教育トレンド

教育インタビュー

2006.08.29
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ヤン・ヨンヒ 思想への反発と家族・教育の在り方(2)

ドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』で朝鮮総聯の活動に人生を捧げた両親と、北朝鮮に"帰国"した3人の兄達ら自らの家族を、10年にわたり追い続けた映像作家・ヤン・ヨンヒ氏。思想への反発心を持ちながら育った彼女自身の在り方や家庭教育の在り方、そして自身にとっての学校教育の存在、さらには北朝鮮の教育事情や人権教育の必要性などを率直に、且つ熱く語っていただいた。3回連載の第2回。

学びの場.comヤンさんは幼稚園から大学まで日本の朝鮮学校に通われたそうですが、学校教育はあなた自身にどう影響しましたか?

ヤン・ヨンヒ「祖国に愛国心を持て、忠誠を尽くせ」と言われるのは学校の中だけで、一歩外に出てしまえば、他の日本の若者達と同じ文化を享受して生きているわけですからね。中高生の頃は芝居と映画が大好きで、毎日授業が終わるとすぐチマチョゴリの制服のまま、劇場や映画館に通っていました。そうなると学校で教えられる思想よりも、自分の足を運んで観ているもののほうがより楽しいし、面白いし。「私はどちらの世界で生きていくのだ?」と自問すれば、これはもう「外の世界の勝ち」とはっきりしていました。高校まではあまり問題児となって先生に睨まれるのも鬱陶しいので、テスト用紙には「忠誠を尽くします」と書いて「あと2年の我慢だ」と堪えていましたね(笑)。  ただ、私は数年の辛抱で済みますが、ピョンヤンで暮らす兄達は一生なんだと思うと複雑な心境でした。私はプレッシャーやストレスから逃れるため、芝居や映画やコンサートへ自由に行けるけれど、あの国に住んでいる兄達は息抜きする場所もない。彼らは今、どこでどうやって折り合いをつけて生きているのだろう? などといろいろ悩みました。私にとって学校は居心地の悪い、窮屈な場所で、教えられることにも多くの疑問を抱きましたが、真剣に"考える場"にはなりました。その点はよかったかもしれません。

学びの場.comなるほど、学校はあなたにとって、ある種"反面教師"のような存在だったのですね。

ヤン・ヨンヒいや、先生達は教え子がゆくゆく日本社会に出た時、周囲から認められる人間になるよう育てなくてはと、とても一生懸命だったんです。そのために自分達はがんばるんだと。先生自身、民族学校の先輩でもあるので、学校全体が在日コミュニティーのような雰囲気で、お互いにきょうだいというか、仲間意識が強かったですね。  私が一番問題だと思う点は、どういう先生に出会うかで生徒自身が変わるということ。以前、『揺れる心』という作品で日本の公立高校に通う在日コリアンの生徒達を取材したことがあります。彼らは皆、いつ自分がコリアンだとカミングアウトするかをずっと悩むんです。親御さん自身が日本社会から差別された経験があるので、我が子は本名を伏せて育て、ある日その事実を本人が知るわけです。高校や大学の進路指導の先生は「就職や結婚のために隠しなさい」という人と、「いや、堂々といけ!」という人と両者います。それによって生徒の心は大きく変わるのです。  子どもは自分の将来のためとはいえ「隠せ」と言われると、自分の存在を否定的なものなのだと解釈し、非常に屈折した自意識が育つのです。ある程度の歳になってから、それを克服しようとしてもそう簡単にはいきません。逆に、「自分って何だろう?」と悩む子どもが「あなたはあなたのままでいいのよ」と言ってくれる先生、自分を肯定してくれる先生と出会えたら……。その子は喜びに溢れ、心のドアを開放することができるのです。

学びの場.comところで、映画はピョンヤンで暮らすご家族の様子も映し出しています。甥のウンシン君が、まだ中学生なのにリストやショパンなどの名曲をピアノで見事に弾きこなす場面がとても印象的でした。彼は何か英才教育を受けているのですか?

