鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業~伝統とは広く公開し、技術者を育て、継承すべきもの


鰐渕美恵子さんは1946年創業の老舗・銀座テーラーの三代目社長。注文服専門店として64年もの間、品質と個性を守り続け、数多くの著名人からも愛されてきた同テーラーが4年前、その技術と精神を後世に伝えるための技術者養成校「日本テーラー技術学院」を立ち上げた。老舗企業トップとして鰐渕さんに教育事業進出の意図や現状、効果等について伺った。

きっかけは求人募集。伝統技術を学びたい若者ニーズを知った

学びの場.com(以下、学びの場) 銀座テーラーは、1946年創業という老舗のオーダーメイドスーツブランドで、現在も東京・銀座の地で営業なさっていますが、本来秘匿とされる職人の技術をインターネットで公開し、2006年には「日本テーラー技術学院」という技術者養成のための学校もスタートしています。なぜ“教育”に目を向けられたのでしょうか?

鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業

鰐渕美恵子(以下、鰐渕) まず「『伝統を守る』とは、どういうことか」と考えました。伝統を守るといっても、ずっと同じことをして歴史を重ねるだけでは立ち行きません。古きよきものをいまの時代に合わせ、何か新しい展開を生み出せないかと。そこで、長年、オーダーメイド専門店として培ってきた専門技術を一般公開することで、「伝統を継承する」方法に思い至ったのです。

学びの場 発想のきっかけは、人材募集だったそうですね?

鰐渕 そうです。以前、銀座テーラーの店舗で「裁断士」を募集したところ、ハローワークには裁断士というカテゴリーがなく、応募者はパタンナーの方ばかり。テーラーというオーダーメイドの世界の裁断士と、アパレルのパタンナーでは仕事の内容も求められる技術も違うのです。

学びの場 素人目には、どちらも型紙を作る仕事なのかと……。

鰐渕 違うのですよ(笑)。テーラーの技術室は裁断士と縫製士で構成されますが、裁断士はモノを作るための“総合プロデューサー”。お客様と直接コミュニケーションをとりながら、採寸し、洋服を設計し、素材選びからデザイン、縫製までを細かく指示します。お客様一人一人の身体の特徴や個性を掴んで、それに合ったものを一つ一つ作り上げていかなければなりませんから、誰にでもすぐにできるというわけではないのです。

鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業

 一方、パタンナーというのは、デザイナーが起こしたデザイン画をもとに型紙を引く専門職です。ですが、大量生産のアパレル企業では、コンピューターでの作業が中心で、手でパターンを引くということはほとんどありません。大好きな洋服作りの会社に入ったのに、モノ作りの過程にふれることがない。求人募集を通して、そんな思いを抱えているパタンナーが多いことを知りました。

学びの場 伝統技術の継承を願う銀座テーラーと、モノ作りの現場で技術を学びたい若手のニーズ。そこで、日本テーラー技術学院を立ち上げたわけですね。

鰐渕 とはいえ、私たちは教育の専門家ではありません。講師は、銀座テーラーの現役の裁断士と縫製士が務めますが、本来、職人ですから話が上手なわけでもありません。そこで、「人に教える」のではなく、「持っている技術を公開する」ことにしたのです。まずインターネットのHPで公開する。そして、授業も講義ではなく実技を優先するというように。

 教室は、銀座テーラーの終業後の技術室をそのまま使用し、1クラス5名の編成で、技術者の工程を分類したカリキュラムをもとに実践してもらいます。期間は1年間ですが、針の持ち方から、生地の伸び縮み、身体に合わせた採寸方法など授業内容は細かくさまざまです。

学びの場 生徒さんはどのような方が?

鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業

鰐渕 20代が多く、上は50代まで。学生の方もいらっしゃいますがアパレル企業にお勤めの方がほとんどですね。授業は月曜~金曜の夜7-9時という夜間ですから、社会人にも無理がありません。個人の技術を磨きたい方、独立したい方、目的もいろいろですが、みなさん驚かれるのはオーダーメイドの世界の奥深さ。「こんなに大変なものとは思わなかった」っておっしゃいますね(笑)。

学びの場 学院として、これだけはマスターしてほしいという目標はあるのでしょうか?

