2009.12.08
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

高校無償化とはどんな政策か 政権交代により教育はどうなる?

高校無償化は新政権の教育政策の中で現在のところ最も注目されるものの一つ。2010年4月から始まる高校無償化とは、どんな仕組みなのだろうか。それは日本の学校教育にどんな影響を及ぼすのだろうか。そして政権交代により、これから教育はどうなっていくのだろうか。

高校無償化は新政権の教育政策の中で現在のところ最も注目されるものの一つ。2010年4月から始まる高校無償化とは、どんな仕組みなのだろうか。それは日本の学校教育にどんな影響を及ぼすのだろうか。そして政権交代により、これから教育はどうなっていくのだろうか。

国公立は実質無償化、私立は一部助成に

 新政権は、前政権当時に各省庁が提出した来年度予算の概算要求を白紙に戻し、概算要求を組み直すという例のない措置を取った。そして、2度目の概算要求の作成は大臣、副大臣、政務官の政務三役による“政治主導”で行われ、民主党のマニフェスト(政権公約)に掲げられた政策が次々と盛り込まれた。その中で文部科学省の概算要求事項の目玉の一つが「高校無償化」だ。

 では、高校無償化の具体的な中身とはどんなものなのだろうか。文科省の概算要求によると、国公立高校の場合、年額「11万8800円以内」の範囲で各都道府県などに高校の授業料分を国が就学支援金として交付し、保護者からは授業料を徴収しない。つまり、保護者や生徒の立場から見ると、国公立高校の授業料は実質的に無料となる。ちなみに「11万8800円」というのは、地方交付税算定基礎という国のガイドラインの一種に盛り込まれている公立高校の標準額で、これを参考に各都道府県は公立高校の授業料を設定することになっている。

 一方、私立高校の場合は、生徒一人当たり同額の「11万8800円」(年収500万円以下の世帯の生徒は「23万7600円」)を就学支援金として都道府県を通して私立高校に交付する。ただし、私立高校の平均授業料は年間約35万円に上るため、就学支援金があっても授業料は無償とはならない。このため川端達夫文部科学相は、年収350万円以下の世帯に対して授業料と就学支援金の差額分を都道府県が負担し、実質的に授業料を無料とする方針を打ち出しており、そのために必要な経費を地方交付税に上乗せする考えだ。

 また、民主党は当初、就学支援金を保護者に直接渡す「直接給付方式」にする予定だったが、同じ直接給付方式を取った麻生内閣の定額給付金が交付事務のために多額の経費を使って批判を浴びたこと、保護者に現金を渡してもそれが授業料以外の目的に流用される懸念があることなどの理由から、結局、保護者からは授業料を徴収しないという「間接給付方式」に落ち着いた。ただ、国が代わって授業料を出していることを認識してもらうため、学期ごとに就学支援金申請書の提出を保護者に義務付けることにしている。

意外に不人気な「高校無償化」

 民主党は、将来的には幼稚園などの就学前教育、大学などの高等教育の無償化も目指すとしており、高校無償化はその第一歩だ。高校進学率が約98%に達し、高校は既に国民的な教育機関となっている。高校無償化によって高校教育は、限りなく義務教育に近いものと位置付けられたことを意味する。日本の学校教育の歴史の中でも画期的出来事と言ってよいだろう。

 ところが、教育関係者をはじめとして高校無償化に対する評価は、必ずしも良いものばかりではないようだ。公立高校との競争が激化することが予想される私立高校関係者が批判するのは当然のこととして、公立高校関係者の間でも批判が出されている。代表的な批判は、「本当に支援が必要な家庭に恩恵が届かない」というものだ。現在でも都道府県は授業料の減免措置を実施しており、低所得世帯は実質的に授業料が無料となっている。公立高校の授業料を“無償化”しても、経済的に困っている世帯にはそれほどの恩恵はない。それよりも教材費や修学旅行費など授業料以外の教育費負担をより軽減するべきだという。

 家庭の経済力の違いによる学力格差の拡大を懸念する声も強い。経済力のある家庭は、高校無償化で浮いたお金を学習塾や予備校など学校外教育費に回す可能性が高いが、それによって子どもたちの学力格差がより広がる恐れがある。実際、民主党がまだ野党時代に高校無償化を提言した時、無償化よりも年収の少ない家庭の子どもを重点的に援助する方が有効的だという立場を文科省は取っていた。確かに、その通りかもしれない。批判されているように、家庭の経済力を背景にした子どもの学力格差の拡大も、今後、現在以上に大きな問題となってくるだろう。

高校教育とは何かという議論が必要

 しかし、公私立の授業料格差などの問題は残るものの、公立高校の授業料を実質的に無償化する“高校無償化”という政策は、そんなに悪いものだろうか。学校間格差や子どもの学力格差は今でもある。それが拡大することを恐れるより、公立高校の授業料が実質的に無償化され、私立高校の授業料が軽減される方が、子どもや保護者にとっては意義が大きいのではないか。仮に経済力のある家庭の子どもほど有利だということが事実だとしても、やっとめぐってきた政権交代によって、公立高校の授業料が実質無償化されるというチャンスに対して、反対する必要はないと思う。

 それより問題は、高校無償化がいわゆる経済政策であって、必ずしも教育政策ではないように思える点だ。政策の中に“教育論”が全く欠けているように見える。例えば、小・中学校とは異なり、高校は学校ごとの実情や生徒の実態が大きく異なる場合が少なくない。ほとんどの生徒が4年制大学を目指す高校もあれば、生徒の何割かが卒業までに中退していく高校もある。学校ごとに内実が大きく違うにもかかわらず、制度的には高校教育という枠に強引に収められてきた。現在の高校教育は、学校ごとに教育の内実や生徒の実態が異なるということを“暗黙の前提”として、ようやく一つの制度として成り立っていると言ってよい。

 公立高校の授業料が実質的に無償化されつつある現在、高校教育とはいったい何なのか。高校教育の問題では、高校入試、大学入試という入口と出口ばかりが社会的な関心を集めがちだが、高校教育の中身そのものが現在のままでよいと考えている者はそう多くはないと思う。大学では学習意欲などの基本的姿勢が身についていない学生の増加が、学力の低下よりも大きな問題になっている。また、世界同時不況によって若者の雇用環境は厳しさを増すばかりだ。これに対して高校は、大学への通過点ではないし、未熟な存在のまま生徒を社会に放り出す機関でもないはずだ。さらに、成人年齢の18歳への引き下げという問題もある。現在のまま18歳で成人の扱いを受けるようになったらどうなるのか。

 1955年の保守合同以来、初めて実現した本格的な政権交代に際して、それにとやかくいうのは、ある意味、野暮というものだろう。しかし、社会が急速に変わっていく中で、現在の子どもたちにとって高校教育とは何か、という“教育論”を真剣に議論する必要はある。高校無償化は、そのきっかけとして受け止めたい。

斎藤剛史(さいとう たけふみ)

1958年、茨城県生まれ。法政大学法学部卒。日本教育新聞社に記者として入社後、東京都教育庁、旧文部省などを担当。「週刊教育資料」編集部長を経て、1998年に退社し、フリーのライター兼編集者となる。現在、教育行財政を中心に文部科学省、学校現場などを幅広く取材し、「内外教育」(時事通信社)など教育雑誌を中心に執筆活動をしている。ブログ「教育ニュース観察日記」は、更新が途切れがちながらマニアックで偏った内容が一部から好評を博している。

構成・文:斎藤剛史

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop