2005.02.22
公立校初体験。テラダの結論(はじめての公立小)
公立校は、選びに選んだところで結局はフタを開けてみなければわからない。おばけが出たらおばけを、へびが出たらへびを、ピエロが出たらピエロを、思いきり楽しんでしまえばいい。かつては「公立校にはリスクしかない」と思っていたテラダ。しかしいつしか、すっかり公立校の面白さにハマっていた...。
月日の流れは早いもので、我が家の双子が小学校に入学して1年近くが経とうとしている。行事と長期休暇に追われているうちに、あれよあれよとここまできてしまった。「あいうえお」はもちろん、足し算、引き算、縄跳びに水泳、そして友達との放課後遊び。幼稚園の年長の頃には、おおよそ不可能だったことを、気がつけば二人ともスイスイとこなしている。同じ一年という時間でも、幼稚園と小学校の密度はあきらかに違うのだ。もちろん子どもたちの年齢もあるが、その飛躍的な成長ぶりに<小学校6年間>という時期の大切さを痛感させられる。
そんな折、幼稚園時代の友人の誕生会に招かれた。年少から年長までの3年間をともに過ごした<戦ママ友>とも呼ぶべき母親たちも久々に顔を揃え、現在は各々違う区立小学校に通う保護者でもある私たちは、自然と情報交換する形になった。当然、話題の行きつく先は<いまの学校に満足しているか?>ということになる。
みな、区は異なるが、同時期に学校選択制を経験した者ばかりである。「なんたって友達は多いほうがいい」と通学に20分以上かかるマンモス校を選択した母親、「自宅から近くてのんびりした学校へ」と統廃合覚悟で小規模校を選択した母親、ほかにも「幼稚園時代の友達が多い学校」、「公立だけど中学受験率の高い学校」、「引越ししたばかりだから区域の学校」……と、選択理由も学校の規模もカラーも、そして抱える不安も不満も、さまざまな公立小学校に通っている。ちなみに私の場合は、これまでこのコーナーでさんざん書いてきたように「双子を別々のクラスにするため複数クラスの学校を希望していたが、選択可能かつ通学距離に無理のない数校が最終的にすべて単クラスになってしまったため、幼稚園の卒園式前日に学区域の超小規模校」に行きついた。要は、学校選択にあたって一番最初に切り捨てた学校に、グルグルとめぐりめぐった挙句、入学してしまったわけだ。まさに<不毛な学校選択制>体験者で、負け犬も負け犬(笑)。そんな私に比べたら、彼女たちはみな筋の通った学校選択をし、順風満帆な勝ち犬……に見えなくもなかった。少なくとも、昨年の春、入学したときまでは。
母親たちの歯車が狂いだしたのは、夏休みに入るころからだ。「授業の進みが遅い」「宿題が全然出ない」「クラスに問題児がいる」「担任の対応が頼りない」……。ところが、1年生が21名という超小規模校のわが双子クラスは、他の母親たちがもらす不安や不満に、どれひとつあてはまらなかった。入学してみると、小人数ゆえ進みは早く、宿題もほどよく出て、目が行き届きすぎるほど届くクラス内では問題の芽も出る前に摘み取られていく。なんたって、担任がベテランでこれまた厳しい。世の中に<ママより怖い>存在があることを知った子どもたちは、まず驚愕し、次第に家庭と学校との違いを学び、社会の広さを体感した。怖い先生のおかげで、それまで自分たちにとってすべてだったママが、単なる母親――だからこそ特別な存在であることにうすぼんやりと気づいたのだ。外に出て初めて知る家庭のありがたみ(笑)! こんな意外なお土産までついてきたのだった。
「それは恵まれてるよ~」という母親Aはマンモス校に通っている。マンモスとはいっても東京の中央部なので、3クラスにびっちり子どもが埋まっている程度だが、そんな彼女が目下悩んでいるのは「同じクラスなのに子どもたちの名前と顔が一致しない」こと。ましてや、年に何回かの行事でしか顔を合わせないその保護者たちのことなど、当然覚えきれるわけがない。「公立だから、地元のスーパーで挨拶されるんだけど困っちゃうんだよね……」と彼女。この悩みには非常に賛同者が多かった。でもその分、わが校では絶対にあり得ないクラス替えという未知なる可能性も持っているわけだし、グランドだって校舎だってたくさんの子どもたちに溢れイキイキしているはずだ。
どんな学校にもメリットもあればデメリットもある。とはいえ、高い授業料と引き換えに最低限の環境が保証される私立と異なり、何が飛び出すかわからない公立はまさにビックリ箱だ。でもビックリ箱にはリスクしかないのだろうか? おそらく一年前の私なら「リスクしかない」と答えていただろう。しかし、いまは違う。こだわりにこだわって学校を選んだところで、結局はフタを開けてみなければわからない。そして肝心なのは、フタを開けてからなのだ。おばけが出たらおばけを、へびが出たらへびを、ピエロが出たらピエロを、思いきり楽しんでしまえばいい。「まだ小さな子どもにそれを望むのか?」そんな真っ当な質問をぶつけてくださる方々には、こう答えたい。「いいえ、まず楽しむべきは親です」と。学校に理想を求め、選択してるのは子ども自身ではなく親である私たちだ。親が学校を楽しめば、自然と風通しがよくなってくる。子どもたちはいつしかそれをキャッチする。世界中どこを探したって、<パーフェクトな学校>などありうるはずがない。なぜなら、学校は<人間>というこの上なく曖昧なものを育む場なのだから。
