「なぜ」は禁句?
「なぜ」って便利な言葉です。学校現場でよく耳にするのではないでしょうか?「なぜ〇〇したの?」「◇◇がこのような行動をとったのはなぜでしょう?」と授業でも授業以外でも使用されているのではないでしょうか?しかしちょっと立ち止まって考えてみますと便利だからこその落とし穴がありそうです。きょうはそのあたりを書き綴りたいと思います。
佛教大学大学院博士後期課程1年 篠田 裕文
カウンセリングの技法について学ぶ中で、「カウンセラーは『なぜ』と聞かない」と教わりました。これを聞いて私は「おお、一緒!!!(Me too!!)」
と思いました。
17年前、教職についたころ、必死に毎日考えていたのは「発問」。その時にむさぼるように読んだ発問関連の本を総合して、自分で決めたことがあります。
「なぜ」を使ったら負け
です。だれと勝負してるんだ?という突っ込みがきそうですが、それはさておき。「なぜ」って無茶苦茶便利な言葉なんです。
- なぜゴンは打たれたのでしょう
- なぜ大造じいさんは鉄砲を下したのでしょう
- なぜ信長は安土城 を建てたのでしょう
等々。オールマイティー です。どんな教科、どんな領域でも使用可能。しかし、しかしですよ。これって「自分の頭使ってないじゃん」と17年前の私は思ったわけです。
聞かれた子どもたちも面白くないと思うのです・・・きっと。それよりも
- ゴンを撃つなんて兵十はまともな神経をしているとは思えませんね。でしょみんな。
- 大造じいさんの目に飛び込んできたものは何ですか?
- 信長と足利義満 と聖武天皇 の共通点はなんですか?
これならどうでしょう。頭ひねりますし、ちょっとは面白い発問になっているかと思います。
「なぜ」は英語にすると「WHY」です。「WHY?」って聞かれるとなんだか尋問されているような気がしますし、そもそもその理由がすぐに答えられるのならば授業を受ける必要も、カウンセリングに来る必要もないと思うのです。
もちろん社会にでたら上司や先輩から「なぜ」と聞かれることもあるので、子どもたちに全く「なぜ」と問いかけるなという気もありません。「なぜ」という問いかけに強い子どもに育てる必要もあると思います。
一方で、「なぜ」で始まる問いかけのように、自由度が高いと反応の仕方がよくわからなくなることがあるということも知っておかねばなりません。
「学校が楽しくない」という子がいた場合、「なぜ楽しくないの?」と問い返すことも一つの手ではあります。しかし先ほど述べたように「なぜ」という言葉は自由度が高く、相手を責めている印象を与えます。
- 仲の良い友達はいる?
- 部活には参加できているの?
- 話しやすい先生はいる?
- 1時間目間に合った?
- 休み時間は何をしているの?
- 応えるのが難しかったら頭の上げ下げで教えてくれていいからね。
と、少し自由度を下げた質問をすることで、子どもも話しやすくなります。
「子どもとの接し方がわからない」と話される保護者がいらっしゃった場合「なぜそのように思われるのですか?」と問い返すこともできますが
- 今日はお子さんと話をされましたか?
- いつもは晩御飯はご一緒ですか?
- 朝ごはんはご一緒ですか?
- お子さんのいいところってどんなところですか?
- お子さんと最近どこへでかけられましたか?
という聞き方もできると思います。
教師という仕事を十数年やって、その上でカウンセリングについて学ぶと共通点が非常に多いことに気づきます。答えは子ども自身(クライアント自身)の中にある。それを外在化するお手伝いをさせてもらうのが教師の仕事。そのように考えると「なぜ」に頼るだけではなく、色々な問いかけ方をもっている方が良いなと、改めて思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
篠田 裕文(しのだ ひろふみ)
佛教大学大学院博士後期課程1年
修士課程を修了し博士課程に進学しました。修士時代に学んだこと、学校現場で実践したことを書き綴りたいと思います。
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