教育トレンド

教育インタビュー

2008.01.15
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

福原義春 教育CSRの本質・意義・在り方を語る

教育CSRが学校現場からも企業側からも注目されているが、企業が教育分野にCSRとして関わる意義は本当にあるのだろうか? そこで今回、企業によるメセナ(芸術文化支援)活動を推進する(社)企業メセナ協議会の会長として時代を牽引し、また経営トップとして手腕を振るった資生堂名誉会長の福原義春氏に、21世紀における企業の行う社会貢献活動の意義や教育CSRの在り方についてお答えいただいた。

人生に深い影響を与えた慶應幼稚舎の恩師・吉田小五郎先生

学びの場.com1990年に企業メセナ協議会が発足し、企業によるメセナ(芸術文化支援)活動は徐々に定着しつつあります。現在も協議会会長として尽力されているわけですが、ご自身の文化的背景、それを培った教育体験について教えてください。

福原義春僕の教育体験のほとんどは小学校におけるものです。昭和16年に真珠湾攻撃が起こり、中学時代は疎開をするなど勉強どころではなかったし、大学も学制改革のあおりで混乱していましたから。  そんな中、僕がもっとも影響を受けたのが慶應幼稚舎で6年間担任だった恩師、吉田小五郎先生です。吉田先生は慶應義塾大学文学部史学科を卒業されて、歴史研究者として大学に残るよう言われたのですが、子どもが好きだという理由で幼稚舎の教員になった人。ですから、教壇に立ちながら研究も続け本や論文を書いていましたね。吉田先生はもともと幸田露伴の弟の幸田成友(しげとも)先生の教えを受けた人で、僕らもその教えを受け継いだのです。

学びの場.com6年間同じ担任というのはやはり私学ならではですね。

福原義春そうですね。僕にとっては幸運なことでした。でも、吉田先生にしょっちゅう怒られている子もいましたよ。子どもといえども人間ですから、先生との相性もあるわけで、そういう子にとってはきびしかったのかもしれませんね。  ただ、僕の場合はこの小学校6年間に吉田先生から教わったことが積み重なって、今の自分の価値観が作られたといえます。父もよく、先生と似た教えを言っていましたから、家庭と学校の教育方針が共通していたことも大きいですね。  まずいちばんは、もとは幸田先生の教えである「物事はすべて原典に還れ」ということ。子引き孫引きしたものは役に立たない、面倒でもオリジナルに当たれということです。  もうひとつが「真実は両側にある」。ちょうど東西交流史の勉強で、たとえば宣教師の見た信長と、信長の見た宣教師観のふたつが記録に残されているが、両方とも真実であり、中間の見方はないのだ、と。それは徹底的に教えられました。のちに僕が経営者となった時、経済価値だけでない「多元価値」という思想を尊重するようになったのもここに出発点があります。両側にあるものをどう折り合いつけるかが重要であり、いろんなものの本質を考えることこそが大事だということです。

福原義春メセナ活動についても、たとえばオペラを支援する企業があったとして、なぜその企業が芸術文化を支援するのかということよりも、企業は何のために存在するのか、そもそも企業とは何か? 僕はその段階から考えるので、ひとつの回答がでるまでにかなり時間はかかります。そのかわり、価値基準はぐらつかない。世の中が変わっても本質さえ見失わなければ、どんな時代であろうと真実は変わらないのです。

学びの場.com物事の本質を考える習慣が、すでに小学生のときに身についたのですね。

福原義春当時は何を言われているか、わからなかったと思います。でも繰り返しそう教えられるとその教えは刷り込まれていきますね。吉田先生は子どもを子ども扱いしなかった。大人にするのと同じ話をしていたのです。そういう教育は子どもに通じないだろうという意見もあるでしょうが、現に僕はしっかり覚えています(笑)。  吉田先生以外にも当時の幼稚舎には立派な先生がたくさんいらっしゃいました。その方々は例えば第一線の詩人であったり、画家であったり、のちに湘南学園の園長となられた宮下正美先生もいらっしゃいました。最近の先生方はみなさんお忙しいから大変だと思いますが、授業以外でも何か研究を続けたり、趣味を究めたりすれば、直接的ではないにしろ子どもたちにいい影響を及ぼすことができるのではないでしょうか。これは会社員も同じこと。仕事以外に自分が一生を賭けてもいいという研究や趣味をもつことは人生を豊かにします。

