教育トレンド

教育インタビュー

2008.03.04
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鈴木邦彦 ミュージックベルを語る 子どもたちが音楽を通して成長する場を作りたい。

ミュージックベルは片手で振るだけで誰でも簡単に音楽演奏を楽しめる教育楽器。平成3年には文部科学省の小学校標準指定教材品目に選定され、現在では教育現場のみならず、高齢者施設でのミュージックセラピーにも利用されている。その生みの親ともいうべき存在が作曲家の鈴木邦彦氏。昭和43年に日本レコード大賞を受賞した『天使の誘惑』(黛ジュン)をはじめ数々のヒット曲で知られる鈴木氏がミュージックベルに託す思いとは?

ミュージックベルと出会い、音楽活動を方向転換!

学びの場.com教育現場はもとより、高齢者施設などのミュージックセラピーにも取り入れられているミュージックベルですが、人気作曲家として知られる鈴木さんが、この楽器を考案するまでの経緯を教えていただけますか?

鈴木邦彦僕は音楽大学出身ではないんですが、学生時代からピアニストとして活動してたんです。学生バンドで各地を回ったり、「ザ・ヒットパレード」のフルバンドに参加したりね。その後、中村八大先生と出会ってプロの作曲家になるんですが、そのデビュー1年目に『天使の誘惑』で日本レコード大賞を受賞してしまったんです。

学びの場.com素晴らしい(笑)!

鈴木邦彦でも、そこで方向転換なんですよ。その後しばらく、いろいろな曲を書いたり、劇団四季のミュージカルや芝居の音楽にたずさわったり、TVで演奏したり……音楽家としてさまざまな活動をしましたが、次第に、自分の音楽をレコードで残す以外に、「もっと音楽を楽しむ方法があるんじゃないか?」「音楽の喜びを与える方法があるんじゃないか?」と思い始めたんです。そんなとき、僕の事務所をベル・メーカーの方が訪ねてきたんですね。このミュージックベルの原型を持って。

学びの場.comそれはいつ頃ですか?

鈴木邦彦昭和50年前後かと思います。最初は、「このベルを改良してほしい」という相談だったんです。

学びの場.com現在のものとはだいぶ異なるんですか?

鈴木邦彦まず色がメチャメチャでした(笑)。それを子どもが親しみやすいよう7色の虹の色に整理して、基本となるハ長調のドは赤、そこから虹と同じグラデーションで色と音を決めていきました。  次に音質。当初は中の玉がプラスチックだったんですけど、それを硬質ゴムにしたり。じょじょに改良していきました。その最初の実験台になってくれたのが、熱海の小学生ですよ。それも昭和50年頃の話だから、いまはもうみんな立派な成人ですね。

子どもたちを夢中にさせたミュージックベルの授業実践

学びの場.com鈴木さんが直接指導されたんですか?

鈴木邦彦そうです。熱海にたまたま気のいい校長先生がいまして、「音楽の授業をやらせてやる」っていうんでベルを持って出かけました。でも、誰もが音楽好きなわけじゃないでしょ? そりゃいろんな子どもがいますよ。  で、まず「『ドレミの歌』って知ってる?」って。そしたら「知ってる」っていうんです。「じゃ僕がピアノ弾くからね」って、『ドレミの歌』を聴かせます。子どもたちはただ聴いてるだけです。「面白い?」って尋ねると「別に」。そりゃそうです、聴いてるだけじゃつまらない(笑)。

【写真手前:ミュージックベル】ミュージックベルとはハンドベルよりも軽量かつシンプルな作りで、幼稚園児から高齢者まで誰でも演奏が楽しめる楽器。35音で構成され、演奏時には数人がそれぞれのベル(音)を担当し、メロディやハーモニー、リズムを作っていく。専門的な音楽知識や楽器のレッスンを必要とせず、楽譜が読めなくてもアンサンブルが可能。

次に、「じゃ机動かして、歩きながら『ドレミの歌』を歌おうよ」って。今度もまた「面白い?」って尋ねるんです。すると子どもたちは「面白くない」って(笑)。そこで、「じゃあ、これ持ってみる?」って机の下に隠しておいたミュージックベルを出したんですよ!

