教育トレンド

教育インタビュー

2007.05.01
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上川徹 ワールドカップ国際主審からのメッセージ

JFA(財団法人日本サッカー協会)初のプロ審判となり、2006年ドイツワールドカップでは3位決定戦で主審を務めるなど、日本を代表するレフェリーとして活躍してきた上川徹氏。今回の教育インタビューでは、審判という仕事の難しさから、指導者に求められる姿勢、学校現場や家庭へのメッセージまで幅広く語っていただいた。

指導者として感じる、教える立場の難しさ

学びの場.com昨シーズンで審判を引退され、現在は後進の指導にあたられているそうですが、具体的にはどのような指導をされているのですか。

上川徹 トップレフェリーインストラクターとして、スペシャルレフェリー(プロ審判)や国際審判員を含む、Jリーグを担当する現役審判員の指導と評価を行うとともに、試合の割り振りにも関わっています。実際に現場で試合を見ることも多いですし、スペシャルレフェリーへの指導では、彼らが担当したすべての試合をビデオでチェックし、分析結果を直接コメントしています。  おそらく学校の先生方も同じでしょうが、どうやったら審判員が伸びていくのか、どうすれば上手く伝えられるのかを考えながら、毎回勉強しているところです。教える立場の難しさを感じますね。

学びの場.com指導するうえで心がけていることはありますか。

上川徹 私は現役のときから、他の人にはできないようなことを求められているんだという自覚を持って審判という仕事に取り組んできました。指導者としても、この仕事の誇りや責任を若い世代の審判に伝えていきたいと思っています。  私たち審判は選手や観客から、「審判」という集団として見られるのであって、「上川」という個人としては見られません。つまり、個々の審判に対する評価は、審判員全員に跳ね返ってくるのです。個人の力量を高めることも重要ですが、それ以上に、目標と課題を共有しながら、全体としてレベルアップしていくことを大切にしています。

「答え」を直接教えず、導くことが指導者の仕事

学びの場.com上川さんが現役審判として活動されていたころと、いま審判を志す若者では意識の違いは感じますか。

上川徹 バックグラウンドも環境も異なるのですから、意識が違うのは当然だと思います。大切なのは、私たち指導者がそうした環境の変化に対応して、若い人たちを上手く引き上げてあげることです。  若い審判員に指導をしていてよく感じるのは、みんな「答え」を待っているということですね。もちろん私のなかには用意されているのですが、それを先に言うのではなく、彼らが自らそれを導き出せるようにサポートするのが指導者の役割だと思います。ベースになるのは対話です。審判という仕事に対する考え方や、試合でのジャッジの理由などをじっくり聞きながらアドバイスしていきます。いろいろな状況を想定させ、自分の頭で考えさせるなかで、私が求める「答え」に導いていく。与えられたものではなく、自分の力でたどり着いた答えだからこそ納得できるのです。  ただ、自ら考え、自分なりの答えを見つけるというのは、私が審判の勉強をしていたころは当然のことでしたが、いまの彼らには、「正解があるのなら早くそれを与えてほしい」という姿勢が見えるんです。審判に限らず、どの分野の指導者も似たようなことを感じているのではないでしょうか。

学びの場.com彼らが答えを見つけるまで待つことが必要なのでしょうか。

上川徹 いや実は、審判の世界特有の難しさがあります。トップレフェリーともなるとすでにJリーグの試合で笛を吹いているのですから、自らの課題に対する答えを見つけ、レベルアップしていくのを待ってやる時間はない。同じミスを繰り返す審判を使い続けていれば、選手も不信感を抱くようになるし、審判チームという集団の評価が下がることにもつながってしまいます。そういうときには、割り切って別の審判を使う、あるいは育てるというドラスティックな転換も必要になります。

「毅然さ」を示し、相手の心をつかむ

学びの場.com初の著書『平常心』では、Jリーグ草創期には審判に対する敬意が感じられなかったというエピソードも紹介されていますが、サッカー界ではこうした課題にどう取り組んできたのですか。

