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教育インタビュー

2019.10.23
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齋藤 亜矢 アートを通じて、子どもたちに驚きと感動の瞬間を体験させるには

サイエンスの視点から

芸術はなぜ生まれたのか。京都造形芸術大学文明哲学研究所で、研究を続ける齋藤亜矢氏。チンパンジーと人の描画研究をはじめ、認知科学から芸術にアプローチし、芸術を生み出す心の基盤を明らかにすることを目指している。大学の理学部や大学院の医学研究科で学んだ後、美術研究の世界へ転向した経歴を持つ。サイエンスとアートという異なる2つの世界を研究してきた齋藤氏に、アートを通じて発想を豊かにしたり、多様な視点に気づくことで、人生をより楽しいものにするヒントを伺った。

気づいたのは、手を動かしてものを作る時の人の目の輝き

学びの場.com齋藤さんの専門は芸術認知科学とお聞きしていますが、このテーマに興味を持ったきっかけを教えてください。

齋藤 亜矢医学研究科の大学院生だった頃、高齢者の認知機能を測るため、6面を4色で塗り分けた積み木を見本通りに組み立ててもらうテストを実施したことがありました。その積み木のテストとうつ傾向に関連があることがわかったんです。医学では、関連がわかると、じゃあそのテストをうつ傾向のスクリーニングに使えますねという話になるのですが、私は「なぜ」そうなるのか、原因や背景の方に興味がありました。積み木が完成した時の高齢者の方々のうれしそうな様子が印象的で、手を動かしてものを作ることは、人間にとって根源的なことではないかと感じました。「なぜ、ものを作るのが人にとって楽しいことなのか」創造や表現の原点について研究してみたいと思いました。

学びの場.com研究内容はどのようなものなのでしょうか?

齋藤 亜矢芸術の起源、特に絵を描く心の起源がテーマです。芸術というのは進化の視点で見ると不思議なものです。本来、進化というと、生存率を上げたり子孫を多く残したりすることが原動力になりますが、芸術は人が生存する上で直接役立つものではありません。芸術活動をする生き物は、基本的にはホモ・サピエンス(現生人類の属する種の学名)、つまり人間だけ。進化の観点から、チンパンジーと人間の子どもの絵を比較し、なぜ人が芸術活動をするようになったのか研究しています。

創造の鍵を握るのは「見立ての想像力」

実験「チンパンジーはそこにあるべき目を描くのか?」

学びの場.comチンパンジーは絵を描くのですか?

齋藤 亜矢ペンを与えると、最初は口に入れたりしますが、そのうちに手で器用にペンを動かして線を描くようになります。なぐり描きをする時期の人間の子どもと一緒です。人間はその後、平均すると3歳ごろに顔などの表象(何かを表した絵)を描くようになりますが、チンパンジーはいつまで経ってもそうなりません。

学びの場.com人間の子どもとチンパンジーの違いは、表象を描くか描かないかという部分に表れてくるのですね。

齋藤 亜矢その違いに着目し、チンパンジーはそこにあるべき目を描くのか?という実験をしました。これは、チンパンジーの顔の線画を画用紙に描き、1つのパーツを消しておいて、そこに落書きしてもらうもの。目を片方だけ描いておいた場合、チンパンジーは、描かれている目に色付けすることはありましたが、「ない」目を補うことはありませんでした。一方、人間の子どもは、2歳後半以上の子は、目がないことに気づき、目を補いました。2歳後半から3歳くらいになると、今、ここに「ない」ものを想像することができるのです。 また、画用紙に縦の二本線を描いて人間の子どもに渡すと、横線を追加して「せんろ」と言ったりしました。先に描いてあるものを手掛かりに、ものを見立てて描くのです。その視点で旧石器時代の洞窟壁画を見ると、当時の人たちも見立ての想像力を使って描いていたことがわかります。例えばスペインのアルタミラ洞窟では、岩の凹凸1つ1つにバイソン(ウシ科)が描かれていて、岩の亀裂が体の輪郭の一部に使われている部分もあります。こうしたことから、絵を描く人間の認知的な特徴として、見立ての想像力が鍵ではないかと考えています。

自分の枠を壊すことで見えてくる面白さ

学びの場.com前任校では、教員養成課程の図工の授業をご担当されていましたね。

齋藤 亜矢チンパンジーの研究者の授業として、わりと好きなようにというか(笑)、実験的な授業を色々とさせていただきました。人が絵を描く鍵は見立ての想像力だという考えから、その想像力をどう引き出せばいいか、また、絵が苦手な学生にはどのようにして好きになってもらうかを考えて授業をしていました。

学びの場.com具体的には、どのような授業をされていたのでしょうか。

齋藤 亜矢例えば、クジラのように見える雲や顔のように見える葉っぱなど、何かに見える何かって、ありますよね。身の回りのものを別の何かに見立てて写真を撮る課題や、都道府県地図を何かに見立てて描く課題をしました。また、自分が植物だったらどんな植物か、自分を植物に見立てた自画像をつくるという無茶ぶりも(笑)。新聞紙や広告などのちぎり絵で表現してもらったので、微妙な色が寄せ集めになって、味のある仕上がりになりましたよ。10kgの土ねんどを使ってオノマトペを表現する課題を出したこともあります。

