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教育インタビュー

2011.05.24
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漆 紫穂子 学校改革を語る。 教師の生徒を想う気持ちは皆同じ。あとは行動のスイッチをオンに

漆紫穂子さんは学校改革により7年間で入学希望者数が60倍に急上昇した品川女子学院の6代目校長。同校が学校存続の危機にさらされていた1989年より学校改革に参加されました。スピーディかつチャレンジングな改革が実を結んだ理由――それは、どうやらブレない基本軸とゆるやかな管理による学校経営にあるようです。具体的内容を漆さんに語っていただきます。

目の前の、今すぐできる、小さなことから始めた

学びの場.com品川女子学院は1989年から取り組んできた総合的学校改革により、7年間で入学希望者数が60倍、偏差値も急上昇しました。そもそも改革のきっかけと方向性はどのようなものだったのですか。

漆 紫穂子当時本校は、生徒数の減少など、学校の存続が危ぶまれるほどの危機的状況にあり、改革は私が赴任する前から決まっていました。目標は二つありました。男女雇用機会均等法も施行され、女性の社会進出が求められる時代になっていたので、それに応えられる教育を目指すというのが一つ。もう一つは、完全中高一貫化です。当時、中学校は1クラスしかなく高校主体の学校でした。本校の目指す教育を実現するには6年間じっくりと時間をかけることが必要と、中高一貫の体制づくりを始めたのです。 改革をすることについてのコンセンサスはとれていました。何かしなくてはいけない、という危機感を皆が共有していたからです。それは改革のスタート時において、とても有り難いことでした。

学びの場.com漆さんご自身は改革がスタートする1989年に赴任されました。どのようなことから始められたのですか。

漆 紫穂子最初は「人の話を聞く」ということからです。私は3年ほど他の私立中高一貫校の教師を経て本校へ赴任した、まだ20代の教師でしたから、生徒も保護者も話しやすかったのでしょう。いろいろなことを聞かせてくれました。他の教師も丁寧に本校について教えてくれました。その中で、誰がどんなことを考えているのかを知り、危機感の共有ができたのです。この時知ったことは、改革の必要な組織では何をしたらいいかの答えは現場にあるということです。 改革のための活動には優先順位はありませんでした。ゆっくり大きな計画を立てている時間の余裕はないので、それぞれの教師が目の前の、今すぐできる、小さなことから始めました。

たとえば授業参観や授業アンケート、シラバス作りなど。学校建て替えのときには、下駄箱の廃止など。小さなことですが、一足制にすると下駄箱スペースが省け、その分生徒の憩いの場にできたのです。つまり、生徒にとってよいと思うことは何でも、そして何かを実行に移す時にはとにかく早く、を心がけました。 “生徒のためには何でも”とはいえ、時間も場所もお金にも限りがあります。何を捨てて何を取るか。その選択の繰り返しが改革そのものでした。

学びの場.com学校現場では、一度決めて始めたことは、なかなかやめにくいという印象があります。教師の皆さんに捨てていくことについての同意は取れたのですか?

漆 紫穂子全員の同意を得てから行動していたわけではありません。だからといって「これをして下さい」とトップダウンで実行していたわけでもなく、5~7人の小さいプロジェクトチームを作り、チームごとの独自裁量と責任で行っていました。そして、後から全体に報告する形にしていました。 たとえば制服変更。生徒が着やすく、楽しい気持ちになるものをと考える時、もし全員で話し合っていたら、個人の好みや考え方によって、様々な意見が出たと思います。それを全て聞いて同意を得ようとしたら、何年経っても変えることはできなかったでしょう。すぐに意見を反映し実行できる小さいチームだったお陰で、改革のスピードを保てたのです。

また、全員が小さいプロジェクトに関わることで改革に対して主体者意識が持てた点もよかったと思います。学校は民間企業と違い業務命令というものが存在しにくい職場で、教師にとっては自分自身が納得しないことを生徒に伝えることは、気の進まないことです。各人が主体的に行動できる体制を作ることが回り道のようで実は近道でした。

組織のモチベーションを維持するためには

学びの場.comそうした改革を重ねられた結果、90年代以降受験者数は増えていきました。ある程度の結果が出た後も、改革のモチベーションを保ち続けた方法を教えてください。

漆 紫穂子手間がかかっても新しいことにチャレンジし、その結果、生徒が喜べば教師は嬉しくなり、またやってみようとやる気のスイッチが入り学校全体が活気づいていきました。 ただし、学校というのは数字で効果検証できるわけではないので、生徒のためによかれと思っていろいろやっていくと、仕事量が膨大になります。人間には限界がありますから結果、どこかにこぼれるところができてくるという問題が生じてきました。 小チームで行っていたプロジェクトは、主体者意識が生まれることとスピードがメリットでしたが、同時に全体のコンセンサスがとれなくなるというデメリットが出てきました。他のチームがしていることの意義がわからなくなると、全体の協力体制がとりにくくなるのです。その頃になると新しく採用された教師も増えてきて、改革の苦しい時期を知っている人との間で世代間ギャップも表れてきました。