自己形成の元になった読書体験とコンプレックス

学びの場.comこの小学校卒業後、戦争の混乱の中、中学校に進まれるわけですね。

福原義春戦争は学校の授業や日常生活にいろいろな制約をもたらしましたが、“学ぶ”ことについては結果的に貴重な時間を僕に与えてくれました。それは疎開先における読書の時間です。僕が小児ぜんそくだったこともあり、中学2年のとき一家で長野県に疎開しました。ぜんそくといっても発作のない時はそんなに深刻なものではなかったのですけどね。父から「疎開先の学校に都会の子どもが行けば差別されるだろうから行くな」と言われたので、1年間学校にも行かず家で本を読んでいました。  父にとって本は大事な財産だったので疎開先にも全部持っていったのです。それを片っ端から読みました。中里介山の『大菩薩峠』、スヴェン・ヘディンの『彷徨える湖』など、推理小説もあれば、伏せ字のある翻訳小説もあり、全部大人の本ばかりでしたが、繰り返して何回も読めばだんだんわかるようになるものです。おかげで本の読み方を覚えましたし、ナナメ読みはもちろん、ページを面で読むこともできるようになりました(笑)。読書体験も、今の自分を作った大事な要素といえますね。

学びの場.com物事の考え方をしっかりと身につけたあとに大量の知識を吸収されたというのは、子どもが成長するうえで理想的な形に思えます。

福原義春しかしながら、僕が今日あるのはコンプレックスがあったからともいえます。子どものころは運動が苦手で、それを読書で挽回しようとも思いましたし。また、もっと小さいころは“ご大家の坊ちゃん”と周りから言われて、ちっとも大家じゃないし普通の暮らしをしていたのですが、そう言われるのがイヤでね。「じゃあ、ちょっと人より頑張ろう」と思ったものです。  結局、僕はコンプレックスをバネにしてやってきた面もあります。人間、多少はそういうコンプレックスがあるほうが頑張れるものではないでしょうか。

企業は社会貢献活動によって社会的存在になり得る

学びの場.com現在、企業によるメセナ(芸術文化支援)活動の活性化に携わっていらっしゃいますが、その意義とは?

福原義春そもそも文化とは“人の生き方”です。まだ貨幣社会ではなかった縄文時代、火焔土器は当時の人々が高く売ろうとして作ったものでは当然ないわけです。ではなぜあれほど素晴らしい土器を作ったか。それは自分たち部族が神様にお祈りするときに少しでもいいものを作ろう、他の部族よりも美しいものを作れば神様は願いをかなえてくれるのではないか。そうやってできたものでしょう。つまり、人の生き方が形になり、後の世に残るものが“芸術”といわれるわけです。  また、2002年にIJBG(日伊ビジネスグループ)の会合でフランチェスコ・アルベローニというイタリアの社会学者が話していたのですが、「文化とは自分を愛することから始まる」と。「日本人はイタリアの料理やファッションに憧れていますね。しかしそれらはイタリア人が個人主義で、自分を美しくしよう、家を飾ろう、美味しいものを食べようということが根本にあって生まれたもの。日本人観光客にたくさん来てほしくてそうしたのではない」と言われていました。  自分を大事にすること、自分の住んでいる地域を大事にすること、自分の会社を大事にすること。その思いが「今をよりよくしよう」という動機を生み、そして文化が生まれるのです。ひとつの会社がよくなる背景には必ず、“人の生き方を尊重する”という精神があります。単に立派な文化施設を作ればいいということではなく、そこでいかに素晴らしいコンサートをおこなうか、また施設などはなくても、いかにいいものを社会に提供するかが大事なのです。

福原義春企業メセナ協議会誕生のきっかけは1988年の日仏文化サミットです。このときにフランスの企業メセナ協議会から、「日本は経済大国であるとともに、民間の文化支援に先駆けている。ともに連帯しましょう」と提案され、90年に発足しました。企業はもともと社会機関のひとつであり、社会なくしては成り立たない。また社会も企業なくしては成立しえない。企業の社会貢献活動はこの密接な関係の中にすでに含まれているのではないでしょうか。“文化が人の生き方”であればこそ、文化を支援する企業のメセナ活動は大変重要な役割を果たすものだと考えます。

学びの場.comメセナ活動はいまでは会社の数だけさまざまな形で行われています。そうした活動をすることで企業にはどのようなメリットがあるのでしょうか? 他方“見返りなき文化支援”と言われたり、中には企業PRやマーケティングに利用するケースもあるようですが。

福原義春メセナ活動を企業が宣伝やマーケティングに利用するのは時代遅れでしょう。儲けたいなら本業で頑張ればいいのです。それに短期的な見返りはありませんが、企業は社会的な存在であるということで、見返りはいずれあります。  たとえば会社が繁栄したり、いい人材が育ったり、地域が発展したり。あるいはそれまでの社会貢献活動で築いた信用のおかげで経営危機が救われたり。これは実際アメリカの大きなコンピュータ会社であった話です。社会から“信頼”というお金では買えない見返りを得ることができたのです。

