2012.12.11
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大学の新増設はどうなっているのか

田中真紀子文部科学相が11月2日に、大学設置・学校法人審議会(設置審)から答申された公私立3大学の設置認可をいったんストップしたことは、大きな話題となった(11月8日に正式認可)。田中文科相は、なぜ大学の新設にストップをかけたのか。そもそも今、大学の設置認可はどうなっているのか。

「護送船団方式」から「自由競争」へ

 かつて公私立の大学・短大の設置認可は、特定分野を除き新増設の抑制方針が採られてきた。審議会の答申に基づいて国としての「高等教育計画」を策定し、進学需要の見込みに沿って入学定員の総量を調整する方式だった。審査に当たっては文部省(当時)の担当課が事前相談の段階から細かいチェックを行い、問題がほとんどクリアされた段階で設置審に諮問する。設置認可段階で厳しいチェックが行われる代わりに、設置後は事実上ノーチェック状態だった。

 実際、大学の数は1973年度に400校を超えてから90年度に500校を超えるまでに17年かかっている。86年度からは18歳人口の急増期に入っていたのだが、その後の急減期を見越して相当数を臨時定員増でしのぐのが、高等教育計画の方針だった。

 それが日米貿易摩擦を契機とした規制緩和の流れの中で91年、文部省は大学設置基準の弾力化に踏み切る。ただし大学関係者らによる大学審議会(当時)の審議を経て、あくまで大学の自主性・自律性を尊重するという高等教育行政の基本姿勢を堅持してのことだった。

 現在のように大胆な規制緩和が行われたのは、世紀をまたいでからだ。小泉純一郎内閣が国民の圧倒的支持の下、市場原理・自由競争の構造改革路線を強力に推し進めていた。大学の設置認可も、規制行政の教育分野における典型例として「護送船団方式」と批判された。2003年、中教審の答申を経て大学設置基準や設置認可手続きが大幅に改正される。新増設の抑制方針は基本的に撤廃され、認可を審査する際にも「事前規制から事後チェックへ」という方針が打ち出された。よほどの問題がなければ新規参入が認められ、後は自己責任による自然淘汰に任される。ただし規制緩和の一方で、国立大学も含め、認証評価機関による第三者評価が義務付けられている。

需要と供給の「思惑」が一致、自然淘汰は機能せず

 田中文科相はいったん認可をストップした理由について、少子化にも関わらず大学の数が増え過ぎていることを挙げていた。実際、500校を超えてから98年度に600校を超えるまでは8年、それから03年度に700校を超えるまでには5年しかかかっていない。12年度は783校と、20年前(92年度)に比べちょうど1.5倍に増えている。

 この時期はバブル経済崩壊後の「失われた10年」ないし20年に当たり、高卒採用市場の急速な縮小に伴って、かつての就職希望者層が続々と進学希望に切り替えていった。これに将来的な学生確保に不安を抱いた短大や専門学校が4年制大学への転換を図ったことが加わって、急速な進学率上昇と大学数の増加をもたらした。需要側と供給側の思惑が一致したというわけだ。

 ただ、自然淘汰はなかなか機能しない。01年度以降に統廃合や募集停止になった大学は16校にとどまる一方で、日本私立大学振興・共済事業団(私学事業団)の調査によると今春、私立大学の46%と半数近くが定員割れに陥っている。そうした中で今年10月、創造学園大学などを運営する群馬県の学校法人堀越学園(東京の法人とは別)が文科省から解散命令を発令されるまでに至った。田中文科相はそうした状況に反応して、これ以上の新増設をストップしなければならないと思ったという。

国の計画誘導を考える時期

 大学の数が急増したのは、規制緩和による大学設置基準や審査の弾力化とともに、高等教育計画が05年度以降、策定されなかったことも大きい。問われるべきは、このまま大学の需給を市場原理に任せていいのかどうか、ということだろう。

 文科省は私学事業団の「大学破綻マニュアル」(私立学校の経営革新と経営困難への対応・最終報告)に基づいて廃校に備える一方、中教審は先進諸国も知的基盤社会に対応して高等教育進学率を上昇させていることから、08年12月と今年8月の答申で「現在の大学進学率の水準が過剰であるという立場をとらない」と繰り返し明言。大学の機能別分化と相互連携を打ち出すことで「共存共栄」さえ促している。今年6月の「大学改革実行プラン」で打ち出された「大学COC(Center of Community)構想」も、地域の短大や専門学校も含めた共存を図るという延長線上に位置付けられよう。

 高等教育への投資が経済発展に寄与するというのは、かねて経済協力開発機構(OECD)が指摘するところだ。大学卒業者にどんな能力を求め、どの程度の大卒者が必要なのか。行政のみならず産業界、国民をも巻き込んだ国家戦略の論議が不可欠なように思う。

渡辺 敦司(わたなべ あつし)

1964年、北海道生まれ。
1990年、横浜国立大学教育学部を卒業して日本教育新聞社に入社し、編集局記者として文部省(当時)、進路指導・高校教育改革などを担当。1998年よりフリーとなり、「内外教育」(時事通信社)をはじめとした教育雑誌やWEBサイトを中心に行政から実践まで幅広く取材・執筆している。
ブログ「教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説」

構成・文:渡辺敦司

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