス、Googleの共同創業者であるラリー・ペイジ&セルゲイ・ブリン、そして英国王室のウィリアムとヘンリー王子など、様々な著名人がこの教育を受けて育っているという。そんなメンツを知ると英才教育のような気がしてしまうが、実は根源は自分を育てる能力“自己教育力”を高めて、生涯学び続ける姿勢を持った自立した人間に導いていこうという教育なのだ。

もともとこの教育法は、1907年にイタリアのマリア・モンテッソーリが確立したもの。

『モンテッソーリ 子どもの家』は、この教育を行っているフランス最古の学校に通う、2歳半〜6歳の28人いるクラスを、2年3か月にわたって追ったドキュメンタリー。実際にどういったことが行われているかを、マリアが遺した言葉と共に紹介。この作品を撮りあげたアレクサンドル・ムロ監督の想いとともに伝えていく。

全集中して自分のやりたいことをする子供たち

ムロ監督自身も撮影時に同じくらいの娘がいて別の幼稚園に通わせており、そういう意味で比較しながらこの学校を紹介している。
その中でまず印象に残るのが「子どもたちが静か」だということ。

確かにこの教育を受けている子たちの中で騒いで騒いで仕方ない…というような幼児は2歳半くらいでも存在しない。もちろん外などで走り回っている時は、子どもらしくキャーキャー叫び回っていたりするが、教室に入った途端、みんな静かに自分のやることに集中する。

自分の幼稚園時代などを振り返ると例えば絵を描く時はいっせいに皆で絵を描き、何か作る時も先生が本を読んでくれる時も、皆で一緒に行うという姿勢を取っていた。

ところがここで紹介された学校では、教室内にいる時はみんなバラバラに自分のしたいことをしている。教室にはたくさんの「教具」が置かれており、それを使って彼らは「お仕事」と呼ばれる活動(自分のしたいこと)を行っている。「教具」は本当に様々だ。いわゆる積み木のような、木の小さなブロックみたいなものがあったり、ピンク色のタワーみたいなもの、文字の書かれたカードなど知育玩具的なものもあれば、ビーカーや小さなポット2つが置かれていたり、野菜の皮むき機やヨガマット、オレンジやレモンに使う絞り器など普通に家庭にあるようなものも置かれている。それらにそれぞれの子どもたちは真剣に向き合い、遊び終えるとちゃんと自分で片付ける。

先生たちはもちろん教室内にいるが、別に先生が何かをみんなに強いることはないようだ。とにかく子どもたちにしたいことをトコトンまでさせるのだ。

そういった行為がとんでもない集中力を子どもたちにもたらす。

もちろん初めて取り組む教具は、先生たちがやり方を見せる。でもそれ以降は好き勝手に子どもたちにやらせる。もちろん失敗することも多い。でもどんなにやらかしても頭ごなしに怒ったりはしないのだという。そうすると子どもたちは、自分で追求することをやめてしまうからだ。手助けしないことで、子どもたち自身が様々なことを発見し、自分で道を切り開いていくのだ。

映画の中で、最初はひたすら教室を歩きまわって皆のやることを見ていた男の子が、途中で文字に興味を示しだした瞬間があった。ずっと子どもたちを一歩さがって見ていた教師は、彼が文字に興味を示しだしたタイミングを逃さず、文字に関係する教具を見せる。それだけ。そのタイミングを間違わないことたけで、子どもは水を得た魚のように、言語に対する能力をグングンと伸ばしていった。

子どもたちを信頼する大人たちの姿

正直、このドキュメンタリーを見ていてすごいと思ったのは、子どもたちと絶妙な距離感を取る教師たちだ。「こういうことをやってはいけない」というのは簡単。ずっとうまくいかずに困っている子どもたちに手を貸すのも簡単。けれどもその衝動をグッとこらえて見ているだけというのは、相当にストレスがたまるのではないだろうか。

そして揺らがない姿勢を見せるのもすごい。
ある子どもに教具の使い方を教えている時、別の子どもから質問が入った。すると教師はとてもテキパキと「今は別の子に教える仕事をしているから後で質問を聞くよ」と、説明してみせた。優しく言い聞かせるのではなく、かなりキッパリとした「今はダメ」という拒絶。でも子どもたちは今は「お仕事」だからダメなんだと理解し、それは同じように「お仕事」をしている子どもたちの邪魔をしないという配慮にも繋がっていく。

またこの映画を見ていると、いかに子どもたちを信頼するかが大切かということがわかる。
例えば何度もロウソクにマッチで火をつけては、それをロウソクを消す用の金具のキャップみたいなものがついた棒で消している子が登場した。日本の幼稚園ならば、間違いなく「火で遊んではいけません」と注意のひとつも飛ぶはずだ。だがそれをやらせ続ける。

子どもたちがにんじんの皮むきをしているのにも驚いた。手を切りやしないかと観ているこちらがハラハラしたほど。けれども別段見守る先生たちがアレコレと口を出してくることはない。