そのような経緯から2002年~2004年、全員がどこへ向かえばよいか、目標をはっきりさせるため、学校の教育理念の再確認を行いました。全員にアン ケートを実施したり、十数人で合宿を行ったりして、創立精神に則りどのような教育方針で、どういう人物を育てるかを明確にするという作業です。そしてそれ らを「私たちの生き方―品川女子学院 ミッションステートメント」というリーフレットにまとめて教職員全員に配りました。全員がミッションステートメント 作成に関わることで、もう一度主体者意識を持つことができました。

学びの場.com他校で学校改革を経験されている先生方から「教師の意志が統一されていないことに苦心している」との声が聞かれます。

漆 紫穂子どの教師も生徒のことを大事に想う気持ちは、共通でしょう。子どものためなら頑張れるけれど、そうとは思えないことを上から強要されても心から動けないのが教師というものではないでしょうか。心から動けなければ子どもには伝わりません。つまり、生徒を想う気持ちが行動に表れるかどうかは環境によると思うのです。 そのような場合は、教師個人が持っている教育理念と、学校の理念をすり合わせることが大事だと思います。本校の場合は、前述のミッションステートメント作成がその作業に当たります。もう一点は、皆の心の中にある、行動しようとするスイッチをオンにするための仕組みづくりです。本校のように一つひとつの改革を小チームで進めてみるのも一例かもしれません。

トップの仕事は決断とやる気のスイッチが入る環境づくり

学びの場.com非常にスピーディでチャレンジングな学校改革だったようですが、失敗はなかったのでしょうか。

漆 紫穂子あります。本校の場合、よいと思ったらまず実行。すると大胆に実行する分、副作用も大きいので軌道修正する。そうして右や左にと振れているうちに、だんだんと真ん中に落ち着いていくというやり方です。最初から100%成功だったことはほとんどありません。 たとえば職員会議。2002~2004年の改革で、全体の職員会議を月1回とし、朝の打合せや毎週の定例会議もほとんど無くし、情報共有には校内のイントラネットを導入しました。そこで捻出できた時間を生徒のために使い、最初はよい感じだったのですが、次第に、教師同士が顔を直に合わせることも大事なのだと気づいたのです。行事予定などを全員で読み合わせをすると、どこが重要で、どこを留意すべきか、などの担当者の思いが伝わってきます。文書だけでは読みとれなかった行間がわかる、感情の共有ができるのです。 学校は一人の子どもに複数の教師が関わる場所なので、お互いの顔を見て「ああでもない、こうでもない」と話し合うことも必要だとわかりました。

学びの場.com現在、職員会議はどのように?

漆 紫穂子毎週1回、なるべく効率よく行うようにしています。発表者は一定の時間内に話すようタイムマネジメントをしています。また何かを提案する時は、必ず背景・目的・目標・実行体制・費用・予想される問題点を企画書に盛り込むようにしています。以前はこうした項目を必ず入れるというルールを決め、文書化していましたが、今では定着し、自然とそうなっています。

学びの場.com2006年からは漆さんが学校長を務められています。トップとして学校経営で気をつけていらっしゃることは?

漆 紫穂子常に現場を大事にする。つまり「生徒が喜ぶことは何か」を考え、教師が働きやすい環境を作ることです。そして、この学校の存在意義を明確にすることを心がけています。経営トップは理事長なので、私は現場の長ですが、私の仕事は「決断」と「環境作り」の二つだと思っています。

決断に際しては、軸をぶらさないことを大切にしています。私の場合、軸は二つ。「在校生をミッションに照らして育てること」と「卒業生の母校を守ること」です。日常的には皆がやりやすいように決めていますが、緊急時や学校の存続に関わるようなことは、はじめから人に相談することはしません。軸に照らし、直感を仮説にしてから意見を聞きます。軸がぶれそうになったときは、自分の死ぬ時のことを考えて、今すべきことは何なのかと自分に問いかけます。この死生観と学校教育への使命感が決断を支えています。 「環境作り」は、生徒や教職員のやる気のスイッチが入るような環境、組織文化を大切にしています。教師にとってモチベーションの源泉は生徒の笑顔、生徒の成長です。生徒によかれと提案があった時は、先ほどの二軸に照らし、方向性さえ合っていれば、現場の判断に任せることにしています。よいと思ったことはまずは実行し、うまくいかなかったら新しい方法を考える。チャレンジを奨励する組織文化が、やる気のスイッチが入る環境に繋がっていくと思っています。

漆 紫穂子(うるし しほこ)

品川女子学院6代目校長。1961年東京生まれ。中央大学卒業後、早稲田大学国語国文学専攻科修了。学校法人調布学園教員を経て1989年より品川女子学院に勤務。学校改革に参加し、7年間で中等部入学希望者数が60倍に。2006年より現職。「28プロジェクト~28歳になったときに社会で活躍する女性の育成」を教育の柱に、社会と生徒を直接結ぶ教育により、従来の役割を超えた学校作りを実践している。自らの意志で人生を創り、これからの日本を支えていく生徒たちを、卒業後もサポートし続けている。著書に『女の子が幸せになる子育て』(かんき出版)、『女の子が幸せになる授業』(小学館)。

インタビュー・文:菅原然子/写真:言美 歩

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