教育トレンド

教育インタビュー

2006.06.06
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金原瑞人さん 子どもたちの国語力は落ちているのか

ゆとり教育による学力低下とともに、子どもの国語力、コミュニケーション能力の低下も指摘される昨今。それは子どものコミュニケーション能力は本当に低下しているのか? 翻訳家・児童文学研究家・法政大学社会学部教授であり、芥川賞作家金原ひとみの父でもある金原瑞人氏に、今の若者のコミュニケーションについて語っていただいた。

活字離れは50年前から言われていること

学びの場.com最近、子どもの学力低下とともに活字離れ、読書離れが話題になっていますが、金原さんはどのようにお感じですか?

金原瑞人さん「桃尻語訳 枕草子」など、古典の現代語訳で知られる橋本治さんは僕の一世代上ですが、「自分の世代はすでに読書離れしていると言われていた」と言っています。だから読書離れというのは、もう50年前から言われているんです。その世代の子どもが今20代、30代ですから、今さら「活字離れ」といわれても困るな、という感じはします。
今50、60代の先生が子どもの頃は、テレビやマンガのせいですでに活字離れが起きていたと思います。それに、昔の子どもは、本を読むよりは外で遊んでいました。

学びの場.com夏目漱石や森鴎外が教科書に載らなくなったといって、一時騒がれましたが、学校でも優れた文学作品を読む機会が減っている、ということに危機感を感じます。

金原瑞人さん僕たちの世代は、夏目漱石や森鴎外を読めた最後の世代だと思います。日本語はどんどん変わっていますから、今の若者にとって漱石や鴎外は、古典というよりもはや古文です。今の若い作家も、読んでいるのは太宰以降です。 同じことは翻訳にも当てはまります。例えばアメリカ文学なら、翻訳というのは訳者がその時考えるアメリカ人像を反映しています。そしてそのアメリカ人像も、速いテンポで変わっていきます。昔翻訳された『風と共に去りぬ』を読むと、黒人なまりの英語はすべて東北弁で訳されています。「……だべ」って。それが当時は自然に受け入れられていたわけですが、今だと大変違和感を感じます。このように翻訳は、その時代に作った仮の像なので、古くなるのが非常に早い。だから、翻訳は新しければ新しいほどいいことになります。

学びの場.comかつてわれわれが野崎孝の訳で読んだ、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルで出版され話題になりました。その時代に合った新しい訳によって、若い方々にもなじみやすい本に生まれ変わったわけですね。

金原瑞人さん問題は子どもの場合です。子どもが読む本は親が選ぶことが多いでしょう。親は自分が読んで感動した本を子どもにも読ませたい。しかも自分が感動した当時の古い翻訳のものを与えてしまいがちです。そうやって押しつけると、子どもとしては入りづらい。『大草原の小さな家』でも最初の訳は「とうちゃん」「かあちゃん」ですよ。これでは現実の世界とのギャップがありすぎて、物語の世界になかなか入り込めない。そうではなくて、できるだけ新しい翻訳のものを読ませたほうが、子どもにとってはなじみやすいと思います。

「学力」は国のため?

学びの場.com活字離れの他にも、コミュニケーション能力や書く力が落ちているといわれています。教育現場でも危機感を募らせているようですが。

金原瑞人さんまず、国語力という言葉がなにを意味しているか、というのが僕にはよくわかりません。国語力を、国語の問題を解く力とすれば、国語力は低下しているかもしれません。 ただ、今の子どもに昔のような読解力が必要かどうか、というのは別の問題です。今の子どもはテレビやゲームがあるし、映画も気楽に見られるので活字に余り触れない。そういう時代に、昔のような読解力が必要なのかどうかは疑問です。これからはこれからの時代に合った読解力が必要になるのであって、それを今までの基準で計っていいのかどうか。 例えば、話し言葉の多い今のヤングアダルトの文学を、中高年が読むのと若者が読むのを比べたら、明らかに若者の方が読解力はあると思います。つまり、時代が必要とする読解力は今の子どももある、ということです。僕が翻訳するファンタジーの読者は10歳から15歳に集中していますが、興味があれば小学生でも、かなり分厚い本を1、2日で1冊読んでしまいます。彼らを見ていると、読解力が低下しているとは到底思えない。 また、国語力の低下が思考力の低下につながる、という人もいます。ゆとり教育で授業時間を減らしたから学力が低下した、という。でも、授業時間が減った分、子どもはその時間でゲームをしたり部活をしたりしたわけで、その時間が無駄だったかどうかは検討してみる必要があると思います。例えば数学の時間が少なくなって、その分自分は他のことをしていた。それが自分の人生にとってどうだったか考えた上で善し悪しの判断をする必要があります。数学の代わりにアニメを見ていた。その時間が良かったかどうかは誰が決めるのでしょうか? そして、その「読解力・思考力」は、誰のために、なんのために必要なのでしょうか? 「優秀な子」が減ると、企業や政府にいい人材が集まらない。そうすると経済力や国際的な発言力が低下して、「日本の国力が低下する」という人がいます。つまり「優秀な子」は日本という国のために必要だ、という考え方です。 でも子どもたちは、国家のために勉強しているわけではありません。人間は国よりも、自分が幸せになることを第一に考えればいいと思います。文科省や一部のセンセイたちが教育を語るとき、日本という"国"のことしか考えていないように聞こえることがあります。どうすれば子どもが幸せに暮らせるか、という視点が抜け落ちている。僕はそれより、大人も学校も、まず、子どもの幸せな時間を保証するべきだ、と思います。

