2004.10.26
気合充分、真剣勝負!これぞ運動会(はじめての公立小)
体育が得意な子どもにとって、運動会は年に一度スターになれる晴れ舞台。しかし体育が苦手な子どもにとっては...? 苦手でも、運動会で胸を張って演技を見せたい! そう願う我が娘のために、テラダ、涙の秘密特訓!
ニ学期がスタートしてからというもの、娘の顔色があまり芳しくない。ちょっとのことで怒る・ふさぎ込む・姉弟ゲンカをふっかける……。当然、巻き込まれる息子はたまったもんじゃない。これは一体、どうしたもんかと原因を探っていくうちに、ふと彼女がもらした「やだな……体育」の一言。どうやら原因は<運動会>にあるらしい。
夏休み明け早々にプール納めを終えた学校は、月末の本番に向け、時間割が<運動会シフト>に変わっていた。来る日も来る日も続く運動会の練習。「体育」「体育」「国語」「体育」。ときには4時間授業のうち3時間が体育という日もある。勉強よりも運動好きな息子にとっては天国。一方、運動が不得手で、コツコツ字を書いたり本を読んだりするのが好きな娘にとって、ストレスを感じるのは当然。ところが彼女、家では荒れるものの『学校を休む』の一言は決して口にしない。どうやら一年生なりに、<これは私が乗り越えなきゃならない試練>と覚悟しているらしい。ならば、ヘタな口だしは無用。しばらく静観しようと決めた。
そんなある日、双子の姉の八つ当たりに辟易した息子が私の耳元で囁いた。「あのね、今日も縄跳びテストに合格できなかったんだよ。だから機嫌悪いんだよ。僕は合格したけどさ……」。今年の運動会、1・2年生が合同で行うリズム体操に選ばれたのが、縄跳びだった。曲に合わせた振付に、ゆっくり跳び・早回し・片足跳び・駆け足跳びが組み込まれている。ところが、元々道具を使う運動が苦手でリズム感もいまひとつな娘は、幼稚園時代にも縄跳びを断念した過去がある。でも、本来負けず嫌いな彼女は、自分の不得手を絶対に認めない。ましてや、双子の弟に先を越されたとあってはなおさらだ。だが、センスがモノをいう運動だけに、なんとかクリアしようとあせればあせるほど縄はからまる。いらいらは募る一方だ。ハハン、そういうことだったのか。
運動会本番まで一週間をきった夕方、さりげなく二人を縄跳び練習に誘ってみた。跳べば跳ぶほど上達する息子と違って、娘は足と手のリズムがバラバラなままだ。基本のゆっくり跳びすら2回と続かない。これでは駆け足跳びなど夢のまた夢……。でも彼女が目指すのは、そのゴールなのだ。「別に縄跳びなんかできなくってもいいよ」「運動会なんて一日だけのことだよ」「失敗したって誰も気にしちゃいないよ」正直、これは大人の本音だ。世の真実でもある。でも、目の前の障害に必死に立ち向かってる子どもにとって、そんな大人の本音や真実が救いになんかなるわけがない。子どもの世界は、大人のそれよりずっとずっと狭くて小さい。そこには大人から見れば低くて容易い、でも子どもたちにとっては高くて困難なハードルが並んでいる。そんなハードルを自力でひとつひとつ乗り越えてこそ、子どもの狭い世界はどんどん広く大きくなっていく。そして乗り越える力は、運動会や学力テスト、受験……ハードルに<つまずいたとき>にこそ発揮される。つまずきは、同時に成長のチャンスなのだ。
なら、娘に向かってどう声を掛けるべきか?「がんばって!」もちょっと違う。精一杯がんばってるけど、できないのだ。「ママだって、昔はできなかったよ」も違う。そんな話は、慰めにもならない。彼女の望みは「早く縄跳びができるようになりたい! 運動会で胸を張りたい!」それだけだ。決めた。<絶対に怒らない・叱らないで、毎日、短時間だけ縄跳び練習に付き合おう>。大人には簡単にできることを、できない子どもを見ているといらいらするものだ。縄跳びのみならず、たし算・ひき算も同じ。ついつい指導する声が大きくなっている自分に気づき、そして自己嫌悪に陥る。ヘタに親が手だししてかえって子どもにプレッシャーを与えるなら、最初から何もしないほうがいいのだ。でも、いま目の前で自信を失ってる娘の背中を押す程度なら、家庭での秘密特訓も意味があるかもしれない。ましてや、普段、仕事・仕事でじっくり向き合う時間のとれない私たち親子だ。それから運動会までのわずか一週間、「いいよ、いいよ。できてる、できてる」を口グセに、我が家はこっそり縄跳び練習を続けた。