喜怒哀楽をリンゴで表現した作品

学びの場.comバラエティに富んだ授業ですね。どんな作品ができあがるかワクワクしますね。

齋藤 亜矢まず、学生に、つくる面白さを味わってほしいと思っていました。図工は勉強して学べるものではなく、自分でやってみないとわからない。子どもの時にはそういった楽しさを味わっていたはずなのに、大人になるにつれて忘れてしまっている。また、絵が苦手になる要因として、うまく描けないから…と思ってしまうことが挙げられます。

学びの場.com上手に描こうとするあまり、苦手になってしまうと?

齋藤 亜矢絵を描くのは本来面白いことなのに、上手下手という基準で評価されてきたことに問題があると思います。一般的に、見たものをより写実的に描けると上手と言われるので、そう描けないと嫌になってしまう。 そこで、上手下手や形にとらわれずに感情を表現する方法はないかと考えたのが、喜怒哀楽をリンゴで表現する課題です。「リンゴは赤くて丸い」という概念を壊して描こうと言って、怒りや喜びの感情をぶつけてもらったんですね。怒りのリンゴは、暗い色をゴリゴリ重ねて塗りつぶしたり、哀しいリンゴは寒色系の色で描いたり、楽しいリンゴは鼻歌気分で描いたり。授業に先駆けて私自身も挑戦してみたのですが、学生たちもそれぞれ感情に向きあって描いていて、普段絵が苦手という学生もおもしろがって描いていました。 他にも1枚の紙を4階の吹き抜けから落として、地面に落ちるまでの時間と落ち方の美しさを競わせてみたりもしました。紙の形状をそれぞれ工夫して、くるくる回りながらきれいに落ちる形を見つけた学生もいましたが、「正解は何ですか」と聞いてくる学生もいました。

学びの場.comそうなんですね。でも正解って…。

齋藤 亜矢アートに正解はないですよね。私は、各自がプロセスを考えられるように、何らかの枠、つまりテーマのようなものだけ与えることを意識していました。やはり試行錯誤してものをつくる時間は楽しいんですよね。例えば白紙の上に「自由に」と言われると身構えてしまいますが、壊しやすい簡単な枠があると、それを壊すのは純粋に楽しい。どう対応するのか向き合って、自分の枠を壊していくプロセスが生まれます。そこに自由や面白さがあり、それこそがアートの本質的な部分だと思います。

子どもたちも実践してほしい、アートを通じた豊かな体験

2歳児の絵 線路とアンパンマン

学びの場.comなぜ、人は絵を描くのでしょうか。絵を描くモチベーションについてはどのようにお考えですか?

齋藤 亜矢絵を描くのが面白いからだと考えています。チンパンジーは、食べ物の報酬がなくても、筆記具を渡すと絵を描きます。描くこと自体を楽しんでいるように見えます。その点はなぐり描きの時期の人間の子どもも同じです。手を動かすと、目に見える軌跡になるのが面白いのです。表象を描くようになると、頭の中でイメージしたものを紙の上に表現できる喜びも生まれます。そして、子どもが絵を描く時は周りが声をかけ、「何を描いたの?」「アンパンマン!」など、対話が生まれます。言葉を介しながら、イメージを人に伝えられるようになるんですね。なぐりがきは私的な面白さですが、色々と描けるようになると、周りからどう見えるかが気になり、社会的な面白さへ変わっていくのです。

学びの場.com少し幼児教育の話になりますが、子どもたちが絵を描いたり工作をしたりする時、大人が心がけたいのはどのようなことでしょうか?

齋藤 亜矢こういうものがいいなどの例を大人がはじめから示さない方がいいと思います。大人より子どもたちの方が、楽しむ力があり、面白いことを見つけ出すのが得意。何が出てくるのかを一緒に楽しむくらいの方がいいと思っています。

手作りのスプーンと著書『ルビンのツボ―芸術する体と心』

学びの場.com造形表現を通して、子どもたちが、自分や身の回りのことに新たに気づくことはあるのでしょうか?

齋藤 亜矢先ほどお話したリンゴの絵のことになりますが、怒りの表現にしても、圧縮された怒りもあれば、爆発したような怒りもある。学生たちの絵はそれぞれ違っています。表現も違うし、そもそも怒りの感じ方自体も違う。怒っている時は周りの人がなだめてくれるからと、リンゴの周りに小さいリンゴを描いた学生もいました。作品をお互いに見る機会があることで、表現や感じ方が違うことに気づけます。そして、違っていてもいいんだと思える。また、自分自身の感情にも気づけるのが、アートの醍醐味です。これは大学生の話ですけど、子どもも同じだと思います。

学びの場.com手を動かして表現することで、ショックな出来事を体験していたり、悩みを抱えていたりする子どもたちの心を癒すことはあるとお考えですか?

