2012.01.24
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近過去の記録

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

ここ数年、学校の歴史資料の整理を行っています。日常業務の片手間で図書館司書や学芸員のまねごとをひとりでやっている感じです。そのような中で最近興味を持っているのが、ここ40年ばかりを目安にした「最近の過去」いわゆる「近過去」の記録。以前、「懐かしさマイナス40年の法則」というタイトルで書かせていただきましたが、「近過去」は「懐かしい」と感じる範囲の歴史でもあります。

 

さて、学校歴史の整理をするにあたって、この「懐かしい」という感覚は危険です。歴史記録は客観的立場というのが絶対ですが、「懐かしい」感覚は総じて主観的。「懐かしさ」のど真ん中の人に入り込めば、この感覚は快感そのもの。一方、「懐かしさ」から外れてしまえばつまらない昔話に過ぎません。

 

例えば今から20年前、1992年の学校での出来事。50代の先生は働き盛りの30代、40代の先生はフレッシュな20代。そうした世代の方に20年前の話を聞けば、当時の思い出をたっぷりと「主観的に」語ってくれます。一方、私を含む30代は学生。上の世代の人とはまた別の主観で「懐かしい」感覚を持っています。しかし20代ともなれば幼少期の記憶であり、特別な主観はあまりないことでしょう。1992年の学校での出来事ひとつとっても、世代によって捉え方や感情に温度差が生じます。

 

しかし今現在、20年前の過去である1992年も20年後には40年前の、40年後には60年前の出来事になります。1992年が「近過去」の範疇を超えたとき、すなわち客観的な説明を義務付けられた「歴史」の資格を得たとき、その頃の話をきちんと「歴史」として語ることができるかどうか。学校史編纂の係といえば大抵、社会や国語の先生が多いと思うのですが、職業柄、どうしても「オーバー近過去」の研究中心となり、「近過去」を軽視しがちです。こうなると、この「時代」の歴史が将来すっぽり抜け落ちることになります。「近過去」が「歴史」に変わったとき、その時々の学校史編纂係に先延ばしするのはあまりに無責任です。

 

山陽学園は昨年、創立125年でした。あと25年経てば創立150年。それなりにまとまった学園史を編纂しなければいけません。現在、学校の歴史の基本となっているのが1986年に発刊された「100年史」。24年後には、「100年史」以後50年の歴史を記述する必要があります。24年後の学校史編纂係を困らせないためには、1986年からの出来事が「近過去」であるうちに努めて客観的に記録していかなければなりません。これが実に難しいのです。

 

「近過去」を語る文書、写真は一般的に「史料」として認められていないので散逸しがちです。また、当事者に聞き取りをしても、主観たっぷりで楽しそうに語ってくれる中から客観性を見出さなければいけません。「懐かしさ」との戦いです。

 

「近未来」を客観的に記録できたとき、それは未来の歴史家への素敵なプレゼントになります。そう考え、今日もひとり妙な使命感に駆られて資料室にこもっています。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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