2009.04.07
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ケータイは電話ではない、から始めよう

携帯電話(以下、ケータイ)は日常生活でほぼ不可欠な道具となってきた。携帯電話禁止令など出たら途端に仕事に支障が出る人も多かろう。しかし、子どもとケータイの関係となると、とたんに問題が複雑になってくる。一般社会の意見も一律禁止から条件付許可まで百家争鳴で、教育関係者としても対応に困るところだ。だが、ここは頭を冷やして原点に戻って考えるべきではないだろうか。

原則禁止の文科省通知は出たものの

 ケータイの扱いは従来から学校現場では大きな問題になっていた。文部科学省の調査結果によると、小6の24.7%、中2の45.9%、高2の95.9%が自分専用のケータイを所有している。このため、高校生くらいになればケータイを授業中に使うことを「通信の自由」と言い出す者もいるくらいだ。そのケータイ問題が、社会の大きな注目を集めるようになったきっかけは、大阪府の橋下徹知事が昨年秋に子どものケータイ禁止を打ち出したことだ。これに注目度の低下に悩んでいた政府の教育再生懇談会が飛びついて、ケータイ問題をテーマの一つに据えた。文部科学省も腰を上げ、今年1月にケータイの扱いに関して同省として初めて指針を各都道府県教委に通知した。

 では、文科省通知などによって、学校現場に大きな変化があったかというと、ほとんどないというのが実情だろう。文科省通知は、ケータイの扱いについて小・中学校は「原則持ち込み禁止」、高校は「校内での使用制限」としている。しかし、通知が出る前から小学校の94%、中学校の99%がケータイの校内への持ち込みを禁止しており、高校も95%が禁止を含む使用制限をするなど、学校現場から見れば「何を今さら」というのが実感だろう。その後、ケータイ問題に対する社会の関心も次第に薄れつつあり、マスコミなどの一時の盛り上がりはまさに「大山鳴動」の観がある。

 だが、学校現場や保護者にとって、これからも子どもとケータイの関係は大きな課題であることに変わりはない。そこで、まず子どもたちとケータイの関係について整理してみよう。問題点としては、(1)出会い系サイト、プロフ(自己紹介サイト)などで犯罪などに巻き込まれる危険性がある、(2)メールや掲示板などによる中傷など「ネットいじめ」が起きる危険性がある、(3)頻繁なメールやゲームなどの利用が授業や学校生活の妨げとなる、(4)頻繁なメールやゲームなどの利用が基本的生活習慣の乱れにつながる、(5)無軌道な使用による高額な利用料の請求や架空請求など金銭的トラブルを生む可能性がある――などが挙げられよう。ケータイは非常に便利だが、子どもたちにとって情報化の陰の部分も強く持っている。

ケータイ問題で学校が果たすべき役割とは

 けれどもケータイは、情報ツール、コミュニケーションツールとして非常に優れた道具であり、これからも子どもたちの間に浸透していくのは確実だ。実際、高校生にケータイを禁止することなど、もはやほとんどの高校では不可能だろう。子どもを狙った犯罪の増加、夜遅くまでの塾通いなどで、子どもの安全のためにケータイが必要だと主張する保護者も少なくない。これに対して、学校現場はどう対応していけばよいのか。小・中学校で言えば、その答えの一つが学校への「持ち込み禁止」だろう。文科省通知によって、学校への持ち込みを禁止する理由を保護者に説明しやすくなったと喜ぶ学校関係者の声も聞いたことがある。

 ここで学校関係者に批判を受けることを覚悟で言わせてもらうと、持ち込み禁止で「事足れり」とするなら、それは逆に子どもたちのためにならないのではないか。もう一度、先に挙げたケータイの問題点を見てもらいたい。この中で(4)(5)は、それこそ子ども本人と家庭の問題だろう。しかし、(1)(2)(3)は、明らかに学校の指導にかかわる問題だ。ケータイに限らず、使い方によっては危険な道具など世の中にはたくさんある。それを禁止で済ませば、学校は確かに楽だが、子どもたちは将来どうなるのか。これからの時代、ケータイを使わずに社会生活を送れる者などほとんどいないのだから。

 別に学校への「持ち込み禁止」が悪いと言っているわけではない。ただ、ケータイを禁止するならば、将来ケータイを使う時のための指導も行う必要がある。そうでなければ、子どもたちはケータイの正しい使い方をどこで学べばよいのだろう。さらに、現実の状況を踏まえれば、子どもたちにケータイを買い与える保護者に対する啓発活動も学校が行わざるを得ないだろう。文科省の携帯電話利用実態調査の結果を見ても、学校で情報教育を受けた子どもや保護者は、そうでない者よりも適切にケータイを使えるようになるというデータが示されている。

ケータイは「電話」ではなく「情報端末機器」

 一方で、教育関係者の一部も含めた社会一般の意識も気になるところだ。子どもとケータイの問題は、まさに情報教育の問題のはずだ。しかし、一部の学校関係者や社会全体の声の背景には、認識のズレがあるような気がしてならない。例えば、文科省の実態調査を見ると、子どもたちはケータイで、メールやウエブサイトの閲覧、音楽のダウンロードなどはしているが、通話はほとんどしていない。つまり、子どもたちにとってケータイは、「電話」ではなく「情報端末機器」なのだ。ケータイのフィルタリングが保護者の間で進まないのも、学校の情報教育が中途半端になりがちなのも、現在の大人たちがいまだケータイを「電話」だと思っていることが原因の一つだろう。

 じつは、先に触れた文科省通知も教育再生懇談会報告も、情報教育の充実、フィルタリングの推進などにきちんと触れてはいるのだが、ケータイ禁止ばかりがマスコミや一般社会で話題になり、ほとんどの人々はそこに注目していない。ついでに言うなら、子どものケータイに対する大人たちの論議の本音の部分に、「子どもが電話を持つなどぜいたくだ」というごく単純な反感が混じっているような感じがしてならない。

 子どもとケータイの問題は難しい。学校現場の苦労は尽きない。だが、最終的な目的が、これからの時代に子どもたちが社会に出てきちんと生きていけるようにすることだと考えれば、学校がやるべきことは、それぞれの実態に応じて、おのずから答えが出てくるのではないだろうか。

参考資料

構成・文:斎藤剛史

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