2004.03.23
学校選択制で得するのは誰!?(はじめての公立小)
はじめての子ども(たち)の、はじめての小学校入学。ただでさえ不安になるものだが、男女の双子というイレギュラー。加えて、地方出身の夫と私立育ちの私は、"東京の公立校"をまったく知らない。しかも現在暮らすS区は今年から学校選択制を導入。さてどうなる!?
2000年4月、東京・品川区からスタートした公立小・中学校の『学校選択制度』。本年度は、東京・埼玉・千葉・群馬の28区市町で続々実施され、この春、小学校に入学するわが家の双子もその対象となった。
はじめての子ども(たち)の、はじめての小学校入学。ただでさえ不安になるものだが、男女の双子というイレギュラー。加えて、地方出身の夫と私立育ちの私は、“東京の公立校”をまったく知らない。「少子化」「いじめ」「ゆとりがありすぎる」……マスコミで読み聞く公立小学校の姿はネガティブなものばかりだし、現在暮らすS区は結婚してから転居した土地で、いわばよそ者。地元の情報にも、ネットワークにも疎い。そんなナイナイ尽くしの私にとって、各校が詳細な説明会を開き、複数の学校情報を比較検討できる学校選択制度の導入は、棚からぼたもち。超ラッキーなシステム……のはずであった。
一方、S区にとっても学校選択制度元年。最初のアプローチは、教育委員会からの封書ではなく、区の広報紙だった。昨年春、新聞に折り込まれてきた広報紙には、一面から大きく『学校選択制度導入』の文字。制度の説明、そして各校の第一次説明会のスケジュール。とりあえず、めぼしい学校の予定を手帳に書き込んだ。ところが、その後に届いた教育委員会からの封書を開けると、『小学校は通学区域の学校と、そこに隣接する学校からのみ選択』とある。情報の微妙な後手。通学時間や通学路の問題を考えれば、これは当然の配慮なのだが、区内の学校すべてが選択対象になると早合点していた私にはいささかショックだった。それも在住区域によっては、隣接校が1校しかないところと、7校もあるところと大きく差がある。選択肢が多くても頼りない学校ばかりではしょうがないし、二者択一でもいずれ劣らぬ充実した学校なら、それに越したことはない。が、選択をする以上は、対象は多いほうがいいに決まっている。不平等感は拭えない。幸い、わが家の場合は、5校の隣接校があったが、5月末から始まった学校説明会で、さらなる迷宮にはまり込むことになるのだ。
手持ち札は通学区域のA校と、隣接するB、C、D、E、F校。しかし、D、E、Fの3校は通学時間に問題があるため断念。残りのA、B、C、3校の説明会へと赴いた。最初に訪れたC校は、現代的な校舎と個性的な学校運営で知られる区内の有名校。それだけに、校長、教頭による学校説明も饒舌で説得力があり、授業にも進学校とはまた違う独自のムードが漂う。こういう学校は、選択制度に強いのだろう。だが、校内を歩いていて気になったのは、児童から教師への挨拶言葉を耳にしないこと。学校運営、PTAの評価も満点、上・下級生の交流もあり、いじめもないというが、はて、挨拶がないのはいかがなものか? ゆるやかな師弟関係。しかし、いまひとつ教師と児童のスタンスが見えてこない。
次はB校。少々遠距離通学になるが、創立100周年を迎える伝統校で、C校とはうってかわって厳格な雰囲気。校長や教頭はやり手のビジネスマン風で、年齢の高いベテラン教師が揃い、古い校舎ながら理科室、図工室、図書室といった雑然としがちな部屋もトイレも、隅々まで掃除が行き届いていた。私立の女子校ならともかく、これは目からウロコ。その神経の細やかさに、学校の姿勢を見た気がした。しかし、だ。厳格、古風といった20世紀の価値観が21世紀の子どもたちにどう反映されるのか? ここでもやはり疑問符が残る。
そして訪れた最後のA校。パソコンを使った学校PRでは、音楽、美術といった情操教育の充実が取り上げられていたが、3校のなかでは最も平凡な学校説明。全学年1クラスという児童数に、広過ぎる校舎はゆとりどころかスカスカで寂しささえ漂う。とりあえず説明を終えると、校長が切り出した。「この学校選択制度をどう思いますか? 正直、学校側はとまどっているんです」。校長がもらした本音に、私は親近感を覚えた。そういえば、地域の祭りでもイベントでも、いつも快くスペースを開放しているのはこの学校だ。目に見える『売り』はないが、地元に愛され、地域にしっかり根ざした町の学校。だが、学校選択をつきつけられたとき、明確な売りがなければ人気は上がらず、学校は淘汰されていく。A校は、典型的な公立小学校なのだ。
公立学校というのは、子どもたちに分け隔てなく平等かつ同等に教育の機会を与える目的で存在している。それを遵守するなら、学校別の個性など生まれるわけがないと思う。しかし、我々、父兄は『選択』しなければならない。選択する以上は、学校に個性がなければ困る。だが、それは公立校の意義に矛盾する。堂々巡り。スタッフだって問題だ。固定の私立と異なり、公立校では経営者である校長ですら異動してしまう。経営者が変われば、カラーも変わるだろう。いま魅力的な学校が、2年後、3年後、6年後も子どもたちにとっていい学校かどうか。選択したところで、その保証はどこにもない。学校選択制度で恩恵を受けるのは一体、誰だ?
