2020.10.14
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『罪の声』 歴史的な未解決事件を通して様々な人間ドラマが交錯する

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は『罪の声』と『アダムス・ファミリー』をご紹介します。

自分の声が35年前の事件に使われていた!!

自分が知らないうちに事件に関わっていたら。しかもそれが罪を犯すことに関わっていたとしたら。あなたはどんな気持ちでその事実を受け止めるだろうか。

この映画ではそんな苦境に立たされる人々の姿が描かれる。

父のあとを継いで、京都でテーラーを営んでいる曽根俊也(星野源)は、家族3人で幸せに暮らしていたが、ある日、父の遺品の中に古いカセットテープを見つける。そこに吹き込まれていたのは、子供の頃の家族の会話。

懐かしさを感じながら聞いていると、突然途中から上書きされた録音が入る。それは俊也の声で録音された、道順を告げる声。

聞いた俊也は驚愕する。

なぜなら35年前、日本中を巻き込み震撼させた大事件で、犯人グループが身代金の受け渡しに使用した脅迫テープと全く同じ内容、同じ声だったからだ。

事件は食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。誘拐や身代金要求、そしてさらに売られている食品への毒物混入など数々の犯罪が繰り返され、警察やマスコミまでも挑発。世間の関心を引き続けた挙句に忽然と姿を消した謎の犯人グループによる、日本の犯罪史上類を見ない劇場型犯罪であり、最大の未解決事件のひとつだった。

大日新聞記者の阿久津英士(小栗旬)は、既に時効となっているこの未解決事件を追う特別企画班に選ばれる。今から取材して何か見えてくることはあるのか。取材を重ねる毎日を過ごすうち、次第に35年前は語れなかったが今だからこそ言えると新しい証言が飛び出したりし始める。やがて運命の糸が引き寄せられるように曽根と阿久津は出会い、事件の核心に次第に近づいていく…。

過去を知ることで今の問題を解決する

この間、とある映画でどんなに科学が発展しようとも、過去に戻ることはできないという話があった。

過去は変えられない。

つまり過去に受けた傷は、その人にとって一生のものとなる。傷ついた過去をもとに戻すことはできないのだ。

でもそのまま辛さを背負っているだけでは、それこそ何の解決にもならない。受けた傷は傷として、その後にどういう行動を取るかが大切なのだ。なぜなら「今」は変えられるから。

曽根は自分の声がなぜ使われたのか、誰が録音して、どうして家にあったのか、その真実を追い求めていくが、それは決して自分のためだけではない。子供の声は3人分使われており、犯罪に荷担させられた残りの2人に対する思いも強かったからだ。もし自分のようにその事実を知っていたなら、今も2人も罪の意識にさいなまれているのではないのか。そんな思いも湧いていく。

事件を知れば知るほど、事件に巻き込まれてしまった人達の痛みを感じていく阿久津も、だからこそ真相を明らかにせねばならないという強い思いに駆られていく。

歴史を学ぶ意味も考えさせてくれる作品

エンターテインメント作品として作られているから、謎解き的な要素も強い本作だが、一番胸を打つのはその事件に関わった人々それぞれの当時の思惑と、過去は過去として今を必死に生きていこうとする再生のドラマにある。

過去を知ることで今をよくしようとする姿勢が大切であることを、このドラマを見ると考えさせられるはずだ。

逆にいえば人を傷つけることは、そういう痛みを一生背負わせてしまうということ。例えばいじめなどをしたら、被害者にどんな傷が残るのか。若気の至りではすまされない。何があっても傷つけるべきではないし、それでもどうしても傷つけるならば、それなりの覚悟をもつべきではないかと思う。

飛躍しすぎかもしれないが、それは学校で歴史を学ぶ意味にも通じるのではないだろうか。別に受験のために歴史を学ぶわけではない。先人たちが起こした成功と失敗、それは必ず現代にも通じる。歴史を紐解くことで、実は今問題視されていることの解決法がみつかる可能性があるのだ。同じ過ちを二度とくり返さないためにも、過去を教訓とすべきなのだ。それが歴史を学ぶ大きなポイントでもある。

本作でも現代史の出来事が関わったりするが、それを知っているかどうかで、この映画の面白味も変わるのではないかと思う。映画をより面白くみるためにも、知識というものは必要なのだ。

興味がないから知らない、知らなくていいという考えは、もう古いのではないだろうか。

ネットが発達し、なんでも簡単に調べがつく今だからこそ、その人個人個人の思考がより大切になる時代に変わりつつある。

もちろん年号や歴史の偉人の名前を覚えることも大事。だが物事の根本、なぜそれが起きたのかを理解することが最も大切であり、そういうことを考えることによって思考力をつけることが大事なのだ。そうでなければ積み重ねてきた過去なんて何の意味もないのではないか。