齋藤 亜矢そうですね。例えば、リンゴの絵で怒りを表現する場合、実際にやってみるとわかりますが、描く線に怒りをぶつけることで、気持ちがすっきりします。楽しいリンゴと思って描いていると、わけもなく楽しくなってきます。表現のなかに気持ちを開放することで、自分の中にため込んでいた嫌な気持ちやつらい気持ちが少し客観化できて、軽くなるように感じます。 大昔の時代の話になりますが、石器は、完成形を頭にイメージしないと作れないので、そこで最初に人類の想像力が磨かれたのではないかという説があります。以前、授業で想像力を鍛える一環として、石器の代わりに、木を彫ったり磨いたりしてスプーンを制作したことがあります。これがすごく楽しいんです。完成形を想像しながら手を動かしているうちに、つい没頭してしまう。学生たちも、慣れないナイフで傷だらけになりながら、夢中になって作っていました。人類が300万年以上も前から石器を作っていたことを考えると、ものづくりへの欲求やつい没頭してしまう感覚は、原始的なものというか、私たちの中に潜在的にあるものだと思います。子どもたちには、夢中になれるような課題を出してあげるのがよいのではないでしょうか。

学びの場.com人工物や自然に対して「美しい」と感じる心を育てるにはどうすればよいのでしょうか?

齋藤 亜矢子どもは、日常生活の中で色々なものに興味を持ちます。子どもの頃に培われる感覚として、「質感の認知」があります。ゴツゴツしたものを見たら、固そうだと思うし、ふわふわしたものを見たら柔らかそうだなと思う。ものを見た時になぜ質感を想像できるかというと、これまでに、似たものを実際に見て触った経験があるからなんですね。つまり、子どもの頃の五感を使った感覚統合的な体験が重要。そういう体験が豊富だと、大人になってから質感をより深く理解することができ、物を見る目が豊かになります。子どもたちには、積極的に外へ出て、五感を使って遊んでほしいです。

日常の中での驚きと感動を大切にする

学びの場.com子どもたちには、日常の中で多くのものに触れたりすることが大切なのですね。先生が日常生活の中で大切にされていることはありますか?

齋藤 亜矢私は理学、医学といったサイエンスの分野から芸術の分野へ移りましたが、2つの分野は価値観がまったく違い、戸惑うこともありました。芸大の大学院に入ったばかりの頃ですが、そんな時、現代アートの内藤礼さんが特別講義にいらして、ある学生が「内藤さんは、なぜ表現をするのですか?」と質問しました。教室は東京・上野の森の中にあり、木漏れ日が差し込む中、内藤さんの答えは「例えば今、木漏れ日の光がカーテンにきらきら映し出される感じ。それをいいなぁと感じている。私はその感じをアートの中に表現したいし、やらずにはいられない」というものでした。これを聞いて、サイエンスと一緒だと思ったんです。

学びの場.comサイエンスと一緒ですか?

齋藤 亜矢はい。木漏れ日が差し込んで「いいなあ」と思うのも共感できますが、私の場合は「なぜ?」と考えたくなる。なぜキラキラなパターンが出てくるのか、なぜ心地いいと感じるのかと。そう考えると、サイエンスもアートも、自然や現象に目を向けて、いいなと感じたり、ざわざわしたり、心が動くのが出発点。驚きや感動の「!(びっくりマーク)」みたいなものから始まります。芸術は「!」を表現しようとするし、サイエンスは「!」を「?」に変えて色々と掘り下げて考えていく。アプローチの違いがありますけど、一番大事なのは、自然や現象をじっくり見て「!」と感じることだと思います。「!」を感じる力は、どんな人にとっても、また、どんな仕事に就いていても重要だと思うんです。「!」を感じる瞬間は、世界が広がる豊かな時間。普段の生活の中でもそういう瞬間を大事にしたいです。

記者の目

取材を通して、生き物の中で芸術活動をするのは人間だけ、というところにあらためて興味を引かれた。芸術を生み出す鍵となる人間の想像力は偉大。また芸術は、人間が普段の生活の些細なところに発見や驚き、喜びを見いだす力があるからこそ生まれると思うと、感性に無限の可能性を感じた。確かに、進化という観点からみると、芸術はなくても困らないものかもしれない。だが、人は安らぎや喜び、刺激を芸術に求める。そこに楽しさがあるからこそ、人間は遠い昔から芸術とともに生きてきたのだと思わされた。

齋藤 亜矢(さいとう あや)

京都造形芸術大学文明哲学研究所准教授
茨城県生まれ。京都大学理学部、京都大学大学院医学研究科修士課程を経て、東京藝術大学大学院美術研究科修了。博士(美術)。京都大学野生動物研究センター特定助教としてチンパンジー60人ほどが暮らす熊本サンクチュアリに勤務したのち、中部学院大学教育学部で図工等を担当した。2016年より現職。著書に『ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待』(岩波書店)、『ルビンのツボ――芸術する体と心』(岩波書店)など。

構成・文・写真:学びの場.com編集部

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