そんな折、幼稚園時代の友人の誕生会に招かれた。年少から年長までの3年間をともに過ごした<戦ママ友>とも呼ぶべき母親たちも久々に顔を揃え、現在は各々違う区立小学校に通う保護者でもある私たちは、自然と情報交換する形になった。当然、話題の行きつく先は<いまの学校に満足しているか?>ということになる。
みな、区は異なるが、同時期に学校選択制を経験した者ばかりである。「なんたって友達は多いほうがいい」と通学に20分以上かかるマンモス校を選択した母親、「自宅から近くてのんびりした学校へ」と統廃合覚悟で小規模校を選択した母親、ほかにも「幼稚園時代の友達が多い学校」、「公立だけど中学受験率の高い学校」、「引越ししたばかりだから区域の学校」……と、選択理由も学校の規模もカラーも、そして抱える不安も不満も、さまざまな公立小学校に通っている。ちなみに私の場合は、これまでこのコーナーでさんざん書いてきたように「双子を別々のクラスにするため複数クラスの学校を希望していたが、選択可能かつ通学距離に無理のない数校が最終的にすべて単クラスになってしまったため、幼稚園の卒園式前日に学区域の超小規模校」に行きついた。要は、学校選択にあたって一番最初に切り捨てた学校に、グルグルとめぐりめぐった挙句、入学してしまったわけだ。まさに<不毛な学校選択制>体験者で、負け犬も負け犬(笑)。そんな私に比べたら、彼女たちはみな筋の通った学校選択をし、順風満帆な勝ち犬……に見えなくもなかった。少なくとも、昨年の春、入学したときまでは。
母親たちの歯車が狂いだしたのは、夏休みに入るころからだ。「授業の進みが遅い」「宿題が全然出ない」「クラスに問題児がいる」「担任の対応が頼りない」……。ところが、1年生が21名という超小規模校のわが双子クラスは、他の母親たちがもらす不安や不満に、どれひとつあてはまらなかった。入学してみると、小人数ゆえ進みは早く、宿題もほどよく出て、目が行き届きすぎるほど届くクラス内では問題の芽も出る前に摘み取られていく。なんたって、担任がベテランでこれまた厳しい。世の中に<ママより怖い>存在があることを知った子どもたちは、まず驚愕し、次第に家庭と学校との違いを学び、社会の広さを体感した。怖い先生のおかげで、それまで自分たちにとってすべてだったママが、単なる母親――だからこそ特別な存在であることにうすぼんやりと気づいたのだ。外に出て初めて知る家庭のありがたみ(笑)! こんな意外なお土産までついてきたのだった。
「それは恵まれてるよ~」という母親Aはマンモス校に通っている。マンモスとはいっても東京の中央部なので、3クラスにびっちり子どもが埋まっている程度だが、そんな彼女が目下悩んでいるのは「同じクラスなのに子どもたちの名前と顔が一致しない」こと。ましてや、年に何回かの行事でしか顔を合わせないその保護者たちのことなど、当然覚えきれるわけがない。「公立だから、地元のスーパーで挨拶されるんだけど困っちゃうんだよね……」と彼女。この悩みには非常に賛同者が多かった。でもその分、わが校では絶対にあり得ないクラス替えという未知なる可能性も持っているわけだし、グランドだって校舎だってたくさんの子どもたちに溢れイキイキしているはずだ。
どんな学校にもメリットもあればデメリットもある。とはいえ、高い授業料と引き換えに最低限の環境が保証される私立と異なり、何が飛び出すかわからない公立はまさにビックリ箱だ。でもビックリ箱にはリスクしかないのだろうか? おそらく一年前の私なら「リスクしかない」と答えていただろう。しかし、いまは違う。こだわりにこだわって学校を選んだところで、結局はフタを開けてみなければわからない。そして肝心なのは、フタを開けてからなのだ。おばけが出たらおばけを、へびが出たらへびを、ピエロが出たらピエロを、思いきり楽しんでしまえばいい。「まだ小さな子どもにそれを望むのか?」そんな真っ当な質問をぶつけてくださる方々には、こう答えたい。「いいえ、まず楽しむべきは親です」と。学校に理想を求め、選択してるのは子ども自身ではなく親である私たちだ。親が学校を楽しめば、自然と風通しがよくなってくる。子どもたちはいつしかそれをキャッチする。世界中どこを探したって、<パーフェクトな学校>などありうるはずがない。なぜなら、学校は<人間>というこの上なく曖昧なものを育む場なのだから。
(イラスト:Yoko Tanaka)
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