児童数が激減しているS区ではいま、学校の統廃合問題が取り沙汰されている。父兄にとって一見、魅力的だが、実は矛盾だらけの学校選択制度。その真意は、子どもたちのためではなく、公立校統廃合に向けての布石のような気がしてならないのだが、これは気の回しすぎだろうか?
はじめての子ども(たち)の、はじめての小学校入学。ただでさえ不安になるものだが、男女の双子というイレギュラー。加えて、地方出身の夫と私立育ちの私は、“東京の公立校”をまったく知らない。「少子化」「いじめ」「ゆとりがありすぎる」……マスコミで読み聞く公立小学校の姿はネガティブなものばかりだし、現在暮らすS区は結婚してから転居した土地で、いわばよそ者。地元の情報にも、ネットワークにも疎い。そんなナイナイ尽くしの私にとって、各校が詳細な説明会を開き、複数の学校情報を比較検討できる学校選択制度の導入は、棚からぼたもち。超ラッキーなシステム……のはずであった。
一方、S区にとっても学校選択制度元年。最初のアプローチは、教育委員会からの封書ではなく、区の広報紙だった。昨年春、新聞に折り込まれてきた広報紙には、一面から大きく『学校選択制度導入』の文字。制度の説明、そして各校の第一次説明会のスケジュール。とりあえず、めぼしい学校の予定を手帳に書き込んだ。ところが、その後に届いた教育委員会からの封書を開けると、『小学校は通学区域の学校と、そこに隣接する学校からのみ選択』とある。情報の微妙な後手。通学時間や通学路の問題を考えれば、これは当然の配慮なのだが、区内の学校すべてが選択対象になると早合点していた私にはいささかショックだった。それも在住区域によっては、隣接校が1校しかないところと、7校もあるところと大きく差がある。選択肢が多くても頼りない学校ばかりではしょうがないし、二者択一でもいずれ劣らぬ充実した学校なら、それに越したことはない。が、選択をする以上は、対象は多いほうがいいに決まっている。不平等感は拭えない。幸い、わが家の場合は、5校の隣接校があったが、5月末から始まった学校説明会で、さらなる迷宮にはまり込むことになるのだ。
手持ち札は通学区域のA校と、隣接するB、C、D、E、F校。しかし、D、E、Fの3校は通学時間に問題があるため断念。残りのA、B、C、3校の説明会へと赴いた。最初に訪れたC校は、現代的な校舎と個性的な学校運営で知られる区内の有名校。それだけに、校長、教頭による学校説明も饒舌で説得力があり、授業にも進学校とはまた違う独自のムードが漂う。こういう学校は、選択制度に強いのだろう。だが、校内を歩いていて気になったのは、児童から教師への挨拶言葉を耳にしないこと。学校運営、PTAの評価も満点、上・下級生の交流もあり、いじめもないというが、はて、挨拶がないのはいかがなものか? ゆるやかな師弟関係。しかし、いまひとつ教師と児童のスタンスが見えてこない。
次はB校。少々遠距離通学になるが、創立100周年を迎える伝統校で、C校とはうってかわって厳格な雰囲気。校長や教頭はやり手のビジネスマン風で、年齢の高いベテラン教師が揃い、古い校舎ながら理科室、図工室、図書室といった雑然としがちな部屋もトイレも、隅々まで掃除が行き届いていた。私立の女子校ならともかく、これは目からウロコ。その神経の細やかさに、学校の姿勢を見た気がした。しかし、だ。厳格、古風といった20世紀の価値観が21世紀の子どもたちにどう反映されるのか? ここでもやはり疑問符が残る。
そして訪れた最後のA校。パソコンを使った学校PRでは、音楽、美術といった情操教育の充実が取り上げられていたが、3校のなかでは最も平凡な学校説明。全学年1クラスという児童数に、広過ぎる校舎はゆとりどころかスカスカで寂しささえ漂う。とりあえず説明を終えると、校長が切り出した。「この学校選択制度をどう思いますか? 正直、学校側はとまどっているんです」。校長がもらした本音に、私は親近感を覚えた。そういえば、地域の祭りでもイベントでも、いつも快くスペースを開放しているのはこの学校だ。目に見える『売り』はないが、地元に愛され、地域にしっかり根ざした町の学校。だが、学校選択をつきつけられたとき、明確な売りがなければ人気は上がらず、学校は淘汰されていく。A校は、典型的な公立小学校なのだ。
公立学校というのは、子どもたちに分け隔てなく平等かつ同等に教育の機会を与える目的で存在している。それを遵守するなら、学校別の個性など生まれるわけがないと思う。しかし、我々、父兄は『選択』しなければならない。選択する以上は、学校に個性がなければ困る。だが、それは公立校の意義に矛盾する。堂々巡り。スタッフだって問題だ。固定の私立と異なり、公立校では経営者である校長ですら異動してしまう。経営者が変われば、カラーも変わるだろう。いま魅力的な学校が、2年後、3年後、6年後も子どもたちにとっていい学校かどうか。選択したところで、その保証はどこにもない。学校選択制度で恩恵を受けるのは一体、誰だ?
児童数が激減しているS区ではいま、学校の統廃合問題が取り沙汰されている。父兄にとって一見、魅力的だが、実は矛盾だらけの学校選択制度。その真意は、子どもたちのためではなく、公立校統廃合に向けての布石のような気がしてならないのだが、これは気の回しすぎだろうか?
(イラスト:Yoko Tanaka)
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