教育トレンド

教育インタビュー

2020.06.22
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

橋本 康弘 主権者教育の一丁目一番地
新科目「公共」の授業をつくる(前編)

「公共」の意義と狙い

2016年7月の参議院選挙から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたことにより、若い世代に向けた主権者教育の必要性がますます高まっている。高等学校では現行学習指導要領における「現代社会」に代わって、2022年度から主権者教育の「一丁目一番地」とも言われる新科目「公共」が必修化されることとなった。「公共」のベースとなっている主権者教育とはどのような資質・能力の育成を目指しているのか。新科目「公共」は新学習指導要領における「主体的・対話的で深い学び」「見方・考え方」とどのように連関しているのか。法教育の研究に取り組む福井大学学術研究院教育・人文社会系部門教授の橋本康弘氏に話を伺った。

現在起こっているリアルな社会問題を取り扱うのが「公共」

福井大学学術研究院教育・人文社会系部門教授 橋本 康弘氏 

学びの場.com「公共」がどのような経緯で新学習指導要領に取り入れられたのかを教えてください。

橋本康弘(敬称略 以下、橋本)2016年に選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたのをきっかけに、これまで社会科の科目で主権者を育てる教育が十分に行われていたのかが問われるようになりました。

中教審での議論によく引き合いに出される資料として、日本の若者は諸外国の若者と比べ、政治への関心度や政策決定過程への関与における意識が低いというデータがあります(「平成30年度 我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」)。この調査の比較対象は中国・韓国・米国・日本で、日本が一番下です。これが問題だということになり、主権者教育を充実させるべきだという議論にまとまっていった。そして主権者教育を実施していく上での主要な科目として「公共」を新設したというわけです。

法的な視点にもとづいて考え、自ら判断する力

学びの場.com「公共」の目的は、若者の政治参加意識を高め、投票率を上げることにあるのでしょうか。

橋本「公共」は若者の投票意欲を高めることだけを目的に新設されたわけではありません。たしかに、若年層の投票率の低さはこれまでの主権者教育における課題ではあります。しかし、あくまで選挙に行く、行かないは個人の自由です。大事なのは、一人ひとりが主権者として社会問題について、法的な視点にもとづいて考えるようになること、そしてその結果として、投票する、しないを自らが判断できるようになることです。

法教育の理念は、自由、平等、生命、個人の尊重といった「法の原則」を知ること。社会の問題を考える際の「法的視点」を身につけること。そして社会に「参加する」ことです。こういうベースがあるなかで、「公共」では特に、法的視点を身につけることにフォーカスしたものと言えるでしょう。

「現代社会」と「公共」の違い

学びの場.com現行の「現代社会」と「公共」との違いはどこにあるのでしょうか。

橋本「現代社会」は、オイルショックなどで社会が混乱していた昭和50年代にできた科目です。社会不安の中で、自己のアイデンティティを確立することを目的として誕生しました。しかし、年月が経つにつれてその狙いは形骸化していきます。主権者教育という点においても、政治・経済の仕組みや社会問題の整理など、試験を念頭においた基礎的な知識の習得にとどまっていました。

その反省の上に立ち、教科書に書いてある知識を「政治・経済の仕組み」として学ぶだけにとどまらず、現象を概念化して問題点を整理する力や、リアルな社会問題に対して考察・判断したり、議論したりする資質・能力を育成することが大事だろうと。それが「公共」の目指すところであり、「大人になっても活用できる知識」を習得することが、将来の「よき主権者」を育てることにつながると思います。

公正にものごとを判断するときのものさしを身につける

学びの場.com 新学習指導要領のキー概念である「主体的・対話的で深い学び」および「見方・考え方」と「公共」のかかわりについて教えてください。

橋本「主体的・対話的で深い学び」というと、すぐにアクティブ・ラーニングという話になってしまいます。自分の考えを上手に発表したり、相手とコミュニケーションすることは大事ですが、その結論に至るまでの思考や判断するプロセスも相当に大事です。リアルな社会問題を扱う「公共」という科目は、正しい答えが決まっているわけではありません。そういう複雑で入り組んだ問題を考察・判断したり、議論したりするうえでは、科学的な知見を背景にした「判断枠組み」を活用することが大事になってきます。

