2006.04.18
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子どものコミュニケーション力は落ちているのか 交換ノートからITコミュニケーションまで

日本の子どもたちの国語力が低下しているという。PISAの結果を見るまでもなく、子どもたちの活字離れは今に始まったことではないし、語彙力の低下は、何でも「ビミョウ」「ウザッ」などの一語ですませようとする会話を見ていても明らかだ。こうした現状を重く見て、中教審では国語の授業時間増が検討されている。一方で、絵文字を駆使したメールでのコミュニケーションの饒舌さ。ブログや携帯メールで気軽に作品を発表し10代で文学賞を受賞する少年少女らも増えている。いったい子どもたちのコミュニケーション力は、落ちているのかいないのか

コミュニケーション力低下が人間関係を難しくしている

 最初に断っておくが、ここでは国語力という学校教育に限定したイメージのある言葉よりも広範に、コミュニケーション力という言葉を使わせていただく。

 今年2月の中央教育審議会の審議経過報告では、「国語をすべての教科の基本」と位置づけ、「その充実を図ることが必要で、授業時間数についても具体的に検討する必要がある」という見方を示した(初等中等教育分科会教育課程部会)。報告には、「言葉は思考力や感受性を支え、知的活動、感性・情緒、コミュニケーション能力の基盤となる。国語力の育成は、すべての教育活動を通じて重視することが求められる」とある。
 2003年に行われたPISA(Programme for International Student Assessment:OECD=経済協力開発機構が実施し、41か国が参加する生徒の学習到達度調査)の結果で指摘された読解力の低下や17年度のスクールミーティング(文部科学省)、教育課程実施状況調査(国立教育政策研究所)などを背景としている。

 娘の通う小学校の保護者会での担任の先生の言葉を思い出した。
「子どもたちのあいだで、自分の感じていることをうまく表現できないことからのトラブルがよく見られます」。
コミュニケーション力の乏しさが、子どもたちの人間関係を難しいものにしているということか。言いたいことが言えなくて、言葉で伝えられないもどかしさは、大人になってもあることだ。それでも失敗も含めて場数を踏むことで、コミュニケーションが円滑にいく術を身につけていく。子どもたちの問題も、成長に伴って解決していくと思いたいが、どうなのだろうか。

大人たちは子どものコミュニケーション力をどう見ているか

 文化庁の「国語に関する世論調査」(2002.1)の結果で、国語力(日本人の日本語能力)の「読む力、書く力、話す力、聞く力」について、すべての世代の9割に迫る人々が、とりわけ「書く力」が低下していると意識している。同調査では、国語力について、「考えをまとめて文章を構成する力」に課題がある、とした人がもっとも多く、続いて「敬語等の知識」、「説明したり発表したりする能力」に課題を感じていた。

 過日、学びの場のWEBアンケートで「子どもたちの国語力(表現力・コミュニケーション力含め)は、低下していると思うか?どんな場面でそれを実感するか?」を尋ねたところ、100を超える回答が集まり、「子どもたちの国語力(表現力・コミュニケーション力含め)は、低下していると思う」と答えた人は、9割を超えた。

 では、「どのような場面でそれを感じるか」というと、「語彙が少なく、敬語が使えない。大人にタメ口をきく」「文章で話さず、単語を並べて会話している」というのが主な意見だ。
 「子どもに限定すると低下しているのかどうかはよくわからない」という見方もあり、子どもというより、若者および国民全般的な傾向として言葉をめぐる力の低下を憂える声が多かった。このような現状を、「低下」ではなく「変化」とみて、「知っていて正しい言葉の使い方をしない子と、全く言葉を知らない子との格差が広がっている」という指摘も。
 また、「メールの利用以外は、昔とあまり変わっていないように感じ」、「昔よりも表現力などは伸びている気がする」と、コミュニケーションの変化を肯定的な面からとらえる意見もごくわずかだがあった。

コミュニケーション力の低下ではなく文化の変化?

  インターネットの普及とともに、携帯電話(ケータイ)保持の低年齢化が進んでいるという(「自分専用の携帯電話を持っている」小4=21,9%、小6=34,3%、中2=55,9%、高2=97,9% 平成17年東京都教職員研修センター調査 2005.9)。中高生の利用はもっぱらメールが中心で、ケータイは、「書く」コミュニケーションの道具として不可欠なものになっていることがうかがえる。ケータイメールというメディアの特性から、従来の手紙の作法とは違った、極端に短い言葉や、語彙よりも記号などを駆使した表現が一般的になり、それが会話にも反映されていくのだと考えられる。子どもを持つ親たちの間でも、親同士やPTAの連絡にケータイメールが当たり前のように使われはじめている。こうした道具が、大人とこども、または子どもどうしのコミュニケーションの形に与える影響は大きい。

 読書については、1954年に始まり、毎年実施されている「学校読書調査」(全国学校図書館協議会、毎日新聞社)の昨年の調査では、1か月間に全く本を読まなかった児童・生徒は、小学生6%(前年7%)、中学生25%(同19%)、高校生51%(同43%)で、中高生では本を全く読まない不読者が増えているという。本よりエキサイティングなメディア(テレビやゲーム、インターネットなど)や学齢が上がるにつれ変化する生活時間の影響、と読み取ることもできる一方で、「芥川賞」や「文藝賞」など大きな文学賞の若い世代の受賞者が目立ったことにも起因して自ら書くことで表現することに取り組むティーンが増え、インターネットやケータイ向けコンテンツに小説や詩を投稿する10代も多いという。これらの動きをはたして二極化のひとことで片付けられるだろうか?

