2004.11.23
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なんかピリッとしない・・・いいのか!?二学期制(はじめての公立小)

今年から始まった二学期制。前期と後期の間には、体育の日の連休をはさむだけ。これじゃあ単なる週末と変わりがない! 「通知票」も給食の献立プリントとまったく同じ感覚で子どもたちから手渡された。なんかピリッとせんなぁ・・・

 少し前の話に戻って恐縮だが、台風の影響で足掛け3週間もかかってしまった運動会も無事終わり、ホッとしたのも束の間、わが家に<はじめての通知票>がやってきた。双子が通う小学校は、昨年から二期制を導入しているため、通常、夏休み前にいただく通知票が、運動会を終えた10月に出るのである。これがなんとも心地悪い。

 これから全国の公立小学校でも二期制が導入されていく方向にあるらしいが、二期制、三期制は同じ区内でも、未だ学校によってバラつきがあり、いわば、わが校は先駆け……ということになる。ところが、来年から二期制を導入する予定の隣りS区の某小学校では、「夏休みを短縮して秋休みを作る」という事前説明会が先日行われたらしい。「夏休みが短くなるのは抵抗ないわけじゃないけど、二期制になるなら秋休みはアリよね。季節外れの旅行にも使えるし」と、その説明会に参加した友人にはなかなか好評だった。しかし、先駆けであるわが校に、秋休みはない。前期と後期の間には、体育の日の連休をはさむだけ。単なる週末と変わりないのである。

「これ、先生からもらったよ」
 双子は、学校で渡される給食の献立プリントとまったく同じ感覚で、それを私に差し出した。はじめての通知票。一年生の親にとっては大イベントである。
「これ、なに?」と双子。 
「あのね、これは通知票っていって、ふたりが“こんなにがんばって勉強しましたよ”、“でも、ここはもう少しがんばりましょうね”っていう先生からの大事な大事なお手紙なんだよ」と、とりあえず説明した。

 彼らにとっては生まれてはじめて目にする通知票。その存在は知っても、意義は判然としていないのだろう。「ふう~ん」といったまま横に座っている。

 通知票を開いてみると、左に国語から音楽まで各科目ごとの評価が並び、右に生活の様子が並んでいた。生活の様子というのは、「お友達と遊べる」とか「忘れ物をしない」とかごくごく当たり前の日常生活評価。それについては、担任の先生から「“たいへんよい”がつくことは、どんなお子さんでも滅多にないので、そのおつもりで」と事前アドバイスがあったので、想像はついていた。家庭での子どものキャラクターとほとんど変わりはない。ま、そんなもんか、という印象だ。気になるのはやはり科目の評価である。公立小学校の通知票も、かつての相対評価から絶対評価に変わったと聞いていたが、わが校の通知票は、低学年は二段階、高学年は三段階評価。二段階の内容はというと、「よい」「もうすこし」の二つに分かれ、あてはまるほうに「〇」がついている。うーん・・・・・・なんだかピリッとせんなぁ。

 いったいわが子は、この先、何をどうがんばればいいのか? これを子どもにどう説明すればいいのか? シンプルな評価は、保護者をさらに複雑にしている。

 バリバリの三期制で育ったわれら<昭和の子ども>にとって通知票は、運動会や遠足、修学旅行に並ぶ学校生活のメイン・イベントだった。通知票は夏休み前・冬休み前・春休み前の終業式にもらうものと相場が決まっていて、終業式が近づくと、目前に迫った長期休暇に心ウキウキ弾ませる一方、その前に立ちはだかる大きな試練<通知票>におそれおののきユーウツになる。決して、いい思い出ではない。でも、そのユーウツと緊張があるからこそ、親の小言をクリアし、長い休みに入ったときの解放感もまた格別なのだった。<さぁ、自由だ! めいっぱい遊んでやるぞ!>にもかかわらず、その休みがわずか三日間の連休とは・・・・・・。これでは、子どもたちに「新学期から気持ちを切り換えろ」というほうが酷である。子どもにとって通知票は季節の風物詩。二期制導入をはじめとする昨今の公立改革に決して反対はしないが、「授業時間数の都合」を理由に学校から季節感が失われていくのはたまらない。子どもが学校で学ぶべきは、家庭生活と学校(社会)とのメリハリだと思う。その大切なメリハリを、学校そのものが失いかけている。旧体制の整理もままならぬうちに、なし崩しに改革を推し進めても、学校と子どもと保護者と世間、四者のバランスはさらに傾くだけなのだ。

 同時に、この成績評価ではわが子に「よくやった!」も「努力をしろ」も言いにくい。相対評価、絶対評価に関してはさまざまな意見があるだろうが、正直、「よい」と「もうすこし」ではその子の長所も短所も伝わらない。何がどう「よく」て、何がどう「もう少し」なのか? 成績を1~5までの数字で評価するかつての五段階評価にも不透明さはあったが、「よい」と「もう少し」に比べればまだ、数字の向こうにある教員のニュアンスを感じることができた。オール5の子しかり、オール3の子しかり、オール1の子しかり、教科によって5あり1あり3ありとバラバラの子しかり。完璧主義な優等生、トータルバランス重視な子、一点集中の天才型、理系派・文系派……通知票から<子どもが見えた>と思う。成績の良し悪し云々ではなく、そこにはっきりとした個性が浮かび上がっていたような気がする。少なくとも、「よい」と「もうすこし」の世界よりは立体的だ。

 結果、はじめての通知票は、<なんだかよくわからない>まま印鑑を押され、連休明け、学校へと返却された。次にやってくるのは、春休み前。さて、その前の冬休みを、親子ともどもどう過ごせばいいものやら・・・・・・。

(イラスト:Yoko Tanaka)

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