2008.08.12
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教育振興基本計画が決定 予算・人員の数値目標抜きの施策が意味すること

8-1.gif教育振興基本計画を政府は7月1日、閣議決定した。10年間を見通した教育の姿と今後5年間にわたる教育施策をまとめた同計画には、「世界トップの学力水準」を目指すなどの目標を掲げ、77項目に上る具体的な施策が盛り込まれている。だが、教育関係者を含めて同計画に対する社会の反応は極めて冷たい。今回は、教育振興基本計画をもとに現在の公教育をめぐる状況を考えてみたい。

教育基本法の改正とセットだった振興計画

 教育振興基本計画に関するマスコミ報道の多くは、教育予算獲得の裏付けとなる「数値目標」が財務省などの反対でほとんど盛り込まれなかったことを指摘し、「文部科学省の完敗」と評している。実際、閣議決定後に記者会見した文科省の銭谷眞美事務次官は「もう少し信頼できる公教育であればもっと大きな支持を得られたかもしれない」と悔しさをにじませた発言をしている。まさにその通りだろう。「教育立国」を掲げながら、国の教育投資についてほとんど触れられていない教育振興基本計画は、現在の日本社会における公教育への評価そのものと言えるだろう。

 振り返ってみれば、教育振興基本計画ほどその時々の政治状況に翻弄されたものはない。改正教育基本法は国に教育振興基本計画の策定を義務付けているが、もともと旧文部省は教育基本法の改正に本当は消極的だった、と言ったら人はいぶかしく思うだろうか。だが、教育界が分裂しかねない教育基本法改正に手をつけることに旧文部省が乗り気でなかったことは事実で、同法改正の動きが出るたびに自ら積極的には動かないという姿勢を貫いていた。

 しかし、教育基本法改正をテーマの一つとして教育改革国民会議を設置した小渕恵三首相が急逝し、自民党文教族の重鎮である森喜朗氏が首相に就任したことで、教育基本法改正の論議が避けられなくなった。ここで登場したのが、教育基本法を改正する代わりに財政悪化で削減が続いていた教育予算の確保を図るという構想だ。教育基本法の改正と教育振興基本計画の策定は2000年12月の教育改革国民会議最終報告で提言されたものだが、この組み合わせは同会議の事務局を主導していた旧文部省から出たアイデアであったことはほぼ間違いない。

 同国民会議の最終報告を受けて教育基本法改正の具体化内容を審議した中央教育審議会は当初、委員の間から同法改正に消極的な発言が相次ぎ、審議が難航した。これに対して文部科学省は、新しい教育基本法の中に教育振興基本計画の策定を盛り込み、そこで具体的な数値目標を示せば教育予算を確保できると委員たちに説明した。当時の中教審委員の一人は、「そのあたりから議論の方向が変わった」と振り返っている。この文科省の思惑は、教育基本法改正を提言した中教審答申のタイトルが、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」(2003年3月)となっていることからもうかがえる。

 こうして教育振興基本計画の策定とセットで教育基本法の改正が決まったが、皮肉なことに自民、公明の連立与党内で愛国心の表記などをめぐり調整がつかないまま、教育基本法の改正は実質的に棚上げにされてしまった。同時に、当時の小泉政権による「構造改革」で、義務教育学校教員の給与を国が半分負担していた義務教育費国庫負担制度にメスが入れられ、国の負担率が2分の1から3分の1に削減されたほか、「骨太の方針2006」や行政改革推進法によって教員定数の増加が制限されるなど、文科省の根幹が揺らいでいく。

 そして、ようやく教育基本法の改正案が国会に提出されたものの、従来の文科省主導の教育改革を批判し、学校や教員への国民の不信感をバネに独自の「教育再生」を図ろうとする安倍晋三首相が教育再生会議を設置したことによって、改正法案の成立後、文科省主導で教育振興基本計画を策定し、教育施策具体化の数値目標を示すという当初の戦略が実施不可能な情勢になってしまった。教育振興基本計画の具体的内容を審議した中教審が、財務省などの圧力により予算の裏付けとなるような数値目標を盛り込めず、「まるで財務省の審議会のような答申だ」と内部から批判さえ出るような答申(2008年4月)しかまとめられなかったのもある意味、「構造改革」と「教育再生」による当然の成り行きだったと言えるかもしれない。

文科省と文教族議員の敗北の意味するものとは

 本来ならこれで数値目標のない教育振興基本計画が2008年5月末までに閣議決定されることになっていた。ところが、これに反旗を翻したのが、小泉、安倍の両内閣時代に逼塞していた自民党の文教族議員だ。自民党の渡辺具能文部科学部会長らは4月30に財務省、5月1日に町村信孝官房長官を訪ねて、教育振興基本計画に数値目標を盛り込むことを要請。さらに、森元首相をはじめとする文相・文科相の経験者らが5月9日に会合を開いて数値目標を入れることを求めたほか、福田康夫首相が設置した教育再生懇談会も5月20日に数値目標を加えるよう緊急提言を発表した。

 これに力を得た文科省は当初の方針を転換し、国内総生産(GDP)に占める教育投資の割合を現行の3・5%から5%に拡大すること、教職員定数を25,000人増やすことなどの「数値目標」を加えた教育振興基本計画原案を作成し、それに反対する財務省、総務省との間で綱引きが続くことになった。この攻防に決着をつけたのは福田首相自身だと言われており、6月27日の官房長官、文科相、財務相、総務相の4閣僚会議で数値目標を盛り込まないことが決定され、教育振興基本計画をめぐる攻防戦は文科省の敗北という形で事実上幕が降りた。

 いずれにしろ、教育振興基本計画にはさまざまな批判があるが、今後5年間の教育施策が閣議決定されたという意味は、教育行政から見れば決して小さくない。そんなことよりも問題は、国の教育予算を増やすということに一般社会が積極的に賛成しなかったことではないだろうか。新聞など一部のマスコミでは、数値目標が盛り込まれなかったことを批判する論陣を張ったが、それが世論となったとは言い難い。逆に教員定数の削減などを求める声の方が、よほど強いのではないか。それほど競争原理や市場主義を求めた「構造改革」と、教員バッシングを煽った「教育再生」の傷は大きい。また、タイミングの悪いことに、文科省の収賄事件、大分県の教員採用汚職事件など、国民の教育不信を増大させるような出来事が相次いで起こってしまった。

 結局のところ、教職員定数を増やすなど教育予算の増額を図るのは、公教育に対する国民の信頼を取り戻すことでしか実現できないのではないだろうか。そして、その役目を担えるのは政治家でも役所でもなく、学校現場で子どもや保護者と向き合っている教員しかいない。学校と教員が、誠実に努力を積み上げていくことが一番重要なのだ。逆に、教育振興基本計画における文科省の敗北の原因は、国民に訴えることを怠り、文教族議員の力に頼ったことだろう。

 「数値目標」がないとはいえ、教育振興基本計画はようやく策定された。繰り返しになるが、数値目標がない中で教員定数の増加など教育予算を図るためには、学校現場の教員の地道な努力によって、国民の公教育に対する信頼を確立するしか方法はない。そのために文科省や都道府県教育委員会などの教育行政が今後求められることは、学校現場を応援し、支えていくことに徹する姿勢だ。それが、教育振興基本計画をめぐる問題から学ぶべきことではないだろうか。

構成・文:斎藤剛史/イラスト:あべゆきえ

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