上川徹 Jリーグではスタート当時から、選手の見苦しい行動に対するサポーターや一般の方からの厳しい批判がありました。自分たちに不利なジャッジがあるたびに選手全員で審判を取り囲むような姿は、子どもには見せたくないといった声も寄せられていたのです。それがファン離れの一因になったことも否定できないし、現場の監督やコーチはもちろん、サッカー協会の技術スタッフも一丸となって、そうした行動をなくすように選手たちを指導してきました。  そうやって反省を次に生かす姿勢やシステムがあれば、一時人気が落ちてもまた上がっていけるし、試合や相手選手、審判に敬意を払うという姿勢も日本のサッカー文化として定着していくはずです。近年イタリアなどで起きているサポーターの暴動でも、そのたびに個人やチームに厳しいペナルティを課して状況を良くしていこうという努力をしています。イングランドにしても、80年代のフーリガン問題のような困難を経験したからこそ、いまあれだけ素晴らしい環境でゲームが行われているのです。  いま世間で指摘されている教育問題にしても、教育に携わる人たち全体で課題を共有し、目標に向かって協力していけば、状況はきっと良くなっていくと思います。

学びの場.com国際試合になると言語も文化も違いますが、選手たちと上手くコミュニケーションするコツはあるのですか。

上川徹 私は、それぞれの文化とか国民性のようなものは考えないようにしていました。意識しすぎると自分自身のコントロールを乱しますし、判定が平等ではなくなってしまいますから。それよりも、どの相手に対しても自分の変わらないやり方と基準を持って対応することを大切にしてきました。  審判の世界では、「毅然さ」という言葉がよく使われます。選手たちが審判に対して持つ印象のことですね。どこの国の選手であれ、「今日の審判には何も文句は言えないな」という第一印象を持たせられたら、こちらの勝ちなんです。最初の笛の吹き方や身振りひとつでも印象は変わってきますから、どうやって「毅然さ」を示して選手の心理をつかむかが問題です。  この辺りは、教壇に立つ先生にも共通する部分があるかもしれません。「毅然さ」と明確な判断基準を持って接すれば、子どもは先生の言うことを理解し、従うと思います。逆に、やっていいことと許されないことの基準があいまいで、子どもによって違う対応をすると、注意を受けた子どもからも、それ以外の子どもからも信頼されなくなるでしょう。子どもはそういう点を必ず見抜きますから。

指導者は「ブレない基準」を持ち続けなければならない

学びの場.com自らの基準に従って、どんな相手にも同じように接するということでしょうか。

上川徹 もちろん、相手の理解度を考えて、伝え方を変える場合はありますよ。私には中3、中1、小2の子どもがいますが、中学生と小学生では理解度が違いますから、言い方を変えて、わかるように伝えてあげるようにしています。  しかし試合では、相手に合わせた伝え方まで考えている余裕はないし、考えだすと基準がブレてくる。どんな状況でも瞬時に正しく判断するためには、「ブレない基準」をいかに持ち続けられるかが大切になります。
 試合中にコミュニケーションをすることは良いことですし、必要なことでもあるのですが、度を超えるとマイナスの結果につながることも多いのです。選手が理解できるまで話してあげようと思って頻繁にゲームを中断していると、選手全員を苛立たせてしまいます。  この辺りのバランスの取り方は、審判という仕事の難しさのひとつです。私たちは選手のために仕事をしているのであり、選手を尊重するという姿勢がベースにある一方で、試合には「規律」が不可欠ですから、規律を守らない選手にはきちんとコミュニケーションをとって注意しなければならない。しかし何度もそれをやってしまうと、逆にレフェリーの権威が低下してしまう。
 しっかり話をして納得させることも大切ですが、「同じことは何度も言わないぞ」という厳しさも、ときには必要なのです。海外の審判はこの線引きがとてもしっかりしていて、私たち日本人の審判は親切すぎるとよく指摘されるんです。

学びの場.comいま学校現場では、子どもの規律の乱れを防ぐために、学校や先生の権威を高めるべきだという議論もありますが、権威とは与えられるものではなく、子どもたちとのコミュニケーションの過程で生まれてくるものなのかもしれませんね。