 先のWEBアンケートに「子どものコミュニケーションで使われている文法や用語は、大人とは違っている。ただそれは、低下ではなく新たな文化の創造だと思う」という意見があった。言葉による他者とのコミュニケーション力や作法を磨く必要性を否定できるものではないが、新たな文化の創造、という視点に着目したい。

 異年齢保育をはじめユニークな保育手法で知られるせいがの森保育園(東京八王子市・藤森平司園長)は、人と関わる中で学ぶ環境のために、少子社会における子どもの育ち方を保証していくことが必要、と地域との積極的な連携を手掛けてきた。副園長の倉掛秀人氏は、「コミュニケーションにおいて、現われてくる現象やスタイルは時代によって変わっていくもの。大人の思い込みからではなく、子どもの承認欲求や自己表現欲求そのものに目を向けてほしい」という。
 ティーンがネットに作品やメッセージを投稿するのは、それが承認欲求や自己表現欲求を簡単に満たしてくれる場だからなのだろうか。直接会う必要がなく、それゆえ傷つけられることもない、だけど一人ぼっちではなく誰かとつながっていられる。便利で都合のよいバーチャルなコミュニケーションツールが、子どもたちの言葉の使い方、コミュニケーションの形をどこまで変えていくのだろう。

変わりゆくもの変わらないもの

 身近なところで、小学6年になる娘に友だちとのコミュニケーションについて話を聞いてみた。
「友だちとはしゃべるのも楽しいけど、手紙を書くのももらうのも好き。交換ノートもやってる」
 筆者の小学校時代にも交換ノートは存在したが、ン十年経った今でも健在という事実に少なからず驚いた。交換ノートのメンバーは2~3人と少人数。娘は3つほどのグループのメンバーになっていて、それぞれ交換ノートにメッセージを書いてまわしているという。

 子どもたちのコミュニケーション道具として使われるノートやメモパッドの需要について、キャラクター文具メーカー大手サンエックスの広報黒田政和氏は、「子どもの絶対数が減っているため、文具店が激減したり、売り上げ自体は減少しているが、主に小学3~5年の子どもたちの交換ノートの需要は変わっていない。最近は、親との交換を得意気に伝えてくれる子もいる」という。

 「インターネットは調べるのが楽しいけど、今度はメールをしてみたい」
とわが娘。そのうち交換ノートが、絵文字を駆使したメール交換に代わるのだろうか。

学校教育を超えた学びとは?

 WEBアンケートでは、子どものコミュニケーション力の低下をどうするか、という問いに対し「異年齢でのかかわりあいの中で学ぶ」「会話や読書で言葉に関心を持つ」「さまざまな経験を通し、他人の痛みを推し量れる細やかな心を培う」「ディベイトや、発表の場をもうける」など、大人が明確なビジョンを持って接するべき」という意見が多かった。一方で、コミュニケーション力は、「人との関係性の中で自然に身につくもの」「メール等の媒介によっても養える」と、成長のプロセスに信頼を寄せる意見もあった。

 「なるべく一語で終わらせず、相手に伝わりやすいように長い文章で話すようトレーニングしている」「本を読み聞かせて考えを聞くようにしている」「子どもを積極的に人の集まるところへ連れていくようにしている」など、実際に家庭で取り組んでいる例も寄せられた。

 地域コミュニティの崩壊に伴い、子どもたちが多様な大人と接する機会が減っているのは実感として感じるが、それ以前にわれわれ大人たちが、近所づきあいなどリアルなコミュニケーションのわずらわしさから逃げてはいないだろうか? アンケートの回答にもあったとおり「子どもにとってコミュニケーション能力は親の言動そのもの。親が他人とどうやって接しているかを見て真似をし、身についていく」。子どもたちの言葉尻をつかまえて「コミュニケーション力が低下している」と目くじらを立てるのは、天に唾するようなものである。まずは彼らの生み出す新しい文化を認め、その上で、今の子どもたちに欠けている、人と人とのリアルな関わり、リアルな体験をいかに与えていくか。そしてそこで、子どもたちが自分で考え行動できるように、いかに導いていくか。それこそが大人たちのすべきことではないだろうか。

 地域に暮らす子どもたちのさまざまな場面、それをとりまく大人の姿に出会うべく、いま、学校や放課後の居場所、子育て・教育支援、体験活動の現場を巡り歩いている。そこで出会ったことをお伝えできる機会を待ちたい。

文・森川千鶴

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