見返りといってもそれがいつどのような形であらわれるかはわかりません。計算して返ってくるようなものではないのです。協議会がおこなっている調査で、企業がメセナ活動を行う目的を尋ねると、やはり「社会貢献の一環として」と回答する企業がほとんどです。また、メセナ活動を「企業の社会的責任(CSR)の一環として位置づけている」「今後CSRの一環に含めていく」企業を合わせると9割近くに上ります。  それらの企業に、では、メセナ活動を通じて得たことは何かを尋ねてみると、「日ごろ接点のない地域の人々との交流のきっかけになっている」「本業では得にくい人脈を得た」「今までにない発想や新たな活動のヒントを得た」などの答えが寄せられています。このように決して見返りがないわけではないのです。

教育CSRとは社会の活力を高め優れた市民を育てること

学びの場.com学校現場にもさまざまな企業の支援が行われています。マナー講習や職場体験などの役立つものもあれば、中には一方的な“押しつけ”になっているものもあるようです。企業が教育CSR活動をする意義はあるのでしょうか。

福原義春あります。企業は社会と密接に結びついている社会機関のひとつなのですから、教育分野においても貢献すべきです。企業には従業員がおりますし、それぞれ家庭がある。その子どもたちに責任を果たすのは当然といえます。だからといって、活動の中で企業名を連呼したり、学校現場の実情や意見を知らずに、自社のプログラムを「やりませんか」と押しつけたりするのは、やはり時代遅れというか、勘違いでしょうね。CSRをきちんと理解していないということでしょう。
 企業メセナ協議会のメンバーでも教育分野でさまざまな活動に取り組んでいますが、そういう時代遅れなことは聞かないですね。

福原義春たとえば『子どもとアーティストの出会い』という活動があります。これは芸術家が学校や地域の児童館などを訪ねて、子どもたちとワークショップをおこなうもので、トヨタ自動車のメセナ活動ですが、自動車とはまったく関係のない分野です。でも“次世代育成”を社会貢献の方針に掲げて、全国各地で取り組んでいらっしゃる。  また資生堂では毎年夏休みに小学校や中学校の先生の企業研修を受け入れています。企業というのはどんな組織か、自分たちの職場とはどう違うかなどを体験していただくものです。参加された先生は向上心の高い方が多く、丸三日間、広報部やマーケティング部門、工場、研究所などいろんな部署で見聞を深め、素晴らしいリポートを書いてくださいます。
 また学校からの要請があれば、多くの社員が講演に出向いたり学校教育のお手伝いをしたりしています。  その後、その経験を子どもたちに伝えてくれだとか、教育関係者に広めてくれだとかいうことはありません。先生方にとって少しでも役立てればという思いだけです。

ひとくちに教育分野の社会貢献といってもやり方はさまざま。しかしなぜ企業が教育に関わるのか、その意義とは何か、そもそも企業はなんのために存在するのかという本質をわかった上で取り組まなくてはなりません。
 一方、支援を受ける側の学校も、民間企業の提供というだけで「営利目的ではないか?」などとあまり神経質にならず、いろいろやり取りしてみたほうがいいと思いますよ。  21世紀の企業は、経済的価値のみを追求する機関ではなく、他のさまざまな価値を生み出す存在として社会に関わっていくべきです。そのためにはメセナやCSR活動を通じて社会の活力を高め、人々の生活満足度を向上させることが大事。人々が、教育をはじめ目に見えないものや未知なるものの価値を評価したり、文化の多様性を理解したり、個人と社会の関係をより深く認識できるようになるという意義が、メセナやCSR活動にはあると思うのです。  そして、教育、芸術、環境、福祉……などの社会貢献活動を通じ、企業は社格を保ち、社員の文化に対する感性を高め、理解を深化させることによって、良質の商品やサービスを生み出すことができるのです。

福原 義春(ふくはら よしはる)

社団法人企業メセナ協議会会長、資生堂名誉会長
1931年東京生まれ。慶應義塾大学卒業と同時に資生堂入社。米国法人社長を経て、商品開発部長、取締役外国部長を歴任。87年第10代社長に就任。97年会長、2001年名誉会長。1990年に企業メセナ協議会の発足とともに理事長に就任する。ほかにも東京都写真美術館館長、東京芸術文化評議会会長、文字・活字文化推進機構会長など公職多数。趣味は写真、洋蘭栽培。著書に『多元価値経営の時代』(東経)、『生きることは学ぶこと』(日本文芸社)、『ぼくの複線人生』(岩波書店)など多数。

写真:言美歩/インタビュー・文:柴田浩子

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop