教育トレンド

教育インタビュー

2014.09.16
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おおたとしまさ 塾を語る。 受験は塾に任せ、学校は学校にしかできない教育に専念するのが理想です。

おおたとしまさ氏は育児・教育ジャーナリストとして、様々な教育テーマについて執筆や講演活動を行っています。今年1月には『進学塾という選択』を出版、塾文化の発展史と共にその教育的意義を論じています。学校や保護者からいまだネガティブなイメージで捉えられがちな塾。一方で東京都足立区や佐賀県武雄市等、各地で塾と公教育との連携が広がっています。もはや塾は日本の教育になくてはならない存在になっているのか? 塾の存在意義とは? 学校教育との協働はあり得るか? おおた氏に伺いました。

日本で塾が台頭し始めた背景は

学びの場.com日本で塾の存在感が大きくなったのはいつ頃からですか?

おおたとしまさ江戸時代に約1万あったという寺子屋が民間教育機関のはしりといえます。この数は、人口比当たりで見ると現在の塾の数とほぼ同じ割合。当時から「自腹を切ってでも我が子に良い教育を受けさせたい」と思う親が多くいたことが窺えます。
在のような塾の原型は、1912年浅草にできた「島本時習塾」と言われています。もともと小学校教員で、学内で進学指導をしていた島本龍太郎が校長と対立し離職。島本の進学指導を惜しむ保護者たちから請われてできたのが島本時習塾でした。
戦後、学校制度が現在の6・3・3・4制に改革され、同時にアメリカから入ってきた「軟教育」により個性を伸ばす教育を目指したことから、学校で進学指導を行わなくなりました。そこから塾の存在価値が高まってきたのです。とりわけ、1967年に東京都が「学校群制度」を導入すると、都立名門高校は東大合格者数で首位から陥落、瞬く間に私立中高一貫校に追い抜かれてしまいました。その結果、私立中学受験熱に火がつき、中学受験進学塾が勢いづいたのです。

学びの場.comそもそも日本人には「自腹を切ってでも我が子に……」という教育熱心な面があったということでしょうか。

おおたとしまさ江戸時代から日本では、「子どもは社会の宝」という考えがあったようです。当時ヨーロッパからの来航者が「日本の子どもたちは大人たちに非常に大事にされ、幸福そうであることに驚いた」と記録しています。同時代のヨーロッパでは、子どもはもっぱら労働力として扱われていましたから。労働から子どもを解放するために教育現場が誕生したほどです。親は子どもが学校へ行くと労働力を奪われるので、反対者が多かったそうで、日本人社会とは大分違いますね。
日本人の「子は社会の宝」という思想は、「次世代を引き継いでいくのは子どもたち。だから、子どもたちの知的レベルはできるだけ高い方が良い世の中になるだろう。小さい頃からしっかり教育しなければならない」ということです。これが教育熱心な日本人のベースにあるのでしょう。

塾がなくなったら、日本の教育界はどうなる?

学びの場.com他方、保護者や教師の中には、塾に対し何らかの嫌悪感を持っている方も少なくないと思います。

おおたとしまさそういう方もいらっしゃるでしょう。例えば授業中、算数で分数の割り算の方法を教えようとしたときに、塾通いの子が「それ知っている! 割る数をひっくり返せばいいのでしょ」と先に方法を言ってしまったとします。教師は塾通いをしていない他の子たちに、その展開の面白さや楽しさを知ってもらいたいと思って授業準備をしていたのに、それができなくなってしまいます。これは本当につらい。このため、塾通いの子をあまりよく思わないということはあるかもしれません。また、保護者の中には家族で一緒に夕食も取れないほど、子どもに塾通いをさせるのはどうか? と思う方もいらっしゃいます。

学びの場.comでは、もしも塾がなくなったら、日本の教育界はどうなるでしょうか?