「学校が好き」という気持ちを引き出す

学びの場.com子どもたちの規律心を育てるためにはどんなことが必要だと思われますか。

上川徹 私が選手として試合をしていたときには、サッカーが好きだという気持ちがいつも根底にありました。シンプルなルールのもとで、選手も審判も互いに尊敬し合いながらゲームをするというサッカーの良さを守りたいと思えば、約束事もみんなで守ろうという意識を持てるものです。好きなものや面白いものはやはり、守りたいと思うものでしょう。  学校に通う子どもたちみんなが、「学校って素晴らしいものなんだ」という気持ちや愛着心を持てば、校内での規律や規則にも納得して従っていくのではないかと思います。そのためには、子どもたちから「学校が好きだ」という気持ちを上手く引き出し、盛り上げることが大切ではないでしょうか。もちろんこれは学校や先生だけの責任ではなく、家庭や社会も関わっていくべきことでしょう。  私はひとりの父親として、学校や先生には常に敬意を持っていますし、安易な学校批判はしたくありません。子どもにも先生にもそれぞれに言い分があるはずなのに、親が子どもの言うことを一方的に聞いて、学校や先生の悪口を言うのは良くないと思います。親が学校の悪口を言えば、子どもも学校に対して不信感を持つようになりますから。
 サッカーでも、指導者が審判批判ばかりしているチームで育った子どもたちは将来、審判を尊敬しなくなります。試合中の選手に、「お前ら黙ってろ、俺があとで審判に言っておくから」と大声で指示するコーチがいますが(笑)、敬意を払っていないという点では同じですよね。  いまは学校も家庭も相互に不信感を持っているような気がしますが、学校を良くするためには、お互いを尊敬する気持ちを持って歩み寄り、一緒になって問題を解決しようという意識を持つことが大切ではないでしょうか。

教える者にこそ、学び続ける努力が必要

学びの場.com先生方に対するメッセージはありますか。

上川徹 自分も教える立場に立ってみて実感するのですが、先生になること自体はゴールではありません。先輩からも、指導者は教える内容の何倍も学ばなければならないとよく言われます。指導法はもちろん、時代や環境がどう変わってきたかを考えたり感じたりして、いろんなことを学び続けなければならない。机に向かうことだけが審判の勉強ではなく、日常のなかからいろいろと学びとっていきます。学校の先生なら、目の前の子どもたちから学べることだってたくさんあるでしょう。自分の問いに対して子どもから思いも寄らない反応が返ってきて、「そういう考え方もあるのか」と気づかされることも、先生にとっての学びのひとつだと思います。  常に学び続ける努力は、指導者としての自信や信念につながるはずですし、そういう信念を持つことができた先生には、自然と「毅然さ」が身につくはず。逆にあいまいな態度の指導者には、子どもはついていきません。

学びの場.com上川さんの今後の抱負は?

上川徹 トップレフェリーインストラクターとしての仕事がメインになりますが、審判の世界を広く知ってもらうための活動もしていきたいですね。審判と選手、あるいは審判とサポーター、一般の方々が互いに理解を深めることは、日本のサッカー文化の向上にもつながります。そうすれば、もっとフェアで質の高い試合が見られるでしょうし、選手たちが人間的に成長していく場にもなると思います。また、Jリーグを含めたサッカー界全体でも次世代の選手育成やサッカーと通じた教育活動には熱心に取り組んでいますから、私もサッカー審判という立場から活動をお手伝いしていきたいと考えています。

関連情報
『平常心 サッカーという仕審判』 事の上川徹・著 (ランダムハウス講談社 1500円) W杯の舞台に二度も立った著者のこれまでの軌跡を振り返りながら、審判に求められる要素や、選手たちとの信頼関係のつくり方などを綴った初の著書。スポーツ指導者だけでなく、教員が子どもと接する際のヒントになる言葉やエピソードも多い。

上川 徹(かみかわ とおる)

1963年、鹿児島市生まれ。日本サッカーリーグ(JSL)フジタでの選手生活を経て、98年から国際審判として活躍。ドイツワールドカップでは日本人として初めて3位決定戦の主審を務めた。昨シーズンを持つて引退し、現在は後進の指導に当たっている。

(写真:言美歩/インタビュー・文:栗林俊晴  ※写真の無断使用を禁じます。)

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