ヤン・ヨンヒウンシンは小学校から音楽大学の附属校に入学しています。幼い頃から私が送ったCDなどを聴いて育っているせいか、音感が良くなったのでしょう。もう一人登場する幼い姪は現在、外国語大学の附属中学校に行っています。彼女は、私がNYへ行っていたことに影響されたらしく、「大きくなったら、叔母さんと一緒に世界中を回るんだ」などと言っています(笑)。  実は、北朝鮮は日本や韓国に負けず劣らず、小学校入学から激しい"お受験戦争"があるんです。競争率という点ではひょっとしたら日本を上回るかもしれません。あの国に限らず経済的に困窮する国はどこも、"いい学校"に行かないと、"いい教育"というよりも"まともな教育"が受けられません。だから、親は必死になって子どもに受験勉強をさせ、いい学校に入れようと思うのです。今、医科大に行っている甥は中学の頃から毎日テストがあり、日本の小中学校で学ぶ漢字ドリルをずっと暗記していましたね。そもそも子ども達が遊ぶ設備やスポットも少ないものですから、お受験環境に置かれた子は結構勉強しますよ。悪ガキもいっぱいいますけどね(笑)。

学びの場.comヤンさんのお母様がピョンヤンの孫達のために、ノートや消しゴムなどの文房具をたくさん仕送りしていましたが、今も物不足なのですか?

ヤン・ヨンヒあれは1997年のことで、当時の北朝鮮は300万人といわれるほど餓死者が出て本当にモノがなかった時代。最近はあそこまでひどくなく、中国製の品質の低いものでしたら大分揃うようになっています。でも、闇価格ですし、一般の人々がホイホイ買えるような状況ではないので、甥姪達は母が日本から送った文房具をとても大切に使うんですよ。たとえば、ノートは科目ごとに1冊ずつ使わずに、1冊のノートにすべての科目が書いてあって(笑)。「あんた、これでどうやって勉強するの?」って聞くと、「皆、こうやっているよ」って。「おばあちゃんが送ってくれたノートが、クラスで一番いい紙だよ!」とも言ってくれます。

学びの場.com子ども達に思想教育の影響はないのですか?

映画『ディア・ピョンヤン』より ©2005 Yonghi Yang / Cheon.Inc

ヤン・ヨンヒ例の思想教育はありますが、反日教育はされていないので日本人に対してとくに反感などはないようです。よく日本のテレビで放映される、古い北朝鮮映画--植民地時代の日本兵が朝鮮の農民をいじめるといった映画などは、今の若者は「それは昔の話だ」と知っています。また、これも日本でよく放映されますが北朝鮮のニュース番組、あれもつまらないから、人々はシラケてあまり見ていないですよ。
 高校生や大学生は自分の国だけがインターネットをできないことを知っていますし、自分達が世界から孤立していることもよくわかっています。これは、好奇心旺盛な若者にとってすごいフラストレーションですよ。そりゃあ、動員されればパレードやマスゲームの練習には参加しますが、皆、もっと海外のことを知りたいと思っているのは確かです。

梁英姫 (ヤン・ヨンヒ / Yang Yonghi)

大阪市生まれ。〈在日〉コリアン2世。東京の朝鮮大学校を卒業後、教師、劇団女優を経てラジオパーソナリティーに。NYニュースクール大学大学院コミュニケーション学部メディア研究科修士号取得。現在、学習院大学非常勤講師、テクノスカレッジ客員教授をつとめる。

1995年からドキュメンタリーを主体とした映像作家として数々の作品を発表する。「What Is ちまちょごり?」「 揺れる心」「キャメラを持ったコモ」などの作品は、NHKなどのテレビ番組として放映された。また、テレビ朝日・ニュースステーション他で、ニュース取材・出演するなどテレビの報道番組でも活躍。タイ、バングラディシュ、中国などアジアを中心とした様々な国で映像取材。現地に長期滞在し当事者の視点で取材を続ける。1997年渡米。約6年間ニューヨーク滞在し、様々なエスニックコミュニティーを映像取材する。2003年に帰国後、日本での活動を再開する。

写真:言美歩/インタビュー・文:宝子山真紀/映画写真提供:シネカノン

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