学びの場.com手品のようですね(笑)。

鈴木邦彦子どもたちは「何これー?」って興味津々。そこで「さっき歩いたよね? 今度はこのベルを持ちながら歩こうか。持って、『ドレミの歌』歌うんだよ」。

学びの場.comそうして子どもたちにベルを持たせる、と。

鈴木邦彦「キミは『ド』ね」「キミは『ソ』ね」って、一人一音ね。それで、「♪ドミミ、ミソソのところやってみようか」って。うまくできる、できないは関係ないんです。大事なのは、そこまでくるともう全員が自然に集中して音を〈聴いてる〉んですよ。  そのとき、僕はこれだなって。一人一音、みんなで素敵な音になる。音楽のセンスや知識やトレーニングに関係なく、“誰もが同じ土俵でいつでもどこでも楽しめる”楽器。音楽家として、このベルに出会えたことは本当に幸せだと思いましたね。  ところが、その授業のあとが大変。校長先生から連絡があって「なんてことしてくれるんだ!」って。「子どもたちがベルの話題で夢中になってるけど、体験したのは1組だけ。他のクラスの子どもたちもなんとかしてくれ」って(笑)。  当時、僕も全クラスを回るわけにはいかなかったので、各クラスから10人を出してもらって、その後、熱海のマリンパレードに特別参加したんです。静岡県警のオーケストラと小学生のベル隊の合奏は画期的でしたよ(笑)。

ミュージックベルはコミュニケーション力を伸ばす楽器

学びの場.comその後、ミュージックベルは学校教材として全国に普及し、平成3年には文科省の小学校標準指定教材品目にも選定されましたね。一方で、ミュージックセラピーに利用されたり、結婚式のイベントとしても人気が高いとか?

鈴木邦彦喜ばしいことですね。実は、年一回「ミュージックベルコンテスト 」というのを行ってまして、今年で19回目になるんですが、学校のみならず、親子だったり、友人同士だったり、参加者も幅広くなっています。

学びの場.comそこで鈴木さんは、ミュージックベルが愛される理由をどうお考えですか?

鈴木邦彦特別な知識や技術がまったく必要ない上、ミュージックベルは、平等な楽器です。一人一人が違う音を持ちながら、見事なメロディを奏でるこの楽器は、自然のうちに社会性や協調性まで育んでいく。コミュニケーションなくしては音楽にならない。  その素晴らしさでしょうね。音楽家として「それどうなの?」って言われちゃうかもしれませんが(笑)、人は聴くだけでは満足しないんですよ。演奏するということ。しかも、人前で演る。そして拍手を浴びる。この拍手を浴びるってことが、子どもの成長と人生にとって何より大事なことなんですよ。

学びの場.com拍手を浴びることで、楽しみや喜びを知るんですね。

鈴木邦彦音楽教育にもいろいろな方法があると思うんですよ。お母さんに手を引かれて泣きながらピアノ教室に通う、絶対音感にこだわる、そうやって音楽のグレードを高めていくというのも一つの方法です。  でも、僕が音楽家として伝えたいのは、グレードの問題ではなく、音楽を通して〈楽しむ〉とか〈喜ぶ〉という気持ち。そして子どもたちが自信を持って生きていけるよう、拍手を浴びる機会を作ること。僕の音楽家としての役目はそっちだと思ってるんです。ミュージックベルはそのツールなんですね。  ミュージックベルには、ドラマがたくさんありますよ。以前、北海道の幼稚園でね、とても立派な演奏を聴いたんですよ。その後、先生方と会食していたら、「実は一人の園児が昨日までまったく参加しなかった」というんです。その子は練習は見るけれど何を言っても参加せず、先生方も諦めかかっていたと。それでも本番、その子の分のユニフォームを準備し、スペースを空けて待っていたんです。  そしたら、現れたんですね、その子が(笑)。黙って自分の場所に立ち、しかも見事に演奏までこなして! 何も言わずに迎え入れる園児たちも偉いけれど、勇気をふりしぼって本番に参加したその子どもも偉い。

仮にね、その子が演奏を間違えたって、そんなことどうだっていいんです。みんなのなかに入るきっかけを、多分、ずっとずっと待っていたんですよ。その子どもたちの気持ちに拍手ですよ。  僕はこの楽器に出会えて、本当に幸せです。子どもたちがミュージックベルを通して“いつでも、どこでも、誰とでも”音楽を楽しめる機会を持ち、成長していければいいなあと思います。

鈴木 邦彦(すずき くにひこ)

1938年東京生まれ。作曲家。慶應義塾大学経済学部卒業。自宅にあった母のピアノをきっかけに独学で音楽を学び、学生時代からピアニスト、アレンジャー、作曲家として活躍。旧西ドイツ・ドルトムントにおける「世界体操選手権大会」に日本代表選手のピアニストとして参加し、床運動の規定曲の作曲を務める。昭和43年には『天使の誘惑』(黛ジュン)で日本レコード大賞を受賞。『さらば涙といおう』(森田健作)『恋の奴隷』(奥村チヨ)などヒット作多数。

写真:言美歩/インタビュー・文:寺田薫

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