2005.12.27
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今どき小学生と日本の伝統文化について

お琴よりもピアノ、日本舞踊よりもバレエ、柔道よりもサッカーと、今どきの子どもはもちろんのこと、親 である私たちでさえ日頃触れることの少なくなった「日本の伝統文化」。最終回のテーマは、その日本伝統文化と今どき小学生との関わりについて。最近、わが息子は歌舞伎の体験教室に参加することになった。さて、その成果は?

 毎年クリスマスが終わった途端、街は手のひらを返したようにお正月ムード一色に染まる。TVでは和服姿のアイドルがにっこりと微笑み、年賀状、おせち、初詣……いわゆる和モノ情報のオンパレードとなる。畳のないオール・フローリングの部屋に暮らし、座布団のないダイニングテーブルで食事を摂るいまどきの家族にとって、年末年始の約10日間だけ身近にある〈日本の伝統文化〉。日本人にとって「和」はアイデンティティではなく、「和風」というひとつの季節行事に成り下がりつつある。

 困るのは海外に出たときだ。日本製の自動車や電化製品の話題で盛り上がることもあるが、京都に代表されるような古きよき美しい日本&日本人像をイメージする彼らの多くは、必ず文化の話題でコミュニケートしてくる。その途端、日本人はオロオロ、タジタジ……。かくいう私もそんな失敗を繰り返している一人だが、「私」の前に「日本人」である海外では、どんなに流暢に英語が話せても、自国の文化や歴史や背景をきちんと伝えられなければ、一歩踏み込んだコミュニケーションは得られない。国をあげて子どもの英語教育に熱心になるのは結構だが、はたして学校も親もその落とし穴に気づいているだろうか? そこで今回で最終回となるこのコラムでは、いまどきの小学生と日本の伝統文化について考えてみたいと思うのだ。

 かろうじて箸は使うものの、畳とも座布団とも無縁な現代家庭。普段の生活のなかで「セレブ」を意識することはあっても、「日本人」を意識することはほとんどない。そもそも親である私たち(20~40代)からして、正座すらマトモにできない世代なのだ。トホホ……。そんな家庭で育つ子どもたちが、日本の伝統文化に触れる機会があるとしたら、唯一、習いごとの時間かもしれない。日本伝統の習いごとといえば、日本舞踊を筆頭に茶道、華道、お琴に三味線、長唄……。そこにスポーツ系の空手や合気道や柔道、剣道とくるが、少なくともいま私の周囲で、日本舞踊を習っているという女の子は皆無である。当然、茶道や華道、お琴も聞かない。かつてポピュラーだった書道教室に通う子もいない。正座する日本舞踊よりは体の線を美しく整えるバレエ、同じ場所をとるならお琴よりピアノ。探せば教室自体はあるが、少子化の昨今、子どもクラスよりも若い女性向けクラスのほうが盛況らしい。子どもの習いごと環境は、完璧に和から洋へ移行してしまった。

 ところが、だ。いまどきの子どもたちが日本文化にまったく興味がないのかというとそうではないのである。NHK教育テレビに『にほんごであそぼう』という人気番組があるが、そこに登場する狂言師・野村萬斎の「ややこしや」や落語の「じゅげむ」、歌舞伎狂言「白波五人男」(弁天小僧菊之助)のセリフは幼稚園や小学校でも大ブームになった。日本語特有のリズム感を持った言い回しは、いまどきの子どもたちの体にも自然と入っていくのである。問題は、せっかく得たそのきっかけを次に活かす場が少ないことだ。

 お家芸という障壁。親と同伴で能楽堂や歌舞伎座や寄席に足を運ぶことはできても、それは受身の鑑賞でしかない。知識欲豊かな大人なら受身オンリーでもいいのだが、子どもたちは違う。子どもは、自分の体を動かしてナンボ。長時間の舞台を黙って観るより、そのセリフを自分の体を使って表現することで、狂言や歌舞伎や落語の魅力をグイグイ吸収していく。子どもは頭からではなく体から入る生き物なのだ。

 わが家の息子もそんな子どもの一人だった。TVでセリフを覚えては繰り返し、家族の前で自慢気に披露する。「そんなに興味があるなら」と日本舞踊を勧めてみたが、「ただ踊るだけじゃ面白くない」という。彼のなかの何かがせっかく〈日本〉を呼び寄せているのに、はてどうしたものか? そんなとき学校で配られた一枚のチラシ。それは子ども向け歌舞伎体験教室の案内だった。家に持ち返るなり「これ、やってみたい」と息子。本人の意思は尊重せねばならない。右も左もわからぬまま、親子で稽古場へと赴いた。

 稽古のスタートは、正座の指導からだった。大切なのは和服を乱さないことと、音をたてないこと。まず右足を少し後ろに引き、左ひざから静かにつく。次に右ひざをつき、両足指を返して座る。手の位置、視線、そして挨拶。頭の下げ方に、体の起こし方……。正座ひとつの所作にもさまざまなことが詰まっている。その日、集まったのは30名ほどの小学生だったが、不思議だったのは最初はぎこちなかった彼らが2回、3回と繰り返すうちに、流れるように静かに正座できるようになることだ。この「静か」というのは、単に物音をたてないだけではない。正座するたびに子どもたち一人一人の心が静まり、そうして生まれる「静かさ」なのだ。
「いまどきの小学生ってばやるじゃん!」

 日常、母親や教師が「静かにしなさい!」と声を張り上げて強制する静かさとはまったく種類が違う。そうこの静かさは、京都の寺院や能楽堂で感じるものと一緒だ。〈所作から生まれる心〉。日本の伝統文化には、日本人が持っている美しい心を自然と喚起する力がきっとあるのだろう。アタマでっかちに、知識ばかりを押しつけてもダメなのだ。体と連動することで、心は変わるのだ。

 いまどきの小学生のみならず、親である私たちも、教師も、周囲の大人たちも、そろそろ自分のなかの日本人を取り戻さなきゃいけない。でも何も難しいことはないのだ。まずは、正座から。もう一度、はじめてみよう。

 本コラムはこれで最終回となります。ご愛読ありがとうございました!

イラスト:Yoko Tanaka

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