そして迎えた日曜日は、早朝からどしゃ降りの雨……。子どもたちの緊張と興奮を削ぐような空模様に、当然、運動会は順延となり、二人はランドセルに教科書を詰め込み、家族一緒に食べるはずだった弁当を持って登校した。幼稚園時代なら、翌週末の土・日に延びるものだったが、スケジュール過密な小学校では、そんな悠長なことはいってられないらしい。シビアにも今年の運動会は平日開催が決定的になり、グラウンドで家族揃ってお弁当を食べる夢はついえてしまった。
その四日後、台風と秋雨前線の活発化で不安定な空の下、強行された運動会。給食のある平日になってしまったため、弁当作りのない母親たちはどこか気が抜けた様子で、父兄の姿もまばら、争奪戦どころかグランド席はガラガラ状態……。それでも、子どもたちには待ちに待った本番の日だ。ベルトを腰に歴史ある校旗を掲げて入場する6年生の表情は引き締まり、4年生以上の有志で構成された応援団は気合い十分。太鼓を打つ手にも力がこもっている。全学年1クラス、全校生徒わずか120余名の小さな小さな運動会だが、創立100周年近い地元の伝統校ゆえか、先生方にも児童たちにも手抜きは一切感じられない。各クラス半分づつが紅白に分かれ、1~4位まできちんと着順をつける徒競走、勝負が決まるまで続けられる玉入れに綱引き、男女関係なくガチンコ勝負の騎馬戦に棒引き、そして逞しい組体操……。ついに1・2年生のリズム体操の番。縄跳びを腰に巻いて登場した子どもたちは緊張の面持ち。いざ始まってみれば、学年に関わらず、"縄につかえない"子の方が珍しい。「な~んだ(笑)」。こちらの緊張はいっきにほぐれたが、余裕の息子と違って、ちょこちょこと縄につかえる娘は口を真一文字に真剣な表情。そしてエンディング間近の駆け足跳び――「できた!」。ビデオカメラ越し、アップになった娘の勇姿に思わず叫んでいた。
初めての運動会、児童数が少ないだけに合同競技も目立ったが、どれをとっても驚くほどクラシックで本格的だった。親の世代もそして観客席の祖父母たちも繰り返してきた、昔ながらの<競争ある>運動会。最後に目からウロコが落ちたのは、3・4年生の「はね娘」踊りだ。宮城県地方に伝わるこの民舞を、全員が揃いのハッピに身を包み、金・銀の扇を手に踊るのだが、なんとその音楽を2名の担任と音楽専科の教師が笛や和太鼓を手に生演奏したのだ! 全員参加の運動会。子どもたちのがんばりはもちろん、練習を重ねた先生方の必死な姿に、小規模校ならではの宝物を見つけたような気がした。
夏休み明け早々にプール納めを終えた学校は、月末の本番に向け、時間割が<運動会シフト>に変わっていた。来る日も来る日も続く運動会の練習。「体育」「体育」「国語」「体育」。ときには4時間授業のうち3時間が体育という日もある。勉強よりも運動好きな息子にとっては天国。一方、運動が不得手で、コツコツ字を書いたり本を読んだりするのが好きな娘にとって、ストレスを感じるのは当然。ところが彼女、家では荒れるものの『学校を休む』の一言は決して口にしない。どうやら一年生なりに、<これは私が乗り越えなきゃならない試練>と覚悟しているらしい。ならば、ヘタな口だしは無用。しばらく静観しようと決めた。
そんなある日、双子の姉の八つ当たりに辟易した息子が私の耳元で囁いた。「あのね、今日も縄跳びテストに合格できなかったんだよ。だから機嫌悪いんだよ。僕は合格したけどさ……」。今年の運動会、1・2年生が合同で行うリズム体操に選ばれたのが、縄跳びだった。曲に合わせた振付に、ゆっくり跳び・早回し・片足跳び・駆け足跳びが組み込まれている。ところが、元々道具を使う運動が苦手でリズム感もいまひとつな娘は、幼稚園時代にも縄跳びを断念した過去がある。でも、本来負けず嫌いな彼女は、自分の不得手を絶対に認めない。ましてや、双子の弟に先を越されたとあってはなおさらだ。だが、センスがモノをいう運動だけに、なんとかクリアしようとあせればあせるほど縄はからまる。いらいらは募る一方だ。ハハン、そういうことだったのか。