コップなどに水やジュースなどが実際に入っているのも驚いた。小学生以上ならばわかるが、4〜5歳だとこぼすことを懸念して水遊びできる場所ならともかく、実際の液体をまず入れたりはしないだろう。ドキュメンタリーの中でも、おぼんに乗せてコップなどを運んでいる時に落としてしまったりしていた。でも机などでこぼした時には、4歳くらいの女の子は自分でちゃんと拭き取ったりしていた。劇中でも言っているが、子どもの頃は親の真似をしたいと思うそうで、おそらく拭き取る行為も家の中で見ていたことだと思うが、そうやってひとつひとつを実際に体験して身につけると、人は明らかに成長する。おぼんに乗せて運んでいた子は、まだまだ危なっかしいけれど、落とすようなことはなくなっていた。

またこんなシーンかあった、ずっとある教具を独占していた子に対して、別の子が自ら苦情をサラリと言ってのけたのだ。「ずっとアナタ使っているんだもん」というような感じで。これも教師を介さずに子どもたち同士で伝えることで、「譲る」という精神が学ばれたと確信した。

自分で考えて行動することが未来社会に必要な教育

こうやってモンテッソーリ教育法の最終目標である「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間」をちゃんと育てあげていくのである。

モンテッソーリ教育法が、日本の社会に実際にどのくらい合うかはわからない。しかしここまで社会が複雑化し、より自分で判断することが大切な世の中になってきた以上、自立をここまで促す教育法はとても重要なのではないだろうか。劇中でも6歳までの教育が人格形成に大きな役割を果たすと説いていたが、それはとても正しいと思える場面が、多々あった。

そういった子どもたちの変化をつぶさに観察している本作を、教育者には是非観ていただきたいと思う。

Movie Data

監督・撮影・録音:アレクサンドル・ムロら
日本語吹き替え版の声の出演:本上まなみ、向井理
配給:スターサンズ、イオンエンターテイメント

(C)DANS LE SENS DE LA VIE 2017

Story

世界中に普及したモンテッソーリ教育。ルーベにあるフランス最古のモンテッソーリ学校の幼児クラスを追って、子供たちが成長していく様とともに、この教育メソッドがどんなものなのかを紹介したドキュメンタリー。日本語吹き替え版では教育法の考案者マリア・モンテッソーリの声を本上まなみ、アレクサンドル・ムロ監督の声を向井理が担当した。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画

『ソウルフル・ワールド』

すべての人々に捧げる素晴らしい人生賛歌アニメーション

コロナ禍で人気を博している配信サービス。「映画と教育」ではこれまでネット配信作品は扱ってこなかったが、今回の『ソウルフル・ワールド』は見逃せなかった。それはもともと本作がディズニー&ピクサーの新作アニメーションで、劇場公開される予定だったからだ。

すでに配信は昨年12月から始まっているので観ている方も多いのではないかと思う。かくいう筆者も実際に観て、これは紹介すべき作品だと確信したので、ここで執筆にいたった。

主人公はジャズの演奏家になりたい男

物語としてはそんなに難しい話ではない。

主人公はジョー・ガードナーという男性。子どもの頃に親に連れられていったジャズ・クラブでジャズの面白さに目覚め、ジャズ・ピアニストになることを夢見るようになる。だが今は非常勤の立場で小学生の音楽教師をやっており、そこそこ年齢も重ねてきている。これまで真面目にコツコツとやってきたおかげで、信頼も得ているのだろう。物語の冒頭では非常勤講師から常勤へ格上げされ、ある意味音楽で食べていくという安定の道も提示される。音楽で食べていくこと。それはジョーの望みでもあった。だが目指した演奏家の道ではないため、ジョーは素直には喜べないでいる。

そんなジョーのもとに飛び込んできたのは、憧れのジャズ・クラブで演奏するチャンス。
成長した教え子がそのチャンスを振ってくれたのだ。大喜びでジャズ・クラブに行って話をまとめたジョーは、まさに夢が叶うと天にも昇るような気持ちで帰宅する最中に、文字通り天に召されてしまう。なんと彼はマンホールに落ちてしまったのだ。

人生について考えさせられる「ポイント」がたくさん

気づけば淡いブルーなソウル(魂)となって、強い光(あの世)に続く道を進んでいたジョー。せっかく夢が叶う直前なのに、死ぬのは嫌だと彼は必死に逃げる。こんな彼が現世に戻れるのかというシンプルかつスリリングな冒険物語が『ソウルフル・ワールド』なのだ。その縦軸にたくさんの人生に関する思いが横軸として絡まっており、それらが実に素晴らしいのである。

例えばジョーの現世への冒険に巻き込まれてしまうのが、まだ生まれる前で、「22」という番号で呼ばれているソウル。実は「22」はかなり長いこと生まれるのが嫌だと拒否し続けてきた過去がある。「生きる」ことに興味を見いだせないでいるからだ。ソウルの世界でやりたいことや好きなことを見つけられなかった「22」番は、ジョーの冒険に巻き込まれたことで、自分の人生の意義とも言える“きらめき(Spark)”を探そうとし始める。

この、情報だけはいっぱい知っているけれども、実際に経験して身につけたわけではない「22」の姿が、なんだかティーン・エイジっぽいのだ。目的がないことに焦り、不安を覚えるけれども、スマホを見ればなんでもわかった気になれるこの情報化社会では、どうしても耳年増になりがち。踏み出す前から失敗を恐れるのも、今どきのティーンの姿を比喩していると言えるだろう。

こんな「22」が、ジョーとの冒険で何を体験していくのか。それがこの映画の大きな鍵となっているのだ。

いつの間にか答えを押しつけていないか!?

