井上麻紀 「もう一度教員をしたい」という気持ちを後押しする
リワーク支援プログラム
今回は公立学校共済組合近畿中央病院 メンタルヘルスケアセンター(大阪メンタルヘルス総合センター)に、副センター長としてお勤めの公認心理師・臨床心理士である井上麻紀先生にお話を伺いました。2001年に立ち上げた、関西で初の教員専門の職場復帰支援プログラムの卒業生は765名になります。教員のメンタルヘルスケアに必要なこと、また同僚・管理職・家族はどのようにサポートしていくことができるのか、教えていただきました。
深刻な教員不足
公立学校共済組合近畿中央病院では、2002年度から教員の職場復帰支援プログラムを実施しているとのことですが、この頃から多忙化が深刻になり、精神疾患による病気休職者が増えてきたのでしょうか。
立ち上げのきっかけとなったのは2001年に起きた中学校教員による中国自動車道女子中学生手錠放置事件です。あの事件をきっかけに、教員のメンタルヘルスケアが問題視されるようになりました。多忙化の具体的な原因ははっきりしないのですが、コロナ禍の間はメンタルヘルスケアを必要とされる方は少し減っていたように感じます。1学期に2ヶ月も休校になったことで教員にかかる負担が減ったことが原因だと考えられますが、また脱コロナ禍で病気休職者が増えてきました。
忙しさと人不足は関係があり、2006年頃から大量の定年退職があり、その時期とリンクしている可能性があります。ベテラン層が抜けて若手が入り、30~40代の層が少ない状態になったのでストレスが多かったのではないでしょうか。2006年度には義務教育費国庫負担金の割合が2分の1から3分の1に下げられ、正規雇用の方が減り、現在自治体によっては5人に1人が非正規雇用となっています。非正規雇用であるにも関わらず、正規雇用と同じ職務内容が求められるようになりました。
また、この10年の間に特別な支援が必要な小中学生が30万人増えたのに、教員は2万人しか増えていません。これでは教員への負担が大きくなることは容易に想像できますが、対策が行われていなかったので今のような深刻な人不足の状況になってしまったと感じています。
教員の精神疾患の特徴について教えてください。若手に限らず、他の職種より発生率が高いのでしょうか。
日本国内での研究結果としては(産業別休業率を見るものしかないので)他の職種との差はあまり出ていないのですが、ドイツの研究結果ではストレスがかかりやすい職種の上位3位の中に入っています。1位が航空管制官、2位が外科執刀医、それらに次ぐ3位が教員となっています。教員という職種は他の職種に比べて接する相手の層が厚いのです。同僚、管理職、子ども、保護者など、それぞれに対して注意を払って丁寧に接する必要があるということを考えればストレスがかかりやすいことは想像できますよね。
新人や若手にかかる責任や求められるスキルは経験豊富な50代の教員と同様に重く、さらに職場では若手だから、という理由で部活の顧問やクラス担任を任せられます。土日にも出勤が求められるような状況で自分の時間は確保できない状況となります。寝る時間やリラックスする時間を削って普段の業務をこなしていかなくてはなりません。そういった背景もあり、私の感触だとやはり若い方に発生率が高いですね。
精神疾患を引き起こすきっかけとは
若手教員の場合、ベテラン教員の場合、それぞれについて典型的な事例をいくつか紹介してください。まず、うつ病になるきっかけについて教えてください。
20代の方は多忙、学校の仕事が具体的にわからないといった経験不足からの戸惑いなど、要因が仕事なので具体的なサポートをしてあげると比較的早く回復されます。
若い方からの声としてたびたび聞かれるのが、保護者から「子どももいないくせに余計なことを言わないでちょうだい」といった言葉をかけられてショックを受けたというケースです。教員は1年目から責任ある仕事を求められ、保護者の立場からすると年下で子どもがいない場合が多く、こういった言葉をかけられることがあるのでしょう。
一方、30代から50代の方は、教員としての立場だけでなく、育児や親の介護といった家庭の事情なども含めて複合的にしんどくなっていらっしゃるので、本人の問題というより置かれている環境の問題であるということが示されています。こちらはなかなか根本要因を解決することが困難で、回復にも時間がかかることがあります。
年配の方が調子を崩すきっかけは否定されたときが多いですね。教員は真面目でまっすぐな方が多いので、労われなかったり、認められなかったりした場合、ガクッとくる場合があります。役に立ちたい、なんとかしてあげたい、という誠実な人が多いので否定されることに弱い傾向があると感じます。
来院のきっかけや、相談に来た時点の症状の段階について教えてください。
来院のきっかけについて一概に年齢で区別はしにくいのですが、かなり身体にサインが出てから来られるケースが多いです。真面目で忍耐強い方が多いからこそですね。2015年頃はすぐに休業が必要なケースが多かったです。現在は管理職研修が浸透してきているので、半分くらいまで改善されてきています。
睡眠が取れなくなった、というのは本当に問題なので睡眠不足を感じられるようであれば来院されることをおすすめします。
外来診察では
どのような治療をしていくのでしょうか。
まず精神科の医師が現状をお聞きします。お困りの内容、症状、日常生活への支障、不調を来すきっかけとなった事柄などについて伺い、治療方針を立てます。睡眠をとることが心身のためには重要で、主治医に従い、しっかり睡眠をとれるようにしていくと、徐々に回復してきます。
眠ることができるようになった段階で、休業要因の整理のためにカウンセリングを行う場合もあります。主治医と心理士の判断によってそのタイミングは見極められます。
療養には段階があり、最初は絶対横臥期、回復期、そしてリハビリ期に入ります。この頃にリハビリとして、リワーク支援プログラムを始めることが多いです。休むことに飽きてきたな、と思われる時期が復帰に良い時期です。
療養後のリワーク支援プログラム
どのようなリハビリを行うのですか。
主治医の許可を得て、リワーク(return to work、つまり復職)支援プログラムへの参加を申し込みます。当院の場合、公立学校に勤務する教員で、契約のある自治体の教員であれば、教育委員会へ申込みが可能です。
申し込み後、管理職同伴で、近畿中央病院で事前面談を行います。そこで病状回復度、病態水準と病気の種類、抱えている問題の種類や重さ、集団での活動に向くかどうかなどについて、アセスメント面接を実施します。その後の職場復帰を見据えての環境調整を目的として、事前面接から管理職同伴としています。
リワーク支援プログラムは、下記の2つの目的を掲げて実施しています。
- 復職準備性の向上
- 再発防止能力の向上
1つ目の復職準備性にはいろいろなポイントがありますが、中でも、基本的な生活習慣を整える、症状への対処やコントロール、受診や服薬管理を含めた健康管理、職場との関係の整理が、勤続に重要とわかっています。
2つ目の再発防止能力については、ストレスに気づく・対処する、人との接し方の特徴を知り考える、自分の病気や仕事の仕方、もともとの特徴を理解する、休業要因の整理、睡眠覚醒リズムの維持が重要です。
上記の目的のもと、リワーク支援プログラムを、①集団精神療法、②模擬授業、③グループワーク(ストレスコントロール力を高める)、④対人関係場面のロールプレイ、⑤サポート情報提供・職場との環境調整などで構成しています。
職域病院ならではのものとして、②模擬授業が挙げられます。評価をともなう研究授業ではなく、休業中に模擬的に授業準備をし、実施するとどの程度疲れるか、どういった仕事の仕方をしていたかについて知ることが目的です。参加者は、互いに教員役/児童・生徒役を演じ、スタッフには、心理士の他、教職経験者1名が参加し、目的に応じたサポートを提供しています。
教員の本来の業務である授業ですが、やはり教員は教えることが大好きな人々であり、もう一度教えてみたいと思った、怖かったけど楽しかったなどの感想が聞かれ、自信が回復したり、忘れていた仕事の楽しさを思い出す人もいます。模擬授業は、教員のアイデンティティを刺激し、復帰へのモチベーションを刺激する効果があると考えています。病状が回復していても、教職へのモチベーションが湧かない場合には、退職を決意する人もいます。これもリワーク支援のひとつの側面です。
本プログラムでは、2023年度までに765名の方が卒業されました。年によりますが60~100%の方が復職し、60~70%の方はその後も勤続されています。
ラインケア(管理職としての相談)
管理職などが部下について相談に来る場合は、どのようなケースがありますか。
それぞれのご様子によって違いますが、こちらも常に何が起こっているかについて見立てが必要です。発達障害を持った教員が担任を持ってしまうようなケースが増えています。他人の心を読みにくい人が担任になることによって、問題が発生して相談に来る管理職が多いです。
他のケースだと心身に不調を来している職員がいるがどう声をかけるのが良いのか、具体的にどのような関わり方が良いのかという相談をする方もいらっしゃいました。
どのようなアドバイスをされていますか。
事情を伺いながら、メンタル面の不調に関する一般的な理解の仕方について説明し、具体的な声のかけ方などについて一緒に考えます。今後必要なときに役立てていただくために、受診を促すタイミングや勧め方などについてもお話ししています。
休業中の職員にどのように関わっていくべきか、ということも管理職の方から寄せられる相談例です。また、休業している職員の分の仕事をフォローする職員へのサポートの方法なども一緒に考えています。
復職後は管理職を巻き込んで再発防止
休職から復職への流れについて教えてください。
