2008.10.07
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学校統廃合を進める理由

学校統廃合は国が後押しすべきものか? 文部科学省は現在、公立小・中学校の適正配置基準の見直しを検討している。適正配置とは、言い換えれば学校統廃合のこと。少子化により小・中学生の数は減少を続けており、それに対応して学校の数が減ることは常識的には当然である。しかし、同省による学校統廃合の促進には、財政再建ばかりが優先されているように見える。

学校統廃合の支援に乗り出した文科省

 教育関係の問題では、当事者たちにとっては重大事だが、社会一般ではどうでもよいというという問題が少なくからずある。その代表的な例の一つが、学校統廃合だろう。児童・生徒とその保護者、卒業生、地域住民などにとって、自分たちの学校がなくなるのは大問題だ。

 一方、その学校に愛着も利害もない者にとって、在校児童・生徒の数に比べてはるかに大きな敷地や建物の維持費、そして教員の人件費などの財政支出は、無駄以外のなにものでもなく、統廃合反対を唱える人びとは公益より自分たちの利益を優先する集団のように映るかもしれない。ここに学校統廃合問題の難しさがある。

 文科省の中央教育審議会は、初等中等教育分科会の中に「小・中学校の設置・運営の在り方に関する作業部会」を設け、公立小・中学校の適正配置の基準の検討を行っており、来年夏ごろまでに報告をまとめる方針だ。少子化により児童・生徒数は減少を続けているが、公立小・中学校の数は子どもの減少分ほど減っていない。

 例えば1980年以降で見ると、公立中学校の生徒数は1985年度のピーク時で約589万人だったものが、現在は約359万人まで減少している。これに対して学校数はピーク時の1992年度に約1万600校から現在までに約500校しか減っていない。その分、生徒数の少ない小規模校が増加している。

 要するに、子どもの数に比べて公立小・中学校が多すぎることが国や地方自治体の悩みの種となっているのだ。財政に余裕のあった時代はそれでもよかったが、財政事情がひっ迫している現在、小規模校の存在は地方自治体にとって「負担」以外の何ものでもない。また、国にとっても、小規模校が減れば教員の全体数も減り、教員人件費の国庫負担分が少なくなる。あるいは、減った分の教員定数を少人数指導などほかの分野に活用することができる。

 だが、最初に述べたように、学校統廃合には保護者、地元住民などの反対が必ずと言ってよいほど起こるため、地方自治体にとっては最もやっかいな行政課題の一つだ。このため、学校の標準規模などを定めた学校教育法施行規則などを改正することで、地方自治体の学校統廃合を国として支援したいというのが、公立小・中学校の適正配置の検討に乗り出した文科省の意図だろう。

発端は財政削減に向けた財務省の圧力

 公立小・中学校の標準規模は現在、学校全体で「12~18学級」とされている。しかし、少子化による児童・生徒数の減少により、標準規模に満たない学校が公立小学校の約5割、公立中学校の約6割を占めている。小規模校は1学年1学級のためクラス替えもできず、子ども同士の関係が固定するため、問題が起きるとこじれやすいと言われている。また、運動会などの学校行事も盛り上がりに欠け、学校全体に活気がない。授業などの教育面では子ども一人一人に教員の目が届くのが小規模校のメリットだが、人数が少なすぎると逆に教育効果が低下するという研究結果もある。

 このほか、相次ぐ地震で校舎など学校施設の耐震性が問題になっているが、校舎などの耐震化工事が進まない理由の一つとして、学校統廃合があると指摘されている。耐震化するには億単位の予算が必要だが、いずれ統廃合になるかもしれない学校の校舎に無駄な予算を割けないと、地方自治体が耐震化工事に二の足を踏んでいるというのだ。このように、財政的理由、教育的合理性、児童・生徒の安全などを考えると、小規模校の統廃合は、非常に合理的選択であるように見える。

 しかし、交通の便の悪い地方などでは、学校が統廃合されると子どもたちの通学事情が悪化するのは火を見るより明らかだ。文科省はスクールバスの積極的利用を考えているようだが、それだけの予算のある地方自治体がどれだけあるだろうか。また、学校統廃合で路線バスによる通学となったが、赤字で路線バスが廃止され、結局、保護者が自家用車で送り迎えするしかなくなったという例もある。路線バス廃止反対を教育委員会に訴えたら、「うちの管轄ではない」という回答が返ってきたというのは、笑えない冗談のような話だ。

 そもそも、今回の学校統廃合を国が後押ししようという話は、財政再建ばかりが優先されているようにしか見えない。ことの発端は、2007年6月に財務省の財政制度等審議会が公立小・中学校の統廃合を進めるよう文科省に求めたことだ。このとき財務省は、2005年度間の学校統廃合により年間170億円の財政削減につながったという試算まで出している。文科省がいくら教育的視点による学校規模の確保を理由に挙げても、財務省の圧力に屈したことは明らかだ、と言ったら言いすぎだろうか。

 ただ、中教審の審議を見ると、通学における子どもの精神的・肉体的負担、安全面の配慮などの基準も同時に検討されているようで、単なる財政論の議論ではないのが救いだ。言うまでもなく、国や地方自治体の財政健全化は重要な問題だ。しかし、だからといって「たまたまそこに住んでいた」だけの子どもたちが、平均以上の通学負担を強いられてよいはずがない。義務教育の機会均等を保障することは、国と地方自治体の大きな責務だからだ。その意味で、学校統廃合に国が必要以上に関与するのは、本来の地方分権、そして義務教育の保障に反することになるのではないか。

 大きな目で見れば、「平成の市町村合併」が一段落した現在、学校統廃合の論議が避けられないことは確かだ。だとしても、それは国や地方自治体の財政事情が優先する問題ではなく、あくまで地方自治体、保護者、地域住民などの合意に基づくものでなければならないだろう。

構成・文:斎藤剛史/イラスト:あべゆきえ

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