運動会本番まで一週間をきった夕方、さりげなく二人を縄跳び練習に誘ってみた。跳べば跳ぶほど上達する息子と違って、娘は足と手のリズムがバラバラなままだ。基本のゆっくり跳びすら2回と続かない。これでは駆け足跳びなど夢のまた夢……。でも彼女が目指すのは、そのゴールなのだ。「別に縄跳びなんかできなくってもいいよ」「運動会なんて一日だけのことだよ」「失敗したって誰も気にしちゃいないよ」正直、これは大人の本音だ。世の真実でもある。でも、目の前の障害に必死に立ち向かってる子どもにとって、そんな大人の本音や真実が救いになんかなるわけがない。子どもの世界は、大人のそれよりずっとずっと狭くて小さい。そこには大人から見れば低くて容易い、でも子どもたちにとっては高くて困難なハードルが並んでいる。そんなハードルを自力でひとつひとつ乗り越えてこそ、子どもの狭い世界はどんどん広く大きくなっていく。そして乗り越える力は、運動会や学力テスト、受験……ハードルに<つまずいたとき>にこそ発揮される。つまずきは、同時に成長のチャンスなのだ。
なら、娘に向かってどう声を掛けるべきか?「がんばって!」もちょっと違う。精一杯がんばってるけど、できないのだ。「ママだって、昔はできなかったよ」も違う。そんな話は、慰めにもならない。彼女の望みは「早く縄跳びができるようになりたい! 運動会で胸を張りたい!」それだけだ。決めた。<絶対に怒らない・叱らないで、毎日、短時間だけ縄跳び練習に付き合おう>。大人には簡単にできることを、できない子どもを見ているといらいらするものだ。縄跳びのみならず、たし算・ひき算も同じ。ついつい指導する声が大きくなっている自分に気づき、そして自己嫌悪に陥る。ヘタに親が手だししてかえって子どもにプレッシャーを与えるなら、最初から何もしないほうがいいのだ。でも、いま目の前で自信を失ってる娘の背中を押す程度なら、家庭での秘密特訓も意味があるかもしれない。ましてや、普段、仕事・仕事でじっくり向き合う時間のとれない私たち親子だ。それから運動会までのわずか一週間、「いいよ、いいよ。できてる、できてる」を口グセに、我が家はこっそり縄跳び練習を続けた。
そして迎えた日曜日は、早朝からどしゃ降りの雨……。子どもたちの緊張と興奮を削ぐような空模様に、当然、運動会は順延となり、二人はランドセルに教科書を詰め込み、家族一緒に食べるはずだった弁当を持って登校した。幼稚園時代なら、翌週末の土・日に延びるものだったが、スケジュール過密な小学校では、そんな悠長なことはいってられないらしい。シビアにも今年の運動会は平日開催が決定的になり、グラウンドで家族揃ってお弁当を食べる夢はついえてしまった。
その四日後、台風と秋雨前線の活発化で不安定な空の下、強行された運動会。給食のある平日になってしまったため、弁当作りのない母親たちはどこか気が抜けた様子で、父兄の姿もまばら、争奪戦どころかグランド席はガラガラ状態……。それでも、子どもたちには待ちに待った本番の日だ。ベルトを腰に歴史ある校旗を掲げて入場する6年生の表情は引き締まり、4年生以上の有志で構成された応援団は気合い十分。太鼓を打つ手にも力がこもっている。全学年1クラス、全校生徒わずか120余名の小さな小さな運動会だが、創立100周年近い地元の伝統校ゆえか、先生方にも児童たちにも手抜きは一切感じられない。各クラス半分づつが紅白に分かれ、1~4位まできちんと着順をつける徒競走、勝負が決まるまで続けられる玉入れに綱引き、男女関係なくガチンコ勝負の騎馬戦に棒引き、そして逞しい組体操……。ついに1・2年生のリズム体操の番。縄跳びを腰に巻いて登場した子どもたちは緊張の面持ち。いざ始まってみれば、学年に関わらず、"縄につかえない"子の方が珍しい。「な~んだ(笑)」。こちらの緊張はいっきにほぐれたが、余裕の息子と違って、ちょこちょこと縄につかえる娘は口を真一文字に真剣な表情。そしてエンディング間近の駆け足跳び――「できた!」。ビデオカメラ越し、アップになった娘の勇姿に思わず叫んでいた。
初めての運動会、児童数が少ないだけに合同競技も目立ったが、どれをとっても驚くほどクラシックで本格的だった。親の世代もそして観客席の祖父母たちも繰り返してきた、昔ながらの<競争ある>運動会。最後に目からウロコが落ちたのは、3・4年生の「はね娘」踊りだ。宮城県地方に伝わるこの民舞を、全員が揃いのハッピに身を包み、金・銀の扇を手に踊るのだが、なんとその音楽を2名の担任と音楽専科の教師が笛や和太鼓を手に生演奏したのだ! 全員参加の運動会。子どもたちのがんばりはもちろん、練習を重ねた先生方の必死な姿に、小規模校ならではの宝物を見つけたような気がした。
(イラスト:Yoko Tanaka)
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