2018.11.09
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大河ドラマのセリフから自分の人生を想像する

子どものころNHK大河ドラマを心待ちにしていました。今でも記憶に多々残っているのですがその中でも「毛利元就」は特に印象的でした。毛利元就という人物や活躍した場所・時代に惹かれたのはもちろんですが、その中でも臨終の床につく元就が発した最後の言葉が耳に残っています。その言葉が大学院で「発達心理学」の講義を受けている時にふっと蘇ってきました。
 今回はその元就の言葉から考えて自身の生涯発達について書き綴りたいと思います。最後までお読みいただけると幸いです。

佛教大学大学院博士後期課程1年 篠田 裕文

夢中になった大河ドラマ

 約20年前,NHK大河ドラマ「毛利元就」に夢中になった。毛利元就は中国地方全域を戦国時代に支配した大大名。歴史が好きだった私は,日曜日夜8時,テレビの前に釘付けになった。その最終回,人生を回想した元就が,死ぬ間際にこうつぶやく。「良き一生であった」と(恐らくこのような言葉だったと記憶しています)。

 回想シーンでは,あの世に既に逝っている元就とゆかりのある人物が登場する。味方だけではなく敵だった人物も登場する。彼らは元就の行いが地獄へ落ちるべきか天国へ行くべきかで元就を責め立てる。直接戦火を交えることなく中国地方の武将を調略・謀略で潰していった元就。その調略や謀略を罵られている場面もある。自分がしてきた行いを元就自身が悔いるシーンもある。決して良いことばかりの回想ではないのである。それでありながら最後に「良き一生であった」と元就はつぶやく。当時の私にとっては衝撃的なシーンであった。同時に自分も人生の最後に「良き一生であった」と思いたいと願った。

これからの自身の「課題」は?

 現在私は38歳。日本人男性の平均寿命から考えると人生の中間点にさしかかり,これから日に日に「死」に近付いていく。「良き一生であった」とつぶやき死んでいくためには,これからどのように自分は生きていったらよいのだろう。成人中期,成人後期に分けその時期の発達課題と交えながら論じてみたいと思う。

 シャインのキャリア発達段階によれば,成人中期の課題として専門性を高めて新たなものを生み出すこと,後進を育てること,組織の指導者として組織を育てること。周囲からの評価や昇進の見通しから職業生活を再吟味すること,若い意欲的管理者の下で働くことを受け入れること,権力や責任の減少や引退という役割の喪失を受け入れることも課題とある。
「専門性を高める」,これが特に私の成人中期の課題として挙がる。「自分の専門性とは何か?」,この問いがここ数年頭から離れなかった。小学校教員として14年間,教科指導・学級経営について学び,実践し,発表する機会も数多く頂いた。しかし「専門性が高まった」「私の専門性はこれだ」という実感が生まれなかった。そればかりか「これまでやってきたことは子どもたちにとって本当に意味あることだったのか」という疑問が頭をめぐり始めた。 

 そのような思いを抱えながらもう一度学び直したいと,2年間の休職を願い出,大学院に進学した。大学院での学びが蓄積される中で,それまでの悩みが少しずつ小さくなっていった。発達・心理学・脳科学・情動・特別支援教育等々。これらの学びと,これまでの実践とが頭の中で接近していくのがわかった。子どもたちと自分との間に生じた数々の現象の背景が,講義での学びによって説明できるようになっていった。自分が自分の専門性を自覚できなかったのは,自分の実践を理論的に語れなかったことに起因していたのである。

成人期後期に対するイメージ

 成人中期が過ぎると成人後期が待っている。少し前の私は成人後期に対してネガティブなイメージが先行していた。知力・体力・気力,すべてが衰えていくのではないかと。しかし「青年期の発達心理学」を学び,それは誤りであったことに気が付いた。知能はかなり人生後半まで維持されるし,認知機能の低下を補償する方略と熟達化も指摘されている。老年期卓越という言葉も知った。高齢者の6割が地域活動に参加しているという事実もある。

 成人後期について学び,父の姿が思い浮かんだ。父は中学校教員を退職後公民館へ勤め,70近いというのに高校の数学非常勤講師として今も勤務をしている。退職後に始めた古文書解読も継続し,電子辞書を片手に格闘している。退職後に本格的に始めた農作業も板につき,米やスイカを栽培している。毎朝片道30キロの孫娘の幼稚園の送り迎えもしている。

 学びと父の姿とを重ねると,成人後期に向けての加齢を否定的にとらえる必要はないのである。むしろ仕事,子育てがひと段落する時期だからこそ,再度自分自身のやりたいことができる時期なのである。そう考えると今から成人後期が楽しみになってくる。そして成人後期にやりたいことができるように,今やるべきこと,今やっておいた方が良いことが明確になる。成人後期にポジティブなイメージを抱き,そこでの自分に向けて今から準備をする。そのような意識で成人後期を迎え,成人後期を生きる。きっと成人後期を充実したものにできると思うようになってきている自分がいる。

最後に

本当に「良き人生であった」とつぶやき死んでいけるかはわからない。しかし,その願いを実現しようと成人中期,成人後期を生きていこうとすることはできる。自分の専門性のために大学院での学びに一生懸命になり,未来の自分のために,今の学びに一生懸命になる。自分の生涯発達をより良いものにし,「良き人生であった」とつぶやけるよう,これからも自分を発達させていこうと思う。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

篠田 裕文(しのだ ひろふみ)

佛教大学大学院博士後期課程1年
修士課程を修了し博士課程に進学しました。修士時代に学んだこと、学校現場で実践したことを書き綴りたいと思います。

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