おおたとしまさ今以上に学校現場は忙しくなり、良い方向には向かわないでしょう。学校は時代の変化に合わせて、様々な分野の教育が求められています。例えば、グローバル化に対応する国際教育、インターネット普及に合わせたITリテラシー教育、若者の離職防止のためのキャリア教育。確かに、それぞれ今必要とされるものですが、すべてを学校だけに任せるのは無理があります。ただでさえ多忙を極める学校現場にすべての負担がのしかかり、教師は疲弊し、トラブルも増えます。
しかし、受験指導だけは塾が担うことで、その部分の負担は軽減されているのです。もし塾をなくして、受験指導もすべて学校が行うとしたら、美術や体育などは不必要だ、受験に必要な科目の時間数を増やしてほしいという保護者が増えるかもしれません。今は塾があることでそれは回避されているのです。

学びの場.comなるほど。つまり、塾には受験指導という役割があるのですね。

おおたとしまさ塾は、短期的に効率よく学力を伸ばす、つまり受験に成功するための力を子どもたちにつけることを主に担っています。じっくり時間をかけて勉強するタイプの子にも、短時間で集中して勉強するタイプの子にも、それぞれに合った受験勉強のテクニックを提供し、志望校合格を支援してくれるのが塾です。偏差値を始めとした受験に関する豊富な情報も塾にはあり、それらを活用した受験指導は非常にきめ細かいものになっています。
学校は、目先の学力ではなく、卒業後何年も経ってから価値が表れるような、人生そのものを豊かにする教育をする場所です。教科教育では学問の面白さそのものを学んだり、行事を通してクラスメイトと何か一つのものを生み出す経験をしたり。もし、こうした教育と、ライバルと1点2点を争う受験のための指導を両立しろと言われたら、学校はとても大変だと思います。ですから受験に関する部分は塾に任せて、学校にしかできない教育に専念するのが理想だと思います。

学びの場.com同じ教育でも、塾と学校では目標やスタンスが違うわけですね。

おおたとしまさ教育には多様な形がある方が良いと私は考えます。生態系の安定のために多様な生き物たちが豊かな個性で支え合い、つながり、生きているのと同じように、人間社会も様々な価値観や意見を持った人がいて、一つの志向に偏ることなく安定を保っています。そのためには、多様な人物を生み出す多様な教育の形がある方が良いのです。
学校教育は学習指導要領に則った指導を基本としていますから、全国どこにいても平等な教育を受けられるのが利点です。その半面、多様性が少ないのが欠点でもあります。私学はそれぞれ独自の校風があり、ユニークな教育内容を提供し、多様性を生み出していますが、数は限られています。そこへ行くと、塾は全国に約5万あり、文科省にも教育委員会にも関係なく、思い思いのスタイルで教育を行っています。塾は、教育の多様性の一端を担っている存在と言えるのです。

学びの場.com塾の講師も、また個性的ですね。子どもたちの中には「塾の先生が好き!」という子もいます。

おおたとしまさ塾の講師たちは、授業が子どもたちに受け入れられなければ、また結果を出せなければ、職を追われますから必死です。授業を受け入れてもらうには、まず子どもの心をつかまなくてはなりません。だから、自然と熱くなる。そういう熱い魂のようなものは子どもに伝播するのだと思います。私自身、中学受験のためにお世話になった塾の先生のことが大好きでした。買い食いしていようが、騒いでいようが、少々のことでは小言を言わず、ここぞというときはビシっと叱ってくれる先生のことが、子ども心にも「カッコイイ!」と思ったものです。他にも、勉強を教えていただく中で、人間の懐の深さを感じた場面は多々あります。とてもエネルギッシュで魅力的な方でした。
最近、よく思うのです。子どもたちに「生きる力をどう教えていくか?」ということを。で、もしかしたらこれは「教える」のではなく、子どもに「伝播していく」ものではないかと。つまり、子どもたちの周りに、先の塾講師のような生きる力がみなぎっている大人がいれば、子ども自身に「生きる力とは何であるか」は自然と伝わっていくのではないでしょうか。ですから、学校の教師も、ご自分の生きる姿を子どもたちに見せたら良いと思います。ご自身が好きなこと、打ち込んでいることを話したり見せたりするだけでも、子どもは何かを感じ取るはず。私は、教育とは「教えてもらった通りになる」ことよりも、「教えた者のようになっていく」効果のほうが大きいのではないかと感じています。

塾と公教育との協働はあり得るか?

