教育トレンド

教育インタビュー

2007.09.04
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池田理代子 親や教員の役割は子どもに大きな世界を見せること

東京教育大学(現・筑波大学)在学中に漫画家デビューした池田理代子さん。代表作『ベルサイユのばら』は、宝塚で舞台化、さらにアニメ化、映画化で社会現象になり、今も40代を中心に幅広い年齢層に熱心な"ベルばら"ファンをもつ。歴史や芸術への造詣が深い池田さんだが、その教育ルーツとは? 幼少時代の体験やご自身が受けた家庭や学校での教育、そして自分が望む漫画の姿について語っていただいた。

子ども時代はチンドン屋に夢中、暗闇に興味津々

学びの場.com社会現象にまでなった『ベルサイユのばら』をはじめ、話題作を次々と世に送り出していらっしゃいますが、小さいころはどんなことに興味をおもちだったのでしょう?

池田理代子チンドン屋さんや紙芝居が大好きで、いつまでも後ろをついて歩いていくような子でした。気がつくと暗くなっていて、チンドン屋のおじさんが心配して「アンタ、どこの子?」って。親も呆れるくらい、夢中になると周りが見えなくなる子どもだったんです。  私は昔からチンドン屋をはじめ、紙芝居や夜店、縁日などが大好きなの! どれも強い光と対照的な濃い闇の部分があるでしょう。陰影が濃くてちょっと猥雑で……。行っちゃいけないといわれている路地などにも興味津々でした。そういう所には「いったい何が潜んでいるのだろう? 精霊がいるのかしら」って思うんです。  反対に清潔で明々としたものは苦手です。だから蛍光灯も嫌い(笑)。人ってランプのようにぼうっとした光に心惹かれるものなのではないでしょうか。きっと陰影に想像力がかきたてられるからでしょうね。

学びの場.com漫画も読まれていましたか?

池田理代子もちろん。当時の漫画は読み捨てで、世間的に堂々と認められるようなものではなく、学校の先生やPTAからも読んじゃいけないと言われていたんです。でも私の母は、子どもにどんな才能が眠っているかわからないから、なんでもやらせようという人で、さまざまな経験をさせてくれました。それで、私に漫画の才能もあるかもしれない、ということで読ませてくれたんです。ただし“母の検閲”を通ったものだけ(笑)。

学びの場.com子どもってダメといわれると、なおさら興味津々になりますからね。

池田理代子そうなんです。禁止されるものほど見たい、読みたい(笑)。でもうちの親はなかなか厳しくて、自分でお金を稼げるようになってから好きなことをしなさいと。テレビも好きに見せてはくれませんでした。親がチェックしてお許しがでた番組だけ見ていました。  今は携帯電話にしろ、ゲームにしろ、何をするにしてもお金がかかりますよね。それらを子どもたちに与える前に、まずは「使ったらお金がかかる」ということを教えないといけません。子どものときからそうした金銭感覚をもつことは大事だと思います。

母の世界を広げてくれた母の教育方針

学びの場.comお母様がさせてくれたさまざまな経験とはどのようなものですか?

池田理代子お稽古事では絵、ピアノ、歌、お琴、お茶となんでも。お能は拒否しました(笑)。母に連れていかれて「どう?」って。イヤだっていうと「あらそう」と強制はしませんでしたね。母は「こういう世界もあるのよ」という感覚でじつにいろいろなものを見せてくれたんです。

子どもの世界というのは可能性はあるけれど極々小さいですから、大人が機会を作ってあげることが大切。世の中にはこういう仕事があるよ、こういうものがあるよって教えてあげなくてはいけないと思っています。

学びの場.comこのような子ども時代を経て漫画家となられたわけですが、大ヒット作『ベルサイユのばら』はどのような経緯から生まれたのでしょうか?

池田理代子高校時代に読んだツヴァイクの歴史小説『マリー・アントワネット』がきっかけです。あくまでもマリー・アントワネットに興味があったわけで、高校のときからフランス革命を研究していたわけではないんですよ。
 漫画を描き始めたころは、商業雑誌に載せる訳ですから読者にウケることも大切だと心がけていました。それで実績を作って、タイミングをみて長く温めていたアイデアを実行したのが『ベルサイユのばら』。

池田理代子私は、常時ノートに500くらいのアイデアを書きつけています。それはとくに歴史モノに特化しているわけではありません。種種雑多なメモ書きで、あとから見てなんて書いてあるかわからないということもしばしば(笑)。ただ、読み直していると「これはあのときの作品の元ネタだわ」と思い出したりもします。