もうひとつの「見方・考え方」を身につけるという点で、「公共」のポイントは、リアルな社会問題に対して考察・判断するときに必要となる基準を身につけることだと思います。先ほどから述べているような、法的な視点で社会の問題を捉え、自ら考える力というのは、まさに新学習指導要領のキーワードに合致するものでしょう。

学びの場.comあらためて整理すると、法的な視点とは具体的にどういうことでしょうか。

橋本ひとことで言えば「公正にものごとを判断するときのものさし」のことです。「公正」という概念を使うと、いま起きている社会問題を分析しやすくなります。
例として、「高齢者の運転免許返納の義務化」の是非について考えてみましょう。現在、日本では少子高齢化が社会問題となっています。一方、日本における高齢者の交通事故が増加している問題を受け、高齢者の運転免許返納の義務化を法律で規定しようとする動きがあります。
この問題を「公正」という視点から考えると、「運転免許の所有が地方と都市部の生活に与える影響の異なることの公正さ」「認知症である人とそうでない人の免許返納の必要性が異なることの公正さ」「免許返納時に地方自治体から受ける特典が地域によって異なることの公正さ」など、このように、公正という視点から社会問題を分析することは、問題点を洗い出し、整理するのに役立ちます。これは主権者としても大事な能力です。

(資料)福井大学の学生が作成した教材「『高齢者の運転免許返納の義務化』の是非について」より一部掲載
※一部図版をマスクして掲載しています。

学びの場.com 問題点を整理した後、公正に判断するにはどうすればいいのでしょうか。

橋本まずは、「高齢者の運転免許返納の義務化」の是非について直感的な意見を考え、その理由を述べられるのが大事です。たとえば、「高齢者の交通事故件数の減少につながるから」というのが「賛成」する「理由」となります。次に、その意見と理由が本当に正しいのか、対立意見を聞きながら検討していくというプロセスが必要になります。

公正に判断するには、多角的な視点が必要不可欠

学びの場.comなぜ、対立する意見を聞きながら検討するというプロセスが必要なのでしょうか?

橋本一面的な判断に偏ることをふせぐためです。

新型コロナウイルスの問題のひとつといえる「自粛警察」を例に考えてみましょう。自粛警察の根底にある価値観は、「人の命を守ることが大事」だという正義感です。「人命尊重」自体は、法的な価値としても大事な主張です。一方で、「人の命をまずは守るべき。経済活動はいつだってできる」と考えるなら、それは非常に一面的な見方だと言わざるを得ません。なぜなら、経済だって人の生き死ににかかわっているからです。

しかし、高校生だと飲食関係の人たちがどれだけ経済的に苦しんでいるかということがあまり分からず、「自粛警察」のほうに話がいきやすい。「自粛」と「経済活動」のいう多角的な視点をもつとともに両者の意見を傾聴できる態度を養うことが、公正に判断するうえで必要になります。

情報を多角的に集め、公正に判断するメディア・リテラシーを養う

橋本「公共」はメディア・リテラシーの育成も担っています。インターネット上に氾濫する情報の価値を正確に読み取れるようなるには、多角的な視点から情報を集め、公平に判断する能力が不可欠です。そのためにも、自分と同じ意見ばかり検索するのでなく、自分と異なる意見に耳を傾ける態度を養っていきましょう。

(後編へ続く)

橋本 康弘(はしもと やすひろ)

平成7年に広島大学大学院教育学研究科博士課程前期修了後、広島市立大手町商業高校教諭、広島大学附属福山中・高等学校教諭などを経て、平成14年に兵庫教育大学学校教育学部助手、平成16年に福井大学教育地域科学部助教授に就任。平成22年には、文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官を務める。現在は、福井大学学術研究院教育・人文社会系部門教授。

主な編著書に、『“公共”の授業を創る』、『“法”を教える 身近な題材で基礎基本を授業する』、『教室が白熱する“身近な問題の法学習”15選―法的にはどうなの? 子どもの疑問と悩みに答える授業』(以上、明治図書)などがある。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop