2008.10.08
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教師になった理由

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

よく生徒から「なんで先生になったの?」と聞かれます。しかし、いつも明快な答えを出すことができません。私自身、ドラマに出てくるようなかっこいい先生ではありませんし、逆に人に言えないような暗い過去を背負ったワケ有り教師でもありません(笑)。

と、いうより今まで、「何で先生になったのか?」ということをゆっくり考えたことはありませんでした。

はじめて「職業としての教師」を意識したのは高校生の頃でした。ところが、大学に入って教職課程の単位をとったものの、「先生になりたい」という思いは急速に萎んでいきます。マスコミ関係、それもアナウンサーになりたいという思いが大きくなってきたのです。そのようなわけで教育実習も実に不真面目でした。(当時指導してくださった先生に申し訳ない気持ちでいっぱいです)実習の合間にマスコミの採用試験を受けまくっていたのです。しかし、あるTV局のアナウンサーの(たぶん)最終選考に残りながらも採用されることなく、大きな挫折感を味わいました。

その後の数ヶ月間、自分は大学を出たあとにどんな仕事に就くのだろうか?と悩み、一方で悩んでいながらも能動的な行動を起こすこともできず、悶々とした日々を送ることになります。大した夢も希望もなく、「何でもいいから仕事にありつければいいや」とばかり、色々な会社の採用試験を受け続けます。しかし、当時は就職氷河期真っ只中。中途半端な気持ちは人事の担当者に簡単に見抜かれてしまいます。

そんな中、転機が訪れます。マスコミの採用試験に挑んでいた時期に、義理で受験した陸上自衛隊の採用試験にどういうわけか合格してしまいました。採用担当者の方からは「30倍の倍率を合格したのだから、ぜひ、入隊してください!」と何度も声をかけられ、具体的な入隊日と入隊場所、入隊後の給与関係の書類などが送られてきます。

入隊するつもりははじめからありません。ここで本気で考えました。自分は本当に何がやりたいのだろう?そのとき、高校生の頃抱いていた漠然とした夢を思い出しました。

「学校の先生になろう!」

晩秋と呼ばれる時期に差し掛かっていました。遅すぎるスタートです。公立学校の採用試験はとっくに終わっています。残っているのは私学のみ。卒業論文執筆の合間に大学に来ていた求人に片っ端からアプローチします。採用試験に呼ばれるのはまだ良い方で、書類でハネられることが何度もありました。なかなか思うように進みません。

年が明け、卒業が近づいてきました。私学の採用試験のピークも過ぎ、「今年はダメか・・・」と諦めかけていたとき、履歴書を預けていたある高校から電話がかかってきました。

「公民の非常勤講師を探しているのですが、まだ行き先が決まっていないのでしたら、うちに来ませんか?」

断る理由などありません。正規の教諭ではありませんが、「学校の先生」になることが決まりました。今も勤めている山陽学園との出会いです。その後、正規の採用試験を受け、教諭となることができ、9年目を迎えました。

ここまで読んで来られたみなさま、「学校の先生になった理由」が書かれていないじゃないか!と思われるかもしれませんが、この大学最後の1年間の迷いの末、選んだ職業が「先生」だったというのが答えになるのでしょうか?

先生になったきっかけはとても胸を張れたものではありませんが、今、この職業について本当によかったと思っています。毎日毎日が新しいこと、未知の連続。色々なことを経験させていただき、本当に感謝しています。

というわけで、後期も半年間、よろしくお願いいたします。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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