学びの場.comそれにしても“ベルばら”現象はすごかったですね。学びの場.comユーザーでも影響を受けた方は多いはずです。

池田理代子漫画家の中には勘違いしてしまう人も多いんです。作品がヒットすると、自分の周りに集まるのはファンばかりでしょう。すると、自分が世界の中心のような気になってしまうんですね。でもそれは大変な間違い。もっとすごい人、もっと人気のある人はたくさんいて、決して天狗になってはいけないと、若いころから自分を律していました。
“ベルばらヒット”で、私が一番嬉しかったのは、読み捨てられるのが当然だった漫画がそうではなくなったことです。みなさんに大事に読んでいただけるのが、なにより喜びでした。

映画はサブカルチャーとして楽しむべし

学びの場.com今は大学でも漫画を教えるようになりました。

池田理代子それには反対です。漫画にアカデミズムが加わってしまったら、漫画本来がもっている魅力がなくなってしまうと思います。漫画や紙芝居のような猥雑な世界の力というのがあるんですよ。サブカルチャーだからこその力ですね。
 以前、有名な美術館から、私の原画を展示したいという申し入れがあったのですが、丁重にお断りしました。美術館に入るようなものではないから、と。一時期、歌舞伎が芸術のように庶民からかけはなれて、でもそれで廃れていったことがありました。同様の現象が漫画にだって起こるかもしれませんよ。
 またよく漫画を誉めるのに「これはもはや漫画というより文学だ」という人がいますが、これはかえって失礼な言い方ですね。漫画と文学はまったくの別物です。

学びの場.com子どもたちの教材に漫画が使われることもありますが。

池田理代子それも反対。子どもに媚びてますよ。安易に漫画に助けを借りていることを子どもは察し、その結果大人をバカにするでしょう。理解を深めるためならきちんとした文章と図版でわかりやすく作ればいいのです。その努力をしないのは間違いだと思いますね。
読む力を育てるなら、子ども時代には『ファーブル昆虫記』がおすすめ。私自身、この本のロマンをかきたてる表現に夢中になったものです。ただ知識を得るための昆虫図鑑にはない、好奇心と想像力を刺激し膨らませてくれる作品なのです。南方熊楠の作品も同様ですね。そうした少々難解でも確かなものに子どもは接していないと、読む力は失せていくと思います。

夢をかなえるべく一念発起して音楽大学へ

学びの場.com漫画家として第一線で活躍されているときに音楽大学へ進まれましたが、これはどういうきっかけだったのでしょう。

池田理代子年齢的にも仕事状況も今この時期しかない、ということで決断しました。仕事を整理しながら受験に臨んだので、本当に忙しかったですね。でも、十代のときの受験とは違い、「自分でコレがやりたいのだ」というときは、気持ちの入り方が違いますね。貴重な体験でした。
クラシック音楽を専門に学ぶことは小さいころからの夢でした。今もまだまだ勉強の日々です。

学びの場.comこうしてみると池田さんは、子どものころから好奇心旺盛で、その対象となるジャンルも広いですね。

池田理代子音楽ならクラシックも演歌も大好きです。ジャンルが違ってもいいものをいいと素直に思えない、偏った考え方の人はかわいそうだと思います。芸術性の高い舞台はいいが、漫才は受け付けない、とかね。
 学校の先生がたにはそのような偏った志向はして欲しくないです。たとえば歌舞伎が好きで、歌舞伎ばかりを見ているかたも、たまには能やオペラも見てください、というかんじかしら。

学びの場.com現場の先生は校務が山積し、夏休みもほとんど出勤で、観劇などをする時間もなかなかとれないということがあるようです。

池田理代子内面を豊かにするためですから、その費用を国でまかなうくらいしたほうがいいと思います。先生が教養を身に付けることは、結果的に子どもたちに返ってくるわけですから。  先生はベビーシッターでも事務員でもない。事務仕事は事務の専門職がすべきですし、親は子どものしつけを先生に押し付けない。私は子どもをもつことがいちばん大きな夢だったのですが、残念ながら叶いませんでした。でも、もし私が親だったら、先生にはゆとりをもって子どもたちと接して欲しいと言うでしょう。

私が小学生のとき、一人の先生に孔子の言葉を教えていただきました。『自反而縮、雖千万吾往矣(自ら反りみて縮かれば、千万人といえども、吾往(ゆ)かん)』。自分が正しいと思ったらたとえ敵が千万人いても行くんだよって。子ども心にもとても感動して、私もそんな生き方をしようと固く思ったものです。
孔子の教えはまだちょっと難しい幼い小学生にも、そういう物事の真理と高い志をきちんと教えてくれた先生に、私は今も感謝しています。

池田 理代子(いけだ りよこ)

劇画家・声楽家。1947年生まれ。72年『週刊マーガレット』で『ベルサイユのばら』の連載がスタートし爆発的ヒット。ベルばら現象を巻き起こした。『オルフェウスの窓』は第9回日本漫画家協会優秀賞受賞。95年、東京音楽大学声楽科入学、99年卒業。漫画家・声楽家の枠を超え、各方面で活躍中。

写真:言美歩/インタビュー・文:柴田浩子

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