鰐渕 自分で「洋服の設計図を作る」ということ。縫製というのは、相当の時間をかけないと熟練の技は会得できません。でも、お客様の25ヶ所を採寸し、見た目、好み、さまざまな要素を把握し、感じて、設計図が作れるように。これは学院で得たことを使って、友人なり家族なりをモデルに自習を重ねれば必ず磨かれていきます。一年を通してそれだけはマスターしてほしいですね。

100年、200年と続いていくために、“脱老舗”こそが老舗の道

鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業

学びの場 職人の技というのは各人の秘伝でもあるかと思いますが、インターネットにせよ、教育事業にせよ、技術を公開することに周囲の反発はありませんでしたか?

鰐渕 当初は同業者からのクレームもありました。「技術はクローズするもの・守るもの」というのが一般的ですから。

学びの場 それでも挑戦なさったのは?

鰐渕 伝統の継承の一方で、正直、企業家としては本業の洋服作りだけでは時代の波を乗り越えていけないという危機感もありました。そこで長年培ってきた技術という財産を有効利用するためにも、教育事業は最適な新規事業だったのです。学院を始めて4年ですが、以前より企業イメージはアップしているようです。情報を公開し、技術者を育てるという企業姿勢が好感をもって受け入れられていることは非常にありがたく思います。

学びの場 銀座テーラーは本業のほかに、教育事業、不動産事業、美容業、海外ビジネスと多角的に展開されていますが、そのあたりにも守る老舗ではなく、攻める老舗の姿を感じます。

鰐渕 たしかに「銀座テーラー」という名前は大きなブランドですが、企業というのは人と同じで、常に進化していかなければと思います。100年、200年と続く老舗というのは、ただ伝統を守っているわけではなく、ベンチャー精神があるからこそ続いている。そういう意味で、“脱老舗”であることが老舗の条件だと思います。私たちも名前に甘んじることなく、新規の事業アイデアに挑んでいきたいと思っています。

家庭も学校も、その子ならではの“スペシャル”を導く教育を

学びの場 鰐渕社長には二人の娘さんがいらっしゃいますが、子育て当時、会社の仕事との両立で家庭教育への影響はありましたか?

鰐渕 直接、影響は与えていないと思います。私の場合、娘たちが中・高校生時代に専業主婦から働く女性に変わったので、時間が多忙になったことと、視野が広くなったことは間接的に感じとったかもしれません。ただ、母親自身は切り替えが必要ですね。どんなに仕事がハードでも、帰宅すると同時に「母の顔」になることだけは意識しました。

学びの場 家庭教育への方針は、なにかお持ちですか?

鰐渕美恵子 老舗テーラー社長が語る教育事業

鰐渕 愛情を無条件に注ぐことですね。子どもにとって母親が一番の味方であり、理解者であることがわかると、子どもたちが自分の道を選択するときに誤らないと思います。

学びの場 一方で経済同友会のメンバーとして学校で講演されることも多いと伺っていますが、子どもたちや学校の先生方にメッセージをいただけますか?

鰐渕 私が子どもたちに伝えたいのは、「自分史を作りなさい」ということです。まず、10年後、20年後の将来の夢を据えること。そうすることで、今日なにをすべきかがはっきり見えてきます。それと、外国語の習得です。グローバル化が進むなか、英語はもちろん、できれば中国語やポルトガル語など、今後伸びてくるであろう新興国の言葉もマスターしてほしいと思いますね。

 そして子どもたちを見守る先生方には、子ども一人一人の特性をしっかり見極め、その子ならではの“スペシャル”を導くような教育を目指していただけたらと思います。もちろん第一に必要なのは親の力ですが、家庭と学校が連携しながら、小さいうちから子どもに自分の専門の道を持たせられれば、将来必ずその子の武器になると思います。

インタビュー・文:寺田薫/写真:言美歩 ※写真の無断使用を禁じます。

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