2018.04.04
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意外と知らない"学校建築・学校家具のトレンドの変遷"(vol.1)

江戸時代、日本の識字率は当時世界的に見ても驚く程高く、庶民の寺子屋における教育は非常に充実していた、という話を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。元々は寺院における師弟教育が由来となり、「寺子屋」の名称が残ったとも言われています。やがて寺子屋が学校に変わり、学びの環境は大きく変化しました。第1回では、学校建築がどのように生まれ、発展していったのかという経緯と、最近のトレンドについて見てみようと思います。

学制の発布

近代日本の「学校」の成立は、1872(明治5)年の『学制』の発布によります。前年1871(明治4)年に廃藩置県が行われ、政府の行政機構である文部省が設置されました。その後、文部省が全国の諸学校を統括する制度になったのです。

それまでにも近世、学校は多数設けられていましたが、その教育の中心は武士のものであり、様々な学問別に子弟を教育する場として藩校などが設けられていました。ここでは非常に高い水準の学問や教養が求められ、専門の学校や学者の開設した家塾などもありました。また、庶民にも武士の学校とは別に手習(てならい)を教える小さな学校が生まれました。これが寺子屋です。ここでは庶民が日常生活に必要とされた基本文字の習字から始まり、読書、計数などの学習が行われたようです。この寺子屋が江戸時代の中期から各地に設けられるようになり農山漁村にまで普及し、江戸時代の末期には寺子屋の数は1万5千から2万程あったと推定されています。このことがのちの初等教育の発展に重要な基盤となっていったようです。

「学制」によると、全国を8の大学区、各大学区を32中学区、各中学区を210小学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を各1校設けるとされており、全国で53,760の小学校創設を企画するという壮大な構想でした。2017年現在、全国の公立小学校数は約20,000校ですので、その3倍弱の数が構想されていたことになります。実際には全国の寺子屋や寺院などを元に開校したものが多かった(4割は寺院、3割は民家を借用していた)ようですが、1876(明治9)年には全国で約24,947校、1879(明治12)年には約28,025校の小学校が開校されていました。

約5年間で現在の公立小学校よりも多くの小学校が開校されたのですから、その勢いは物凄いものであったのではないでしょうか。またこの頃には教育内容も、寺子屋時代のものから小学校教育への移行が進んだようです。

全国の公立小学校数と児童数の変遷(文部科学省 学制100年史のデータより作成)

全国の公立小学校数と児童数の変遷(文部科学省 学制100年史のデータより作成)

学校建築の始まり

「学制」による壮大な構想はあったものの、国は実際に学校を建設する予算は持っていなかったようです。今から考えると驚くような話なのですが、当時の学校建設は寄付によって賄われており、各地域が自ら設置していたのです。こうしたことからも、寺子屋や寺院を元に開校されたという経緯が納得できます。初期には華やかな洋風の学校建築が建てられこともあったようですが、数の整備が喫緊の課題であった当時、建築単価の安い画一的な建築へと転換します。一方で各地域に建てられた学校は、設計上採光や換気の面での問題も多く、教室が暗かったり、一酸化炭素中毒の事故なども起こったようです。

学校建築の画一化

小学校設備準則(1890・明治23年)・尋常中学校設備規則(明治24年)・尋常師範学校設備規則(明治25年)が相次いで公布され、明治中期には教育環境の改善された片廊下型の定型的な学校が急激に増えていきます。特に片側教室の廊下を南面すべきか北面すべきかについて活発な議論がなされ、次第に北側廊下、南側教室論に固まっていきました。

1895(明治28年)「学校建築図説明及び設計大要」が出され、学校建築のモデルプランの体系的な提示がされました。具体的には、
・ 採光、通風のため片廊下型平面図が推奨された
・ 運動場はなるべく南方、東方の位置を選ぶ
・ 四間×五間(現在の標準的な大きさの教室・約7メートル×9メートル)の大きさの教室を最大とする 等
といった項目と建築の図面が提示され、学校建築の定型化が進みました。環境的にも整合性のとれた学校建築はこれを原型に約100年間基本的な変化をせず受け継がれていきました。大半の人が想像する学校の形はこうして出来上がっていったのです。こうした定型化は個人住宅や他の公共施設、オフィスなど他の建築ではあまり見られない、大変珍しいものです。

学校建築の拡充

その後も大正から昭和にかけて学校の量産整備が進められたのですが、大きな変化がありました。

一つ目は、関東大震災(1923年)を代表とする災害が次々と起こり、木造がRC(鉄筋コンクリート 以下RC)造に変化してきたこと。

二つ目は、教育における創造性や自発性を重んじる考え方、実験や体験的な学習を重視する新しい教育方法の導入などが進み、特別教室(理科室や音楽室など)が設けられるようになったこと。