学びの場.com塾と公教育は役割分担をしつつ、協働できる部分というのもあるのでしょうか?

おおたとしまさあると思います。有名なのは、2008年に始められた杉並区立和田中学校の進学塾による夜間有料授業「夜スペシャル(夜スペ)」。当時の藤原和博校長は「吹きこぼれ対策」、つまりできる子をより伸ばすための対策として夜スペを導入。批判も多くありましたが、現在では各地の中学校・高校で塾講師による補習授業が行われています。
島根県の北にある離島・海士町では、公営の塾を開設しました。民間教育産業が参入しにくい離島と都市部の教育格差を是正し、島の子どもたちの自己実現を支援することを目的に、学校以外の学びの場を自治体が用意した試みです。導入後は島内の高校から国公立大や有名私大への進学実績が伸びています。
佐賀県武雄市では、これからの成熟社会を生き抜く力、すなわち自分で考え、未来を切り拓く力を公立学校でも身に付けられるよう、「将来メシを食える」「魅力的な大人」を育てることを目指す学習塾「花まる学習会」のノウハウを市立小学校に導入。計画当初は現場教師からかなり批判的な意見も上がったそうですが、花まる学習会のメソッドが単なる受験対策ではなく、子どもの生きる力を伸ばすためのカリキュラムであることを知ると、受け入れられたそうです。
このように、塾と学校とのコラボレーション事例は増えつつあります。学校の教師も塾の存在、そして学校と塾との違いを認めた上で、児童生徒に対して「学校では長期的視野に立った教育を主にするから、塾は塾でうまく利用してね」というくらいの心持ちでいてはどうかと思います。私の出身校の麻布中学・高校では最近取材した折、「食べ物に例えれば、主食は学校。塾はサプリメントとして使ってほしい」と言っていました。学校で勉強しながら、何か足りないなと感じたら、補うために塾を活用してはどうかという意味でしょう。

学びの場.comただ、塾に行ける子は経済的にも恵まれている子のみであり、そうでない子たちも多くいます。

おおたとしまさ確かに、塾に通える子はある程度経済力のある家庭に育っている子です。大阪市では、「教育バウチャー制度」といって、塾に通うだけの経済力のない家庭の子どもに費用の一部を援助する試みをしています。しかし、もともと貧困層の家庭では、教育や学びそのものへの意欲が低い傾向があり、「塾に通わせれば教育格差がなくなるわけではない」という批判もあります。塾に通える人、通えない人の境遇の差をどう埋めればよいのか? この問題についての答えは、残念ながら私にはありません。
ただ、経済的に恵まれた子たちが充実した教育を受けることは、将来的にその子だけの益となるのではなく、学びを通して成長することで社会にその力を発揮し、それは社会にとっても益になるということもあるでしょう。欧米社会の基本的な道徳観である「ノーブレス・オブリージュ(それなりの権利を持つ人は、責任も伴う)」という考え方です。教育は非常に私的なものであるように見えて、実は公的なものであることも、私たちは心に留めておかなくてはならないでしょう。

関連情報
『進学塾という選択』おおたとしまさ著/日本経済新聞出版社/¥850+税
教師や保護者から、少なからず「必要悪」という目で見られることの多い進学塾。江戸時代の寺子屋から始まった日本の民間教育機関の歴史を紐解き、進学塾の社会的役割、学校との棲み分けと協働について、緻密な取材を土台にわかりやすく解説する。

おおたとしまさ

育児・教育ジャーナリスト。1973年東京都生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外語大学中退。上智大学卒業。リクルートで雑誌編集に携わった後、2005年に独立。数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。中高の教員免許、私立小学校での教員経験、心理カウンセラーの資格もあり、男性の育児相談サイト、「パパの悩み相談横丁」での的確なアドバイスは好評。著書に『男子校という選択』『女子校という選択』『中学受験という選択』等多数。

インタビュー・文:菅原然子/写真:赤石 仁

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