ケータイの普及で、書くことが身近になった

学びの場.comでも、書く力が低下すると困ることもあるのではないですか?

金原瑞人さんというか、書く力が社会でどれだけ必要とされているか、ということだと思います。それにある意味では、書く力が伸びている部分もあります。この前角川書店の青春文学大賞を受賞した作品(『りはめより100倍恐ろしい』)は、高校生の男の子が原稿を全部ケータイで書いたそうです。 我々の世代では、作家は大学を出て30代でデビューするのが普通でした。でも、ワープロやパソコン、ケータイが普及したおかげで、17歳でもおもしろい小説が簡単に書けるようになっています。そして実際書かせてみると、結構おもしろいものを書きます。 ケータイメールなどのおかげで、今の子どもにとっては「書く」ことが昔より身近なものになっています。うちの娘(金原ひとみ)にしても、ワープロがなかったら絶対作家にはなっていませんよ。彼女は学校に行っていないから(注:金原ひとみさんは、小学校4年生のときに不登校になって、中学、高校はほとんど通っていない)漢字を書くのが苦手です。だからワープロの漢字変換はありがたかったと思います。 おもしろいのは、こうしたワープロやパソコンの普及で小説の文体が変わってきていることです。今の若者は話している言葉をそのまま書くから、言文一致の文体が増えてきています。明治時代に言文一致運動がありましたが、結局話し言葉と書き言葉は別のままでした。それが今になってやっと一緒になるのかな、という気がします。 大学で「創作ゼミ」というのをやっています。そこでは学生が小説を書いて持ってきます。それを読んでいると、書くのが好きということもあるのでしょうが、みんな結構うまい。僕のゼミからプロの作家がふたり出ています。作家としてデビューできる才能のある人は多いと思います。 ただ、卒業後も書き続けている人はあまりいません。就職してそこに収まってしまうほうがはるかに多い。客観的に見て才能のある人は多いのに、持続する人は少ない。だから問題は、社会に出ても書き続けるだけの理由があるか、ないか、だと思います。「どうしても作家になりたい」とか、「どこにも就職できなくて作家になるしかない」という理由です。理由があって運があれば、デビューするんだろうな、と思います。 学生を見ていると、読みたいと思えばちゃんと読むし、書きたいと思えばある程度のものはきちんと書けるし、特に昔に比べて下手になったとは思いません。

学びの場.com最近の大学生はレポートもろくに書けない、と言われるのを耳にすることがありますが……。

金原瑞人さん抽象的で論理的な思考を突き詰めていくような作業は昔に比べて落ちているかもしれません。そういう訓練を受けていませんから。でも、そういう訓練が必要なのは大学に残る教員ぐらいのもので、そのほかではいらないと思います。逆に言えば、そういった能力を社会全体が必要としなくなっているんじゃないでしょうか。 例えば、昔は文芸批評というのはかっこいいものでした。でも、文芸批評も最近は読まれなくなっています。それは社会が必要としていないからだと思います。必要とされなければ、それを書こうという人もいなくなります。あんまり若者の悪口を言ってもしょうがないし、僕は逆に、若い人たちがこれからどういう方向で創作を行っていくのか興味を持ってみていきたいと思っています。

若者は視聴覚に優れている

学びの場.com逆に、今の若者の優れているところは?