当院は教育委員会の委託機関ですので、復職できそうかという判断は教育委員会がし、当院はサポート機関として活動しています。教育委員会の委託というと、「どのように報告されるのか?」と不安になり、治療・回復のプロセスを阻害してしまうという面があります。そこで、「医療機関としてサポートを行い、判定はしない」というスタイルをとることで、教員の警戒を軽減しています。
復職に重要なことは、再発しない環境が整っているかどうかです。どういったときに発症したのか、生活リズムを整えることができる環境なのか、といったことを確認することで再発防止につなげることができます。
復職準備シートで、睡眠が確保できる、学校のことを考えてもしんどくならないか、などの項目をチェックし、それに基づいて患者さんと相談しながら具体的なサポートを考えます。
復職後のサポートは管理職を巻き込む必要があります。現場も、復職者もお互いが疲れないようにする、復帰1年目は学級担任や部活の顧問を外す、校務分掌の長にはしないなどの配慮をすると効果的であることについてお伝えします。現場自体に余裕がないことが多いので、できる配慮を管理職と一緒に考えます。
ご本人は復職すると忙しさが戻ってくるわけですが、通院・服薬を勝手にやめないようにします。薬の性質上、2週間に1回~月に1度は通院させてもらえるように学校側に要請することが必要です。このように、復職後は休業要因と照らし合わせて、できることを実行していきます。
自分の身は自分で守ることが大切
教員養成課程や就職後のメンタル・レジリエンス教育の現状や、大阪メンタルヘルス総合センターの取組について教えてください。
こちらは取り組み始めたところというのが現状です。研修講師にはお伺いしていますので、それがひとつの予防になるのではないかと思います。業務の合間を縫って、管理職研修にも積極的に行かせていただいています。当院センターとして、年間でオンライン研修などを合わせると40~50件以上行なっています。
教員養成大学では、例えば、四天王寺大学で卒業後5年目までの人たちを対象にした講義を行いました。大学側がこのように卒業後もケアをしてあげるのはいいことだと感じますね。
最後に、主な読者である学校の先生や教育委員会へ一言メッセージをお願いいたします。
とにかく、今は深刻な教員不足です。「うちは定数マイナス2名だから、まだ恵まれている」という方もいらっしゃいます。校長先生や教頭先生までが授業に入っているケースもあり、ブラックな情報だけが世間に回ってしまい、魅力ある職場であることがアピールできていない状況です。メンタルヘルスの施策だけでは追いつかない部分があります。自分の身は自分で守る必要があるので、まずはぐっすり寝ていただくこと。寝られなくなったら受診していただくことが大切です。
また、教育委員会としては、教員以外ができる仕事は積極的に分業できるような体制をつくり、減らせる仕事は減らしていきましょう。先生方の命を守りながら働いてもらうのは大切なことだと思います。
記者の目
近年よく耳にするモンスターペアレントがストレス要因の大半を占めるのではないかと想像していましたが、実際のデータ上では職場の同僚・管理職との人間関係が多くを占めている状況だったのは意外でした。そこの部分は民間企業勤務と同じではあるものの、教員という特殊な職業においては接する相手の層が広いということにより、ストレスの幅が広がることもわかりました。
また、教員という職業のイメージがいわば風評被害の状況になっていることも社会的な問題のひとつとして真剣に取り組む必要があり、待遇面の向上、法的なサポートは急務であると感じました。井上先生が取り組まれているリワーク支援プログラムや各種の研修は、多くの教員のまた教壇に立ちたいという気持ちを後押しし、教員ひとりひとりへのリスペクトの気持ちを保護者・管理職・同僚・生徒たちが持つことにつながっていて、メンタルヘルスケアという分野、カウンセリングに対するハードルの高さを少しずつ下げていらっしゃるものだと感銘を受けました。
井上 麻紀(いのうえ まき)
公立学校共済組合近畿中央病院 メンタルヘルスケアセンター(大阪メンタルヘルス総合センター)副センター長。主任臨床心理士。公認心理師。日本精神分析学会認定心理療法士。日本集団精神療法学会認定グループサイコセラピスト。
神戸大学大学院文学研究科心理学専攻を修了。児童相談所を経て、総合病院勤務の後、近畿中央病院へ赴任。 教職員の職域病院に勤務し、 リワーク(復職)支援プログラムをはじめ、ひとりでも多くの方にとってよりよい人生となるようなサポートを心 がける。 主な著書に、『 教師の心が折れるとき』2015、大月書店)、「24時間教師を辞めましょう」(月刊学校教育相談 2019-2020)など 。
取材・文・写真:学びの場.com編集部
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