教育トレンド

教育インタビュー

2001.12.16
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渡辺パコさん 学校とのコミュニケーションは父親に任せなさい!

渡辺さんには小学校2年生の娘がいます。ところが娘さんが都立の小学校に通うのは1年のおよそ半分。残りは八ヶ岳に家族で行ってしまうので、学校には行かせていません。すごく斬新で、目からウロコなお話をお伺いしてみました。

半分しか登校しないことは、大問題ではない

学びの場.com「半分しか登校しません」って、すごく勇気あることだと思うのですが、どのように学校に伝えたのですか。先生の反対はなかったですか。

渡辺パコさん八ヶ岳に家を構えたのは、2001年の1月からです。ちょうど1年間経ったことになります。今年は1週間おきに通いました。1週間東京で過ごしたら、次の1週間は八ヶ岳で、という具合。ですから、娘は学校へは半分しか行っていない。  娘は今年2年生ですが、学校とは、入学した直後から、いろいろと話をしています。といっても、別にわざわざ機会を設けているわけではなく、個人面談のときとかですね。  まず、1年生のとき5月の運動会を休む、という話をしました。先生の反応は「そういうこともありますよね」でした。  ただ、学校としてはいろいろと言いたいことはあると思いますよ。「わがままはいけない」とか「協調性を養う機会だから」とか「運動するのはいいことだ」とか……。このような大きな枠組みは間違っていないと思うのですが、それを「運動会」というひとつの事例につなげてしまう、というのは違うと思います。親はこのロジックに、はまらないように気をつけなければいけません。

うちの娘は「運動会の練習」が嫌いなのであって、運動そのものは好きなのです。運動会って、やることが決められていて、一糸乱れぬ姿を親に見せるようなところがあるでしょう?   協調性がないわけでも、忍耐力がないわけでもなく、面白いことなら、いつまでもやっていられる。娘は運動会の練習に、その「面白さ」を見つけられなかっただけなんです。  八ヶ岳に行くこと、そのために学校を休むことについても、同じようにひとつひとつ問題をつぶしていきました。  自然の中で育つことはいいこと。これは先生も賛成してくれましたし、勉強が不足する分は本人が自習したり、親が見てあげたりしているということで納得してもらいました。友人関係については、学校に行けば行ったで友達と暗くなるまで遊んでいる。しかも、「学芸会」には出たくて、その練習に参加するために、2、3週間は八ヶ岳に行きませんでした。決定権は親だけが持っているのではなく、子どもも対等に尊重されているわけです。あくまで家族一人一人の考えを尊重した上でのライフスタイルなのです。  こうして考えていくと、「半分しか学校に行かない」というのは、一見大問題に見えますが、実はそれほどでもないでしょう?  このような話は私が話しに行きます。妻も行くのですが、一般的に、母親はどうも学校に子どもを人質にとられているような気持ちがあるみたいですね。そのせいか、学校に意見を言いにくいと感じているようです。  ですから、学校ときちんとしたコミュニケーションをするのは父親の役割だと思っています。父親というのは、会社組織の中で部下がいたり、取引先があったり、あるいは経営的な立場にいたりします。そうすると、先生に対しても、人間関係を対等にもっていかれるのです。

「大人になりたい」という子どもの気持ちを見逃さない

学びの場.com勉強はどのように見ているのですか。

渡辺パコさん家庭では、かなり意図的に「これ、できないでしょ?」ということを見せていますね。  たとえば、おばあちゃんに手紙を書く。「お父さん、お母さんは字を書いているけれど、私は絵を描くだけ」と思わせるんです。そうすると、字を書きたい、それには学校で勉強しなければ、という動機付けになります。  あるいは、友達と約束をしたけれど、時計が読めない。そうすると、待ち合わせもできないから遊べないわけです。それが、時計の見方を知りたい、時間の勉強をしたい、というふうになる。

買い物に行っても同じ。3桁の足し算ができないと、欲しいものも買ってもらえない。50円のお菓子と500円のお菓子の区別がつかなければ、自分が損してしまいますから。  娘がそういうふうに感じているときを見逃さないで、「字が書けるといいよね」「かけ算がわかるといいよね」「それは○年生になるとわかるよ」というように、刺激してあげています。  子供が次に行きたくなるポジションはどこなのか、を見極めることが親の役目。勉強するということは、自分でコントロールできる範囲が広くなることで、それは子供にとって楽しいことのはずです。自分がしたいと思うことができない。これは、すごくフラストレーションになります。それをフラストレーションにしないのが、勉強だよ、というふうに考えればいいんですよ。  ただ、勉強には段階があるから、いますぐ全部通過できるわけではありません。そこに壁があることを知らずに突き当たるのと、先を見通して壁があることを知っているのとでは、自ずと問題への対処の仕方が違うでしょう?壁があることを知っていれば、壁にぶつかっても驚かないし、どう回避すればいいかを考えるようになるのです。

学校はもっと「親」という資源を使えばいい

学びの場.comそのような学習意欲を、先生が引き出すのは難しいのでしょうか。

渡辺パコさんいまの学校にはできることと、できないことがあります。一人ひとりの子供のモチベーションを見極めるのは家庭でしょう。学校に子育てを預けてしまうのは間違いだと思っています。  学校は、部分的な生きていくツールを教えてくれればいい。たとえば、足し算とか漢字とか。これらを教えるのに、学校は効率的なツールを持っていると思います。また、子供同士が出会う場としても効率的。学校は、いろいろなことをしようと思わず、もっと限定した機能を再規定したほうがいいですよ。  勉強というのは、先ほども言ったように楽しいことのはずです。いろいろな知識を広げるものなのですから。学校は、「どうしたら楽しい勉強ができるか」ということに、もっと力を注いで欲しいです。子供が「休み時間や給食が楽しい」というのは間違っています。「勉強」が楽しくないならば、学校は行かなくてもいい。  学校はもっと「親の資源」を使ったらどうでしょうね?総合学習というのが、ずいぶん大変な授業になっているようですが、たとえばスーパーに勤めている親がいれば、狂牛病の影響を話してもらうとか、商社勤めのお父さんに、貿易の話を語ってもらうとか。どういう仕事をしていて、どういう話ならできる、というのを学校に登録しておいて、それを授業に活用していけばいいと思います。

渡辺 パコ(わたなべ ぱこ)

1960年東京生まれ。グロービスマネジメントスクール講師。(ロジカルコミュニケーション、クリティカルシンキングクラス担当)。ライター。コンサルタント。有限会社水族館文庫代表。ビジネスパースンのGOLを上げるためのメディア&コミュニティ「知恵市場主宰」。著書に『論理力を鍛えるトレーニングブック』(かんき出版)、『手にとるようにわかるIT経営』(かんき出版)、『図鑑&キーワードで読み解く 通信業界』(かんき出版)、『LANの本質』、『生命保険がわかる本』など。

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