金原瑞人さん今の若者は、文字をあまり読まない代わりに目と耳の感覚がすごくいい。今の学生は本より音楽が好きです。昔試験的に黒人音楽100年の歴史を教えてみたことがありましたが、反応がいいし、感想もおもしろいものが多かった。
わかりやすいのは、今の書店とCDショップの店員の差です。昔だったら書店には本のことをよく知っている店員がいて、お客が本のタイトルを言っただけで探せたのに、今はパソコンで検索して在庫のあるなしがわかるだけです。CDショップで欲しいCDを探すとき、今の若い人はどうすると思います? いきなり店頭で曲を口ずさむんですよ。ショップには音楽にすごく詳しい店員さんがいて、お客が口ずさんだ曲だけで曲名は何か、CDになっているのかどうか、どこにあるのかすぐにわかる。昔書店にいたような店員は、今はCDショップにいるんです。 それから、今の若い人を見ていて気が付いたのは、昔のように音楽や読書を教養的に楽しまない、ということです。昔だったらある作家の作品が気に入ったら、その作家の作品を次々読むのに、そういう本の読み方をしない。例えば、『世界の中心で愛を叫ぶ』を読んだ学生が片山恭一の他の本も読んでいるかというとそうじゃない。映画も音楽もそうで、体系ではなく、おもしろいものを見つけて点として楽しんでいるんです。 それで彼らの強みは、いざ体系立ったものが必要になればインターネットですぐに手に入れることができる、ということです。そういうふうにネットの恩恵を受けているからこそ、体系を気にしない楽しみ方ができるんだと思います。

子どもたちが本当に読みたい本のリスト

学びの場.com『12歳からの読書案内』という本の監修もされていますね。やはり、子どもの頃からの読書は大事だと思われますか?

金原瑞人さん実は、僕自身は子どもの頃にあまり本を読んでいないんです。児童向けの本を飛ばしていきなり青春小説なんかから読み始めたのです。だから、『12歳からの読書案内』も、ヤングアダルトものが中心です。また、僕は詩とか短歌が好きなんですが、なかなか若者の手には届かない。ところが現代詩や現代短歌は今ものすごくおもしろくて、ぜひ読んで欲しいので、10冊入れています。現役の大学生に本を選んでもらっていることも、この本のウリです。

学びの場.com私も読んでみたのですが、私が知っていて読んだことがある本はほとんどありませんでした。一般の読書案内とはかなり違っているようですね。

金原瑞人さんアマゾンの読者評で「子どもと一緒に読もうと思ったのに、どれも読めそうにない」という意見がありました。実はこれは狙いどおりでもあるんです。この本は、「大人が子どもに読んでもらいたい本」のリストではなく、子どもが大人に向かって「俺たちこんな本が読みたいんだという本」のリストなんです。だから親が見たら眉をひそめるようなものもあるかも知れない。でも、だからこそ今の中高生にぜひ読んでもらいたいですね。

記者の目

実はこちらの手違いで、当日撮影ができず、再度出直しての撮影となったのですが、嫌な顔ひとつせず、お時間を空けてくださった金原先生。おかげで、本当はカレー屋になるつもりが翻訳家になってしまった、趣味は骨董のぐい呑み収集、など、興味深いお話もお聞きできました。20代のお子さんがいらしゃるようにはとても見えない若々しい金原先生でした。

関連情報
※ 金原先生がカレー屋になりそこなった(?)いきさつ、翻訳の面白さを知りたい方は、ぜひ『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』をお読みください! ※金原先生が、「ハリーポッターシリーズを超える面白さ!」と太鼓判を押す長編ファンタジー『バーティミアス-サマルカンドの秘宝』を1名様にプレゼントします。金原先生のサイン入り!(6月14日~7月11日まで) ※金原先生が翻訳された『タイドランド』(角川書店刊/ミッチ・カリン 著、金原瑞人訳)が、『ローズ・イン・タイドランド』のタイトルで映画化。2006年夏、恵比寿ガーデンシネマ、新宿武蔵野館他にてロードショー

金原 瑞人(かねはら みずひと)

1954年東京都生まれ。1979年法政大学文学部英文学科卒業。1985年同大学院英文学専攻博士課程満期退学。法政大学、共立女子短期大学、神奈川大学、武蔵野女子大学、玉川学園大学の非常勤講師を経て1998年より法政大学社会学部教授。英語圏の児童書、一般書、ファンタジーなど200冊以上の訳書がある。

聞き手:高篠栄子/取材・構成・文:堀内一秀/PHOTO:岩永憲俊

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