この頃ガスや電気などの設備も充実し、今日の学校校舎に近い形が完成してきます。

戦後の学校建築

終戦の後、戦災復興と新教育制度の発足、児童数の急増に対応する学校の整備に追われる状況や、教室・教員の不足による環境低下を受け、国レベルの標準化や規格化の検討が再び開始されました。1949(昭和24)年のRC造校舎の標準設計、1954(昭和29)年の鉄骨造校舎JIS化があり、より豊かな学校建築が検討され、モデルスクールの実施も行われましたが、それ以降、「標準設計」のRC造の画一的な学校が量産され続けることになりました。現在では国公立の小中学校のほとんどがRC造です。

全国の国公立の小中学校校舎の構造(文部科学省 学校基本調査、学校施設実態調査等から作成)

全国の国公立の小中学校校舎の構造(文部科学省 学校基本調査、学校施設実態調査等から作成)

オープンスクールの登場

1970年代から、イギリスで始まった「オープンスクール」の考え方が日本でも広まり、実施例が出てきます。「オープンスクール」とは、児童一人ひとりの個性や創造性を重視するインフォーマルエデュケーションへの小学校改革を提唱し、実践するものです。これまでの閉鎖的・画一的な普通教室の学習だけでなく、グループ学習や子どもの居場所を考慮したプランニングになっており、各国に影響を与えました。

日本の教育も少なからずこの影響を受け、「オープンスクール運動」として発展しました。授業形式なども含めたこれまでの画一的なスタイルを打破しようという学校教育の方法論の再考の時期に入っていきます。

1984(昭和59)年、文部省による「多目的スペース補助」制度が発足し、オープンスペースや多目的スペースを新築・改築に際して設けようとする場合に、在来の校舎建築にプラスして加算面積の建設費補助を認める制度です。この制度によって10年間で、全国でオープンスペース・多目的スペースを保有する学校が3,000校を越したとの報告もありました。しかしこの勢いも90年代になると減速し、教育の中身と結びつかない大きな部屋が作られることや、家具などの活用がないただの教室が作られることも増え、収束していきます。

学校建築の耐震化

1981(昭和56年)に新耐震基準が施工され、それ以前に建てられた建築物の耐震化が進められましたが、学校施設は耐震化が非常に遅れていました。2002(平成14)年の調査で耐震診断を行なっていた学校は全体の3割程度にとどまっており、これを危惧した文部科学省では緊急対策等を行い、耐震化を進めてきています。2017(平成29)年の調査では、公立小中学校の98.8%が耐震化を完了しています。耐震化に伴い、トイレなどの水廻りや落下防止の天井工事、内装の木質化を同時に行う学校も多く、あるものを有効活用する流れが出て来ます。

文部科学省 「公立学校施設の耐震改修状況フォローアップ調査の結果について 調査結果 資料2」より抜粋

文部科学省 「公立学校施設の耐震改修状況フォローアップ調査の結果について 調査結果 資料2」より抜粋

多様化する学校建築

その後、“学校は、建築設計者と共に地域と密接に結びつきながら維持する”方向へと移行しているのではないでしょうか。元々自治体が資金を出して作る学校は、地域のものであり、そこに住む人々のものであるという考えが強くなってきている印象を受けます。例えば地域産の木材をふんだんに使用した木造校舎、地域センターや福祉施設との複合化、小中一貫校など、学校ごとに特色のある建築を地域住民と一緒になって建てる事例が非常に増えています。特に人口の減少している地域では少子化が深刻で、子ども達に地域を理解してもらい、地域を愛してもらうような学校を望む声が多いのではないでしょうか。また、施設を有効に利用するために他施設との複合化や、図書室や多目的室の地域開放を前提とした建築計画を行う自治体も増えています。

文部科学省や林野庁では公立学校施設整備費国庫負担金を準備し、校舎で構造や建築環境が確保される場合は木造校舎を推進しています。2010(平成22)年「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」(法律第36号)が成立し、林野庁が公共施設の内装等にできる限り木材を利用するよう呼びかけています。2014(平成26)年には建築基準法が改定され、大規模な建物や3階建ての建築物が木造でも可能になり(一定の防火措置を講じた場合)、今後さらに木造校舎が増える可能性があります。

学校建築のこれから

公立小中学校は、建築後25年以上を経過した施設が保有面積の約7割を占めており、国・地方とも厳しい財政状況の下、学校施設の安全面や機能面の改善を図るため、文部科学省では、従来のように建築後40年程度で建て替えるのではなく、長寿命化改修を行い、建築自体はより長い年数使用し、内装を更新しながら機能を向上させる方針を掲げています。また、災害時に避難所として利用される学校施設は、地域の住民を守るため、構造面だけでなく設備面の充実を図り、いざという時に備えることも非常に重要です。

今後は、あるものを修繕しながらより使いやすいものにして充実させ、計画的に建て替えていくという難しい段階に来ていますが、子ども達のためだけでなく、地域住民のために、地域のものという自覚を持って学校建築について皆で考えていく必要があるのではないでしょうか。

構成・文:内田洋行 学びのコンテンツ&プロダクト企画部 今井茜

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