2005.01.25
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

我が家の「ニッポンのお正月」体験(はじめての公立小)

一年でもっとも<日本人であること>を感じる師走と正月。しかし、凧上げもない、羽根つきもない、三が日も休むことなく営業するコンビニやスーパー。かつてのお正月らしさはどこへやら......。子どもたちは、日本ならではの特別な季節感を堪能することができるのか!?

遅れ馳せながら、新年あけましておめでとうございます。と、あいさつしながらも、いまいちピリッとしない年のはじめ。中途半端な気持ちで大掃除を終え、正月を迎えたのは私だけだろうか? 幼稚園時代はさほど気にならなかったのだが、小学生になるや、子どもたちが新学年に上がる四月がくるまでなんとなく<年が終わった>気がしない。

 でもこの中途半端な年越し、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれない。今年の冬休みは、成人の日の連休もあって例年になく長かった。それゆえ、家族の行事スケジュールもゆったりめで、前半は連日クリスマス会、中盤は大掃除、後半は里帰りして正月。そして宿題の片付けをしながら、3学期へと気持ちを整えていく……。全体のリズムとしてはうまい流れだったが、年末のキチキチとした慌しさがない分、気持ちに張りが感じられなかった。一方、子どもたちものんびり過ごしてはいたが、一年でもっとも<日本人であること>を感じる師走と正月に、その特別な季節感を堪能したかというと疑問符が残ってしまう。

 私は東京生まれだが、それでも小学生の頃は、年末に正月三ヶ日分の食料を買いだめし、年が明けると人気のない東京の街を初詣に出かけ、羽子板で遊び、土手で凧揚げをした。いつになく静まりかえった東京が清々しく感じられて、それがいまもベースになっている。しかし哀しいかな、24時間営業のコンビニと、正月も2日から営業するデパートやスーパー、飲食店に囲まれている現在の生活では、正月の特別感を感じるのはなかなか難しい。昔は珍しかった電車の終夜運転も、24時間社会では希少でもなんでもない。

 ところが、だ。そんな都会にあるからこそかもしれないが、わが校では冬休みの宿題に「なんでもチャレンジ」というプリントが五枚出された。これは一年生の生活科の授業教材として、2学期から頻繁に使用されてきた先生の手作りプリントなのだが、日常生活のなかで、誰かに、何かを教わり、その経験を感想文としてまとめるという書き込み形式になっている。つまりは、生活科教材であると同時に、国語力も鍛えるというなかなかの優れものなのだ。毎回チャレンジする対象はどんなものでもOKで、お祖父ちゃんに手品を教わる子もいれば、お母さんに靴下のたたみ方を教わる子、パソコンや本読み、料理、なかには「オセロにチャレンジ」なんてケースもある。自分の家族を<先生>に、その人が得意なことを教えてもらうのが基本コンセプトで、どんなチャレンジでもウェルカム。チャレンジ=子どもたちの実体験・経験なので、その積み重ねと家族のコミュニケーションに先生は重きをおいていらっしゃるのだろう。

 そのプリントが、冬休み中に5枚である。それも「年末年始ならではのチャレンジをぜひ体験させてください」とメッセージがある。親自身、メリハリのない年末年始を過ごしているのに、さて、どうしたものか……? 羽つきするにも凧揚げするにも空き地がない。といって、いつもやってるカルタではチャレンジ不足な気がする。食材の買いだめもなければ、正月だからといって普段の生活と違うことなどひとつもないのだ。仕方がないので、まず手始めに大掃除にチャレンジしてもらった。双子に掃除機の使い方を説明し、部屋ごとに交替で掃除機をかけさせ、新しい雑巾を1枚ずつ与えて床拭き。それに慣れたところで、窓を水拭きさせ、最後にご褒美として窓拭き用洗剤をシュワ~っと使って空拭き。本格的な掃除気分を味わせてみる。ところが、その大掃除が、見事にハマった。「次はトイレ」「次はお風呂」と、どんどんチャレンジが進んでいく。その発展形として、年末、雪が降ったのを幸いに、雪かきにもチャレンジしてもらった。すると、息子がぽそっともらした。<掃除すると心がすっきりするよね。そうやってお正月を迎えるんだね>

 なーんだ。これでいいんじゃないの。大人はついつい過去の経験や形にとらわれがちだが、季節感は親や社会が押し売りするもんじゃない。子どもたち自身が、風の冷たさや、街の匂い、人の流れ……目の前にある日常から自然に感じとっていくものだ。凧を揚げたからといって、そこに何かを感じるか、感じないかは人それぞれ。双子は大掃除から何かを感じた。特別な出来事などなくても、24時間年中無休でコンビニが営業していても、子どもたちそれぞれの正月が、その心のなかに立派に在るのだ。

 ただひとつだけ残念に思うのは、今年、学校の友人たちに年賀状が書けなかったこと。なぜなら学校名簿を使っての悪質事件が全国で多発しているため、わが校では防衛策として児童の住所は非公開なのである。住所がわからなくては、年賀状も出しようがない。しかし、年賀状は単なる正月の<形>ではない。友人たちとの大切なコミュニケーションのひとつだ。心ない大人の犯罪は、そんな子どもたちの年賀状の楽しみまでをも奪っているのだ。今年こそは、安全な社会を回復してほしい。せめて、次の年末、クラス全員の年賀状をきちんと準備できるように……と。

(イラスト:Yoko Tanaka)

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

pagetop