2011.07.19
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震災を契機に「生きる力」を問い直す

教育には不易と流行の部分がある――とはよく言われるが、社会や時代の変化によって学校教育に求められることが変化するのは当然のことだ。しかし、近年の学習指導要領の改訂と社会のニーズの変化にはタイムラグが生じているような気がする。そして、東日本大震災と未曾有の事態を経験した日本の社会は今後、さらに大きく変わっていくだろう。教育と学校の在り方は、これからどうなっていくのだろうか。

学習指導要領と社会状況のタイムラグ

 「生きる力」の育成を理念に据えた1998年告示(高校は99年)の学習指導要領は、今でこそ「学力低下」の元凶として批判が多いが、告示当初はマスコミや一般社会からも大きな評価を得ていた。この学習指導要領が審議・作成された当時、日本はバブル経済崩壊後の「失われた10年」と言われた時期で、「生きる力」は新たな教育理念として社会的に歓迎された。しかし、日本経済が徐々に回復し、この学習指導要領が小・中学校で全面実施された02年度から日本は「いざなぎ超え」と言われる好景気を迎える。庶民にはほとんど実感できない好景気だったが、大企業は軒並み戦後最大の利益を計上していった。「失われた10年」につくられた学習指導要領が、「いざなぎ超え」に実施されたとなれば、ミスマッチを起こすのはある意味、当たり前だったろう。

 確かに学習指導要領はこれまで何度も改訂されてきた。だが、作成当時と実施時の社会状況の違いがこれほど大きいという例は、90年代まではあまりなかったような気がする。その理由は、おそらく日本全体が工業化社会を前提とした人材育成を求めていたからだ。ところが、バブル崩壊前後から日本の社会は本格的にポスト工業化社会へと変質した。さらに、2008年の「リーマン・ショック」に端を発する世界同時不況以降、大きな経済成長が再び日本に訪れることなど完全に信じられなくなった。つまり、戦後の学習指導要領の改訂が機能していたとすれば、曲折はあるものの日本の社会が経済成長や工業化社会という一貫性を持っていたからであり、近年の学習指導要領の改訂にミスマッチが目立つのは、作成当時と実施時の社会状況に決定的な断絶があるからだろう。

 社会全体を挙げての学力低下批判を受けて文部科学省は、次に教育内容を増やした2008年告示の学習指導要領を作成する。ところが、告示の年の秋に「リーマン・ショック」が起こり、世界同時不況が到来してしまう。新学習指導要領は、必ずしもいわゆる「学力向上」だけを狙ったものではないが、教育関係者をはじめ世間一般の受け止め方は、「脱ゆとり」であり「学力重視」であったことは間違いない。このままいけば、「いざなぎ超え」につくられた学習指導要領が、「リーマン・ショック後」に実施されるということで、再びミスマッチを起こすのは確実だろう。

教育からサービスになった学校

 一方、学校教育や学力をめぐる社会の認識も大きく変わった。ここで多くの教育関係者は、「学力向上」を一般社会は強く求めていると反論されるかもしれない。だが、教育関係者や子どもを持つ保護者を別にして、もう一度冷静に社会全体を見渡してもらいたい。かつて98年告示の学習指導要領が全面実施された前後、毎日のように学力低下批判を報じたマスコミは、いつの間にか教育問題を取り上げなくなり、もはや社会全体が学校教育に大きな関心を持っていないことに気がつくと思う。

 この世論の変化には、学校教育に市場原理と競争主義を持ち込んだ小泉内閣以降の新自由主義の影響が多分にあると思われる。新自由主義的な「構造改革」により、学校教育はいわゆる「教育サービス」となった。しかし、サービスとは詰まるところ需要と供給の関係にすぎず、需要者でも供給者でもない人間には関係がない。こうして公立小・中学校における「学校選択制」の導入など一連の新自由主義的な教育改革が進む中で、学校教育は社会を支えるための公的な存在ではなく、教育関係者や保護者など利害関係者のみにしか関わりのない私的な存在へと矮小化されてしまった。

 言い換えれば、モンスターペアレントの増加と学校教育に対する社会全体の関心の低下は相関関係にあるとも言える。「リーマン・ショック後」の社会では、新自由主義的な考え方について否定的または懐疑的な見方が広がったが、一度失われてしまった学校教育に対する社会全体の関心は、いまだに取り戻せないままでいるというのがこれまでの状況だったと言える。

「3・11後」を生きる子どもたちのために

 だが、「3・11」の東日本大震災と福島第一原発事故によって日本の社会は大きく変わろうとしている。たとえば、「津波てんでんこ」という三陸地方の言葉が注目を集めた。津波の際には他人に構わず自分で逃げろということらしいが、上からの命令や他人の指示を待つのではなく、自分自身の判断と行動で危機に対処するという意味に取りたい。実際、震災では上からの判断を待って対応が遅れた人々の無力さに対して、自ら行動した現場の人々の力強さは対照的だった。

 学力向上に対する論議にも変化が見られる。マスコミの教育関係の記事を見ると、「脱ゆとり」などワンパターンの記事を別にすれば、学力の一環として知識の活用力、探究力、コミュニケーション力などを重視し始めている。また、文科省は地域における学校の避難所としての役割を再認識し、避難所としての「地域の学校」の在り方を見直す方針を打ち出している。これらは市場原理でニーズのない学校は淘汰するという新自由主義的な考え方とは全く別のものだ。

 ここで、改めて新学習指導要領が「生きる力」の育成という前学習指導要領の理念を引き継ぎ、基礎的学力の習得と同時にその活用力の育成を今まで以上に重視しているという点を強調しておきたい。「学力向上」のために学習内容を増やしたのが新学習指導要領であるというような理解のままでは、確実に「3・11後」の時代において学校教育と社会のニーズは再びミスマッチを起こすだろう。

 もちろん「学力」は学校教育の不易である。しかし、単なる「学力重視」の取り組みだけで、「3・11後」の社会を生きる子どもたちを育てることができるだろうか。教育行政や学校教育は、社会のニーズに応えるのに時間がかかる。同時に、社会のニーズが既に変化していることを理解するにも時間がかかる。東日本大震災と原発事故という大災害を機に「3・11後」を生きる子どもたちにとって、新学習指導要領のうちのどの部分が大切なのか、地域と学校の関係はどうあるべきなのか、教育関係者はもう一度考える必要があるのではないだろうか。

 同様に、日本の社会全体も「3・11」を契機に学校教育を見詰め直す必要があるだろう。存亡の危機に当たり、子どもたちの教育より目先のことを優先した者たちが、その後どうなったか。それは、歴史が教えてくれる。

斎藤剛史(さいとう たけふみ)

1958年、茨城県生まれ。法政大学法学部卒。日本教育新聞社に記者として入社後、東京都教育庁、旧文部省などを担当。「週刊教育資料」編集部長を経て、1998年に退社し、フリーのライター兼編集者となる。現在、教育行財政を中心に文部科学省、学校現場などを幅広く取材し、「内外教育」(時事通信社)など教育雑誌を中心に執筆活動をしている。ブログ「教育ニュース観察日記」は、更新が途切れがちながらマニアックで偏った内容が一部から好評を博している。

構成・文:斎藤剛史

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