考えてよくしようとする意志があれば、必ずや事態はなにかしら好転する。その意志を持つことの大切さを、この映画は丁寧に教えてくれるのだ。

Movie Data

監督:土井裕泰 原作:塩田武士 脚本:野木亜紀子 出演:小栗旬、星野源、松重豊、古舘寛治、市川実日子、火野正平、宇崎竜童、
梶芽衣子ほか
配給:東宝
10月30日(金)より、全国ロードショー

(C)2020 「罪の声」製作委員会

Story

平成が終わりに近づいた頃、新聞記者の阿久津は、昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれる。35年前の事件の真相を求めて、残された証拠をもとに取材を重ねる日々。その事件では犯行グループが3人の子どもの声を脅迫テープに使用、阿久津はそのことが気になっていた。一方、京都でテーラーを営む曽根は、その声のひとりが自分だと知る…。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画

「差別」の問題提起をエンターテインメント表現で描く傑作アニメ

独特の嗜好を持つアダムス家の人たち

テレビドラマや90年代の映画版などで知られる「アダムス・ファミリー」。今回アニメという形で作られた本作は、一見すると楽しいコメディだが、実は深いテーマを下敷きにした作品に仕上がっている。

主人公となるのはアダムス家の面々。主人であるゴメスと妻のモーティシア、長女のウェンズデーと長男のバグズリー、フェスターおじさん、執事である大男のラーチだ。彼らは丘の上にあるいつも濃霧が取り巻く、荒れ果てていてしかも幽霊が出るゴシック・ホラーそのもののような屋敷に住み、他の人間たちとは関わらずにひっそりと静かに暮らしている。というのもゴメスとモーティシアが結婚した日(その時は彼らは他の親戚たちと共にみんなで同じ村に住んでいたが)、一族をモンスターと恐れる人たちが彼らのことを襲った経緯があったからだ。そのせいで一族は離散してしまうことに。

今回面白いのはもともと彼らはモンスターだと資料などには書いてあるのだが、アニメ版の中では一切そういう説明はない点。人が恐れるものを好きだったり、風習や考え方、愛するモノが独特だけれど、それ以外はとても愛情が強い一家族として描かれている。

つまり静かに暮らす彼らには、なんの問題点もない。

なのに丘の下で新興住宅地が建設され、アダムス家にしてみれば美しかった沼などが開拓されたせいで濃霧が消え、不気味な屋敷が露わになったがために、新興住宅地に住む人々は不安を感じ始める。

特にこの住宅地をプロデュースした人気番組(家をステキにリフォームして理想の住宅地を作る番組)の司会者マーゴ・ニードラーは、異質な彼らを目の敵にし、追い出すか自分たちと同じようなものを愛するようにしようとするのだ。意識の矯正だ。

「普通」という分類は何なのか

そう、いわばこの作品は、異端を恐れる人間たちの差別意識をエンターテインメントな表現の中で露わにさせていくのだ。自分と違うというだけで、外見だけで、その人を本質的に知ろうともせずに決めつけてしまう人間の邪さを、笑いにしている作品なのだ。それこそホロコーストから、最近ならば「Black Lives Matter」にまで流れるような問題がテーマになっている。

恐ろしいのはむしろマーゴ以下、「普通を愛する人々」だ。同じようなカラフルな家に住み、人と同じであることに安心する。際立った個性などを敬遠する姿勢は、実は個性を尊ぶアメリカのような国でも郊外住宅地などには本当に見られる傾向だそう。またそれはやはり他人と同じであることに安心しがちで、他人の目を意識することが多い日本人にもあてはまる気がする。さらにはコロナ禍で何やら殺伐とし、警戒レベルが引き上がった世界全体にもあてはまる要素がある。

一体、「普通」とは何なのか。何が「普通」なのか。
人が100人いれば100通りの考え方があるのが当然だ。考え方次第では、その固定観念、決めつけこそが「差別」を生む結果になっているのかもしれない。

是非小学校高学年から高校生にかけてまで、
この映画を楽しんで見つつもそういう問題提起について思いを巡らせていただきたい。些細なことから意識をするだけで、世界を取り巻く「差別」問題は、少しでも減少するはず。この映画はそんな大切なことを教えてくれる。



『アダムス・ファミリー』

監督・製作・原案・声の出演;コンラッド・ヴァーノン 監督;グレッグ・ティアナン 声の出演:オスカー・アイザック、シャーリーズ・セロン、クロエ・グレース・モレッツ、フィン・ウォルフハード、ニック・クロールほか(日本語吹替え版)生瀬勝久、杏、二階堂ふみ、堀江瞬、ロバート秋山ほか 
配給:パルコ
絶賛公開中

(C)2020 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved. The Addams Family (TM) Tee and Charles Addams Foundation. All Rights Reserved.

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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