そして「学びの場.com」の読者にもうひとつ見てほしいのは、ジョーの教え子である12歳のコニーという少女の存在だ。他の子どもたちが授業中にスマホをいじったり、弾くはずの楽器を家に忘れてきたりと、やる気をほぼ見せていない中、コニーはちゃんと練習してきて楽器を演奏する。だが楽器の演奏に不真面目な子が大半の中、懸命に弾いてみせるコニーの姿はからかいの対象になってしまう。

その後にコニーは、先生であるジョーのもとにきて演奏することを「時間のムダ」と言い切るようになってしまう。そして「演奏なんて辞めたい」とも。懸命にやってきたことを同級生たちに笑われたのだから、当然といえば当然。誰だってこれではスネてしまいたくなる。それに一般論としても、音楽で「プロになる=成功する」なんて確率的には稀な話だし、すべての苦労が徒労に終わることもあるわけで。そう考えると「なんで続けるのか」と疑問が頭をもたげるのも仕方ない話。ジョー自身だって自分の母親から演奏家になる夢は諦めて、小学校の先生として安定した暮らしを選びなさい…と言われているのだから。

でもコニーはジョーと話すうちに、やっぱり音楽を続けると意志を真逆に固めていく。

その理由は、ただ「好きだから」という、根源的かつシンプルなもの。そう、それだけで大きな理由になるし、もしかしたら大きな夢を見ることより、大事なのではないだろうか。
コニーの出した答えは、ジョーだけでなく「22」にも影響を与えていく。特に「22」は「何が好きかもわからない」「何をやりたいかもわからない」ということで、生きる指針が見つからず、逆にだんだん自分を見失っていくように。こういった「22」やコニーの存在を見ていて感じとってしまうのが、大人はいつの間にか子どもたちに自分の価値観を押しつけているのではないか…ということ。

「夢を持て」や「夢中になれることを見つけろ」という言葉は、大人は良かれと思って言ってしまいがち。子どもによってはそう言われて伸びる子どももいる。でもそれをプレッシャーに感じてしまう子どももたくさんいるはず。そんなことにもこの映画は気づかせてくれるのだ。つまり教師にもいろいろ学ぶべきポイントが多く詰まっているということ。

またジョーの行きつけの床屋の話も面白い。
ジョーは床屋のオヤジがずっと床屋になりたくて頑張ってきたのだと思い込んでいた。つまり自分の夢の仕事をしていていいなと、心のどこかで思っていたのだ。だが実際の彼の夢は獣医になることだった。しかしお金がなく、獣医の学校に通うよりは理容師の学校に通うほうが安かったために、その道を選んだ。挫折を経験していたとは。ジョーは意外な話に驚きを隠し得ない。しかも床屋のオヤジはこうも言う。「お前と音楽以外の話ができて良かった」と。ジョーがなぜ今まで身の上話をしなかったのかと聞くと、「お前がきかなかったから」と言われる。

実はこの場面がけっこう秀逸だ。それはジョーが今まで音楽の夢に盲目すぎて周囲を全く見てきていないということを表しているから。そして人にはそれぞれ語れるような人生が山のようにあり、幸せに見えるような人でも様々な挫折を積んでいるということ。もし望みと違う人生を送っていたとしても、それは「妥協」ではなく、そこで新たな「発見」をして、素晴らしい人生を送ることだってあるということなのだ。

見方を変えれば世界は一変するかもしれない

ジョーが「22」と共にどんな冒険をくり広げるのかは見てのお楽しみだが、とにかくひとつ言えるのは、この映画がすべての人間の人生を肯定したものになっているということ。
さすがは『モンスターズ・インク』(01年)や『カールじいさんの空飛ぶ家』(09年)で突飛でユニークな発想に、人生に真摯に取り組んで出てきた答えを織り交ぜてきたピート・ドクター監督らしい素晴らしい人生賛歌の作品となっている。

また、ものの見方をちょっと変えるだけで、この映画は人生が幸せにも不幸にもなることを教えてくれる。挫折もアクシデントも苦しみも大事な人生のエッセンスなのだ。その時はどんなに苦しかったとしても。

コロナ禍で苦しむ人々にも明るい勇気を与えてくれるこの作品は、観ればまさにどんな人にも何かしらの想いをもたらしてくれるだろう。そういう意味では配信という、いつでも誰でもお気軽に視聴できるメディアでの公開も、本作にあっていると言えるかもしれない。

監督:ピート・ドクター 
共同監督:ケンプ・パワーズ
声の出演:ジェイミー・フォックス、ティナ・フェイほか
(日本語吹替え版)浜野謙太、川栄李奈ほか
ディズニープラスにて配信中
(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
https://www.disney.co.jp/movie/soulfulworld.html

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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